最強の血族
煌神町、唐橋ソウシチロウ邸。
広大な和風の庭園にある大きな池の畔で小柄な作務衣姿の老人が錦鯉に餌をやっている。
唐橋ソウシチロウ。先々代将軍の異母弟であるこの老人は隠居して遠方に暮らしている現在でも幕府に隠然たる影響力を持つ巨魁である。
そして老人から少し離れた場所に立つ長身のスーツの男。
皇国の五大老、蛇沼ゼンマ。
「ご隠居様もお変わりなきご様子で。このゼンマも安心致しましてございます」
「うンむ……まぁ好きにやらせてもらっとる。そりゃ皇国にいる頃からそうだろって?」
老人の諧謔に軽く苦笑するゼンマだ。
「おンしんトコは何ぞドタバタやっとるようじゃな。色々聞こえてきとるぞい」
「お恥ずかしい限り……。少々倅を好きにさせすぎました」
眉をひそめて足元に視線を落としたゼンマ。
息子レンマの醜聞は皇国では当然表沙汰になってはいないが、それでもこの老人に隠し通すのは不可能だ。
「おンしの家の事じゃからあんまどーのこーの言いたくはないんじゃが……」
鯉の餌の袋を傍らの黒服の側近に手渡すと老人はぱんぱんと手を叩く。
「強引な事はするでないぞ。今までさんざほったらかしにしてきたんじゃから」
「肝に銘じまする」
そして当然、この老人にはゼンマが何故火倶楽を訪問したのかも筒抜けなのであった。
釘を刺されずとも彼の庭であるこの街で皇国の者同士が流血があるような悶着を起こせるはずもない。
「……ミレイ様はお元気であらせられますでしょうか」
「おぅ、それがのォ。最近めっきり明るくなりおってな。超人になったのは聞いとるじゃろ? それで車椅子も必要なくなったしな。……まァ、そこに至るまでには色々あったんじゃが。終わりよければじゃて」
煙管を吹かす老人は上機嫌だ。
「それは何よりでございます。上様もさぞお喜びになりましょう」
「武悠公がのォ……」
遠い目をするソウシチロウ老人。
嘉神武悠、皇国の十五代将軍。
ミレイの父の弟……叔父でありソウシチロウにとっては兄の孫だ。
「ところで……」
老人の声のトーンが若干低いものになった。
「ギャラガー・ロードリアスが火倶楽に入ったぞい」
「……!」
ゼンマの表情に陰が差す。
「バアさんと息子と姪っ子も一緒じゃ。あやつら仲良う家族旅行なんぞするタマじゃないぞい」
鋭く細められた老人の目が光を放つ。
裏の世界に名を馳せた一家の来訪の目的は仕事だ、と……老人はそう言っているのである。
「……………」
ギャラガー・ロードリアス……超人の一族として名高いロードリアス一家最強の男。
家長は母親ゼノヴィクタであるが実質的に一族を取り仕切っているのは彼である。
その強さにまつわる伝説には枚挙に暇がない。
世界最強の超人集団と言われているヴェーダー帝国の黒騎士たち。
その中の上位のメンバーとも戦場で互角に戦ったという話だ。
「ご隠居様、慌ただしいことで申し訳ありませんが……本日はこれにて失礼致します」
「うンむ」
頭を下げて慌ただしく退出するゼンマ。
早足で去る彼を見送り煙管を燻らせる翁であった。
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……参った。
非番なのでなんとなく街に出たシズク。
そうしたら二人でお出かけ中のユカリとルクシエルを見つけてしまった。
ユカリとシズクの休みが重なっていることは不思議でも何でもない。
シズクは常に『のすたるじあ』の定休日に合わせて休みを取っているからだ。
どう見てもデート中の二人。
ルクシエルはいつものすまし顔だがユカリは楽しそうにはしゃいでいる。
シズクは流石にそこに割って入れるほど配慮のできない人間ではない。
とはいえそのまま立ち去ることもできずに何となく二人の後を付けてしまっている。
内心で自分は何をやっているんだと嘆息しつつ。
ルクシエル・ヴェルデライヒ。
彼女の事は調べた。それはもうめちゃくちゃ調べ上げた。
ウィンザリア聖王国の聖騎士……だった娘。
父親はユカリによって引退に追い込まれた先代の聖騎士団長。
現在は『のすたるじあ』の住み込みスタッフだ。
……羨ましい。妬ましい。
嫉妬でどんよりとした気分になるシズク。
しかしこのまま目的もなく二人の追跡を続けていても益々惨めな気分になるだけだ。
引き返すか、とそう思ったシズクが踵を返す。
「……………」
ユカリたちに背を向けて歩き始めた黒髪の青年が一人の少女とすれ違う。
長いブロンドを靡かせたボーイッシュな格好の少女だ。
口からはキャンディーの細く白いスティックが覗いている。
(あれ、標的とバッタリ会っちまったじゃねーですか……)
その少女……エトワール・ロードリアスの表情は変わらない。
どこか拗ねたような、気だるげな彼女。
(ま、今は殺んねーですけどね。あたしは仕事とプライベートはキッチリ分けるデキる美少女ですんでね~)
ヒヒ、と犬歯を光らせて笑うエトワール。
結局僅かに歩調を緩める事すらせずにシズクの事はスルーする事に決めた彼女。
今日はオフなのだ。休みの日まで働こうとするのは仕事中毒者である……それがエトワールの信条だ。
