ユカリさん、走り去る
垂れこめた灰色の雲の下、寒々しい真昼の滑走路。
響き渡った打突音。
打った者は葛城ジンパチ、打たれた者はギャラガー・ロードリアス。
「……う、ぐッ」
……だが、呻き声を発したのは拳を引いたジンパチであった。
彼の足元に赤い雫が滴る。
拳が砕けてしまっている。
傷付いた右手を庇うようにして表情を歪めるジンパチを冷めた目で見ているギャラガー。
「気は済んだか、小僧」
「まだ……ッ! まだまだぁッッ!!」
ギャラガーの言葉に瞳に再び闘志を漲らせたジンパチが再度殴り掛かった。
今度は傷付いていない左手で。
しかしまたも棒立ちでそれを受けるギャラガーに傷付いたのは殴ったジンパチの腕のほうであった。
「うおおおおおッッッ!!!」
殴り続ける。蹴り続ける。
聞いている側が顔をしかめたくなるような激しい打撃音が続く。
飛び散る赤い飛沫はすべて攻撃側のもの。
ギャラガーはスーツに血の汚れの一滴すら付いていない。
「ジンパチ……」
止めに入ることもできなかったユカリが辛そうに足掻くジンパチを見守る。
ここからでも力ずくで彼を止めることはできる。
しかしユカリはそうしようとはしなかった。
「あほらし……なんで止めへんの?」
呆れて嘆息するキリヲ。
こうなる事は最初に一撃入れた時点でわかっていたはずだ。
「あれでいいんだよ~男の子なんてのはよ~」
だが、逆にショウセイは妙に嬉しそうだ。
「世の中オリコーさんばっかじゃつまんねえだろ~。わかりきった事だろうが『クソくらえ!』ってジタバタし続けるやつが少しはいねーとなぁ~。……案外、そういうやつがいつか本当に壁をブチ壊してその向こう側の景色を見るのかもしれねえ~」
ニヤニヤと笑って語るショウセイに胡散臭いものを見る目を向けるキリヲ。
両者の温度差は顕著である。
ジンパチの鬼気迫る猛攻は続いている。
だが……。
なすがままのように見える財団総帥が胸のポケットから葉巻のケースを取り出し一本咥えてライターで火を付けた。
「超人の強さとは魔力の量によって決まる」
相手に好き放題に打たせながら紫煙交じりに語るギャラガー。
「私は何もしていない。力んでさえいない。ただ、こうしてここに立ち煙草を吸っているというだけだ」
遂にジンパチの攻撃が止まった。
身体に限界が来たのか、それとも心が折れてしまったのか……。
彼はがっくりと項垂れる。
両手両足はボロボロで血塗れ。
だというのにギャラガーのスーツはやはり下ろし立て同様にピカピカだ。
「魔力は万能の力だ。ただ放出し身に纏っているだけで攻撃を増幅しあらゆるダメージから身を守る障壁となる。この血に生まれたというだけで私が持っている魔力をお前の攻撃は貫けない。ただ立っているだけの私にお前の拳は届かない」
「……ちくしょう」
血を吐くような……苦い声がジンパチの口から漏れた。
その肩に後ろからポンとユカリが手を置く。
「姐さん……俺ッ、俺は……」
涙を必死にこらえて歯を食いしばっているジンパチ。
「俺は、悔しいっす……!!」
「あんたが悔しいのはわかってるわよ。後は私たちがやるから。下がってそれをしっかり見てなさい」
ユカリの言葉にジンパチは下唇を噛んで肯いて……そして再度ギャラガーを睨みつけた。
「……葛城ジンパチだ!! テメーは……いつかこの名前を思い出す日が来るぜ!!」
「そんな日が本当に来ればいいがな」
冷めた口調で言うギャラガーは結局ジンパチを一瞥することもなかった。
そしてジンパチと入れ替わって自分の前に立ったユカリを見る財団総帥。
「悪いが、あの男の心情を慮ってやることはできん」
ギャラガーの手の中の葉巻がオレンジ色の輝きに包まれたかと思うと一つまみの灰すら残さず一瞬で焼失する。
「……住んでいる次元が違うのでね」
それに対してユカリが何かを言いかけたその時……。
彼女たちの側面の空がキラリと光る。
ズガッ!! と音が響いて地面の斜めに突き立つ何か。
位置はユカリとギャラガーのちょうど中間地点。
銀色の細長い何か……。
「矢……!! 狙撃手がいる! キリヲどうにかしてきて!!」
姿を見せていないロードリアスの四人目か。
着弾までユカリは矢の飛来に気付かなかった。
常軌を逸した速度と殺気を完全に殺した卓越した技術のなせる技……並みの射手ではない。
「いやどす~。こないなとこまで来てえっちらおっちら走ってられへんわ。自分でどうにかしやし」
しかしそんなユカリの要請に黒いセーラー服の少女は小さく舌を出してあっさりと拒否の姿勢。
「んがーッ!! もうッ!! そんじゃこっち任せるからね!! しっかりやんなさいよ!!」
言うが早いか猛然とダッシュを開始するユカリ。
敵はおそらくかなり離れた高所に陣取っているはず。
矢の角度から凡その方角を割り出して見てみれば空港の管制塔がある。
……射手はあそこか。
「シズマ死なないでね!! 後の二人は死んでもいいけどあっちを道連れにしなさい!!」
滅茶苦茶な事を叫びながら走っていくユカリ。
それを見送る薄い口髭の中年男が肩をすくめる。
「なんつー言い草だよ~。こっちは頼まれて来てるっつーのによ~」
嘆息交じりにそうボヤいたショウセイの姿が……唐突に消失した。
