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縁談は唐突に

 薄暗く、仄かに青白い窓からの光だけが照らし出す室内。

 周囲に漂う事後の気怠く甘い空気。


「へぇ~、そんな事になってたのねえ……。それで、どうお返事したの?」


 ゆっくりとベッドで上体を起こしたユカリ。

 月光がぼんやりと浮かび上がらせた裸身が艶めかしい。


「……断ったに決まってるだろ」


 若干不機嫌な声でそう答えたのはユカリの傍らにやはり裸身で横たわっているシズクだ。


「やれるわけない。俺に……五大老だなんて。やる義理もない」


 ピロートークにしては重たい話題である。

 シズクが父によって持ち掛けられた帰郷の要請と跡継ぎの件。

 ちょっとだけシズクが不貞腐れているような感じになっているのはこの話題が不快だからというわけではない。


(俺がユカリから離れて遠くに行くはずがない)


 ……そこを察してくれていないのかというやるせなさからだ。


「お父様の反応は?」


「別に。それでキレるようならそれを理由にしてその場で帰るつもりだったが……」


 その時の状況を思い出して、白いシーツに顔を半分埋めたシズクが目を細める。


『そうか……。だがお前の将来を決める大事な話だ。よく考えてみなさい』


 意外な事にゼンマはシズクに対して怒りや不快さを露にする様子もなく静かにそう返しただけであった。

 少し肩透かしを食ったような気分になるシズク。

 仕方がないので彼女はそのまま父と食事をして帰って来た。

 その後の話題は当たり障りのないものばかり。

 会話が弾んだとはお世辞にも言えないが、険悪でもない……そんな曖昧な空気で数年ぶりの父娘の対面は終わった。


「あの男だってそこまで馬鹿じゃないだろう。俺に好かれていない事も、俺があの男の為に何かしようとする程の恩も感じていない事もわかってるはずだ」


 生活に不自由した事はない。

 生活費としては十分以上の金を母は受け取っていた。

 唸るほどの資産を持つあの男にとってみればはした金だ。

 事務的に出していただけで愛情の絡んだ金ではない。


 ……………。


 双子の兄、シズマとして成長したシズク。

 彼女は超人(オーバード)としての優れた才能を遺憾なく発揮し若くして既に剣士として完成しつつあった。


 そんなある日の事だ。生まれて初めて父からの呼び出しがあった。

 当時はまだ父という存在に淡い憧れと期待のようなものがあったと記憶している。


「それなりに剣を使うそうだな」


 初めてまともに顔を合わせた自分に冷厳な面相と声で言い放った父。


「立ち合いを見せてもらう。上様もご覧になっている。無様を晒し私に恥をかかせるような事のないように心せよ」


 その日は御前試合であった。

 ……将軍を前に剣士たちが腕を競い合う場だ。


 その中でもメインといえる最後の一戦に将軍家の剣術御指南役である流派の高弟のお披露目とも言える試合が組まれていた。

 ところがその相手が急病で出られなくなってしまったのだ。

 その代理として白羽の矢が立ったのがシズクだった。

 自分の事など興味もなく知りもしないと思っていた父であったが剣を学んで腕が立つという話は耳に入っていたようだ。


 自分は当て馬として呼ばれたのだ。


 シズクはその試合で五歳年上の相手を何もさせずに一方的に打ちのめした。

 その試合の結果を将軍は大層喜んだ。見事であるとシズクを褒め称え彼女は大量の褒美を下賜された。


 しかしそれを喜ばぬ者たちもいる。

 ……その筆頭がシズクの腹違いの兄であるレンマであった。

 取るに足らぬ妾の子として歯牙にもかけていなかったシズクの存在が突然クローズアップされた事に彼は大層焦った。

 跡継ぎとしての自分の地位を脅かされると思ったのだ。


 八歳年上の異母兄はシズクに対して本気の殺意を持った。

 幾度か刺客が送り込まれ、都度シズクはそれを撃退する。

 その事に恐怖したのは母である。

 娘の命の危険もそうだが、執拗に狙われれば彼女がシズマではないことが露見してしまうかもしれない。

 その事がどれだけ父を失望させ怒らせる事か……母は何よりそれを恐れた。

 母は狼狽し、父と相談してシズクを皇国から遠ざけることにした。

 父は驚くほどあっさりと母の言い分を容れてシズクを火倶楽へ送ることを決めた。