「あ……」
しかしそんなエトワールも次に目に入ったある人物の姿に思わず立ち止まっていた。
(アイツ、知ってる。……えっと、誰だったかな)
ユカリだ。
目の前、少し離れた位置にユカリがいる。
相変わらず彼女は隣のルクシエルと談笑している。
しかしエトワールの視界にはユカリの姿だけがあってルクシエルはいない。
ユカリにのみ注意が向いているという事だ。
「……………」
その端正な顔には見覚えがある。
ブロンドの少女はポケットからスマホを取り出すとアプリの一つを起動した。
あるデータベースへアクセスすると、そこには世界中の超人のプロフィールが並んでいる。
(えっと~? ……あった! これだ)
証明写真のように真正面から真顔で撮影された無数の顔の中に一つ……笑顔でピースサインを出しているユカリの画像があった。
(ユリアーゼ……元黒騎士!! 最高序列は……6位!? あんなヤベー魔力してて上から六番目だってんですか! っか~ッ! やっぱハンパねーですね、黒騎士は……層が厚すぎ)
とはいえ、現在の黒騎士は一時の主力がごっそりと抜けてしまって随分と弱体化してしまったという話だ。
ヴェーダー帝国も皇帝の代替わりからすっかり大人しくなってしまい、かつての世界の暴君の面影はない。
(カッケーですよね、黒騎士。憧れだったなぁ、入らせてくれって散々駄々こねたっけかねー。結局お許しが出なくて駄目だったけど……)
エトワールの言う「許し」とは家の許可、一族の許可である。
そんな昔の事を思い出して彼女はフッとほろ苦く笑う。
(最強の看板背負ってて、そんで装束がお揃いの黒って、もうそんだけで最高でしょーが!)
そんな事を考えながらユカリを眺めていると、彼女がふとこちらを向いた。
ユカリとエトワール、二人の視線が重なる。
「……あは」
ニコッと笑って小さく持ち上げた手を軽く振るエトワール。
ユカリもそれに応えて笑顔で手を振り返した。
「ちょっと……誰よ、あれ」
へらへらしながら手を振っているユカリを半眼で睨んだルクシエル。
また自分の知らない彼女が生えてきた……この女は、とか思いつつ。
「え? 知らない人だよ~。カワイイ子だったね!」
臆面もなくユカリはそう答えた。
実際に知らない娘である。
「ものすっごいカワイイ子ではあったけど……」
……そして、ユカリは手を振っていた少女の方へ視線を戻した。
そこには既に彼女の姿はなかった。
「でもあれは……ホンモノの怪物だわ~」
呟くように言った彼女の頬を冷や汗が伝っていった。
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繁華街でのショッピングを堪能してエトワールはホテルに戻った。
煌神町でも最高級のホテルの高層階だ。
しかし大きな窓から折角煌神町が一望できる部屋なのに昼間からカーテンが閉め切られてしまっている。
部屋にはクラシック音楽がかけられていて窓際の小テーブルで銀色の髪の青年が文庫本を読んでいる。
どこか憂いを帯びたような儚げな美形の青年が読書をしている姿はなんとも言えず画になるシーンだが……。
「ガレ兄、まーたおこもりしてんです? 折角火倶楽まで来たんだからちょっとは外回ってきなさいよ。不健康でしょーが」
しかしエトワールは従兄のそういう所があまり好きではないのだった。
ガレオン・ロードリアス……彼は極まったインドア系だ。
今回も飛行機の中でも空港でも彼は青白い顔色で死んだようにグッタリしていた。
「……断る」
静かにそう言い放ち、ガレオンはゆっくりエトワールに視線を向ける。
彼の瞳は右がコバルトブルー、左がグレーでオッドアイだ。
その左右非対称な瞳の色が彼のミステリアスで神秘的な美貌を益々深めているように見える。
「人の多い場所に行くとオエッてなる」
神秘的な美貌の青年は物静かに情けない事を言い出した。
「我慢して留まっているとお腹痛くなってくる」
「ガレ兄は繊細過ぎだっつの。そんなんでこの先どーすんです? いずれガレ兄は一族の当主になるんでしょ?」
エトワールの言葉にガレオンが物憂げに嘆息する。
「まだ百年やそこらはババ様がトップでい続けるだろう。その次は父さんだ。父さんも数百年は頑張ってくれるはず。俺はその間に……どこかに逃げる」
「オイ、逃げんなよ」
思わずイヤそうな顔でツッコんでしまうエトワール。
「どこか人の来ない土地で静かにペンギンと暮らす」
「暮らすなよ」
ペンギン好きは単なる彼の趣向である。
飼おうと思えばいくらでも飼えるのだが映像や書物で見るに留めている。
彼曰く「生命を預かるという覚悟がまだ俺にはない」との事らしい……。
これまでに何人もの超人を葬ってきているのにペンギンを飼う覚悟はない男……ガレオン。
「人は怖い……。人のいない場所で暮らしたい」
重たい吐息を吐いて俯くガレオン。
……しかし、既にエトワールの興味は彼から離れており、彼女は備え付けの大型モニターにバラエティ番組を映し出してガハハと馬鹿笑いしているのであった。