手品のように、魔法のように……立っていた場所から突然消えてしまった。
実際には彼は消えたのではなく高速で踏み込んだのだ。
眼前の……エトワール・D・ロードリアスに向かって。
「うおッッ!!!?? 危ねッッッ!!!!」
鋼同士のぶつかり合う音と飛び散る火花。
エトワールがいつの間にか手にしていた刀で突然斬り掛かってきたショウセイの一撃を受け止めている。
下段からの掬い上げるような斬撃……必殺剣『地走リ』だ。
「てんめ~ッ! コラッ!! オッサンが女子高生にいきなり斬りつけていいと思ってやがんですかコノヤローッッ!!」
「オジさんの必殺技をあっさり受け止めるんじゃね~よ~……JK~。俺は見た目よかナイーブなんだよ。ハートが傷付いちまうじゃねえかよ~」
軽口を叩きあいながらも閃く二本の白刃。
加速しながらぶつかり合う斬撃。
ここまでの両者の攻防は互角だが……。
「大したお嬢ちゃんだなぁ~俺とここまで渡り合うとはよ~。名のある師匠に付いて血の滲むような鍛錬を積んできた感じか~?」
鋭い斬撃を繰り出しながらショウセイがニヤリと笑う。
「……え? うんにゃ、あたし剣は学校の部活でちょこっとやってるだけ。高校入ってからね。カタナってカッケーじゃん! って何かビビッときちゃったんで。あたしの本業魔術師だし」
「……………」
あっけらかんと言うエトワールにショウセイが真顔になった。
「……許せねぇ~。JK~、テメーは今オジさんの心を深く傷付けたぜ~」
「ぶはッ!! 女子高生に急にぶち切れる中年、怖ッッ!!!」
何故か突然キレて猛攻を加えてくるショウセイに頬を引き攣らせるエトワールであった。
…………。
風切り音がする。
「キエエエエエッッッッ!!!!!」
まるで怪鳥のような甲高い雄叫びを発して上空から飛来する老婆……ゼノヴィクタ・V・ロードリアス。
ミサイルのような飛び蹴りだ。
それをキリヲが冷めた目で見上げる。
持ち上げた右手の前腕部で蹴りを受け止めるキリヲ。
受け止めて終わりではない。
左手で老婆の足首に軽く触れる。
「『ひめい』」
投げた。
空中で弧を描いて滑走路に叩き付けられるゼノヴィクタ。
めり込んだ老婆を中心に放射状に滑走路に亀裂が走り無数の破片が宙に舞う。
だが蜘蛛の巣のようにひび割れた地面の真ん中で仰向けの老婆が笑っている。
「ヒヒッ! 効かないねぇ~!」
「……小賢しいわぁ~。脳筋のクセして小細工使わんといておくれやし」
チッと舌打ちするキリヲ。
ゼノヴィクタは魔力を用いた受け身ともいえる技術でダメージを自分以外に分散しインパクトの瞬間に地面に流してやり過ごしたのである。
「んんんん~ッッ!!!」
倒れたままのゼノヴィクタが力む。
彼女の右腕がボコンと筋肉で膨れ上がった。
「じゃッッッ!!!!」
肥大化した右腕でスイングする老婆。
何もない空間をえぐり取るように横薙ぎに。
「ッ!!!」
不意に見えない力にぐんと引っ張られてキリヲが前方に移動する。
ゼノヴィクタのスイングは一時的に軌道上の空気を弾いて真空状態にし、その空気が元に戻る時に周辺の物体に吸い込みが発生したのだ。
そして無論老婆は引き寄せられてくる相手を何もせずに待っているわけではない。
「ほいさァッッ!!!!」
唸りを上げて襲ってくる拳。
そこに向かって引き寄せられているキリヲは回避ができない。
しかし黒いセーラー服の少女は冷静に向かってくる拳に右手を合わせ、手の甲で相手に触れた。
「『らくじつ』」
キリヲが手首を捻る。
その動きに合わせてゼノヴィクタが高速で横に回転して再び滑走路に叩き付けられた。
「ギヒィッッ!!!」
今度こそ老婆が苦痛の声を出す。
彼女のダメージ分散の妙技の呼吸はさっきの一回で計り終えている。
だから今度はそれが不可能なタイミングで投げた。
「効いたねぇ~。心地いい痛みだよ……」
バラバラと滑走路の破片を落としながら立ち上がってくるゼノヴィクタ。
立ち上がりながら……彼女が膨らんでいる。伸びている?
小柄だったシルエットが肥大化する。
顔面の皴が消えていき肌が引き締まっていく。
曲がっていた腰は真っすぐに……身長もどんどん伸びている。
そして立ち上がったのは身長180以上もある筋肉質で野性的な美女である。
見た目は二十代。がっしりとした体格で全身が筋肉に覆われていて露出した腹筋は見事に割れている。
「ようやく……お目覚めですのん?」
「イイ気分だぜ久遠寺ィィ……。久しぶりに本体で全力で暴れさせてもらうとしようかッ!!」
鋭い犬歯を光らせ不敵に笑うゼノヴィクタであった。
……………。
帝王の前に立つ黒髪の剣士……蛇沼シズク。
彼女の長い髪が強い風に靡いている。
「……俺が勝ったら他の連中の戦いを止めろ」
シズクの言葉にギャラガーが鷹揚に肯く。
「よかろう。約束しよう」
そして財団総帥が拳を胸の高さに持ち上げた。
その拳が金色の炎に包まれる。
単純な魔力の放出である。
彼の魔力が桁外れ過ぎて本来形も色もないはずの魔力が可視化されているのだ。
「……だが意味のない取り決めだ。帝王を倒すことは誰にもできん」
厳かにそう告げて目を閉じるギャラガーであった。