 息子同士が醜く争っていると言うのは彼にとっても醜聞だ。

 父はこの問題に早期に収拾を付けてしまいたかったのだ。


 火倶楽は皇国からの移民たちが築いた街。

 その為、伝手は色々とあった。


 そしてシズクは火倶楽へやってきて統治局に勤務する事になったのである。


 ……………。


「色々あったが、今は良かったと思っている。あのまま皇国にいたってどうせロクな事にはならなかった」


 当初は虚しさもあったがすぐに慣れた。

 元来独りでいる事には慣れている。

 言われるままに戦っていればいい。気楽な毎日だった。

 ……目の前のこの女に会うまでは。


 独りで完結していたはずの自分の世界に踏み込んできてぶち壊したこの女。


(我ながらチョロいな……俺は)


 独りが気楽で独りがよかったはずなのに。

 ユカリに出会って自分は独りに耐えられない身体に変えられてしまった。


 そのユカリはシャワーを浴びて今は目の前で呑気に鼻歌を歌いながら服を着ている。


「泊っていけばいいのに」


「そうもいかないのよ~。お仕事があるからね」


 少し困り顔でそう言って笑うとベッドの上のシズクに顔を寄せてキスしていくユカリ。


「また来るから。いい子で待っててね」


 手を振るユカリに無言で肯くシズクであった。


 ……………。


 同時刻、火倶楽グランドホテル・スィートルーム。

 大きな窓から煌神町の夜景が一望できる広い部屋。

 ナイトガウン姿の蛇沼ゼンマ。

 彼は革張りの椅子に座って琥珀色の液体の満たされたグラスを傾けている。


『旦那様、出てきました。壬弥社ユカリです』


 低い男の声で通信が入り、ゼンマが重厚な樫の木のデスクの上のモニターに目をやった。

 通信の相手は別の場所に控えている側近である。


 画面に映し出されているのはシズマの暮らしている高層マンションの入り口だ。

 建物から軽い足取りで出てきたユカリが画面に向かって笑顔でピースサインを出して通り過ぎていった。


『監視には気付いていますな』


「勘が鋭いな。優秀な超人(オーバード)だ」


 ゼンマの放った密偵はいずれも代々蛇沼家に仕えている者たち。

 超人(オーバード)ではないが、超人(オーバード)であろうともその存在を察知することは容易ではない腕利きの隠密だ。


『シズマ様の件は如何なさるおつもりでしょうか』


「後を継がせようというのだ。わだかまりが残るのは望ましくない」


 ゼンマはゆっくりと手の中のグラスを目線の位置まで持ち上げて揺らす。

 波打つグラスの側面には彼の冷徹な目が映っている。


「あれには……是非、()()()()()()()で皇国へ帰ってきてもらうとしよう」


 静かに、そして厳かにそう告げてグラスを傾けるゼンマであった。


 ───────────────────────────────


 一夜が明け、営業中の『のすたるじあ』

 店の駐車場に一台の銀色の大型高級車が停まる。

 すぐに助手席から黒服が降りて後部座席のドアを開け恭しく頭を下げた。


 後部座席から降り立ったのは長身の紺色のスーツの男……蛇沼ゼンマだ。

 彼は店の看板を見上げてから背後の部下たちを振り返る。


「お前たちはここで待機しろ。店には入るな」


「畏まりました」


 深々と礼をする部下たちを後にゼンマが『のすたるじあ』に入店する。


「いらっしゃいませぇ~」


 愛想よく笑顔で頭を下げるユカリ。

 しかし内心では彼女は入ってきた男にやや慄いていた。


(おぉぅ、すっげ~大物オーラ。……陛下を思い出すなぁ)


 男は多くの者たちを従える星の下に生まれたもの特有の空気を身に纏っていた。

 かつて自分がいた帝国(ヴェーダー)の支配者を思い出すユカリ。


「見せてもらおう」


「御用の際はお声掛けくださいね」


 店内をゆっくりと回るゼンマに頭を下げるユカリ。

 どう見ても御大尽……この手の人は用があれば向こうから呼んでくる。

 こちらからついて回る必要はないだろうとユカリは判断する。


「良いものを揃えているな。店主の目利きが窺える。……まがい物もあるようだが、それはきちんとそう断ってある。良心的な商いをしているようだ」


「恐れ入ります」


 微笑むユカリの方を向くゼンマ。

 褒めてくれているのは間違いないのだが男の冷たい無表情からはどういった感情からの発言なのかが察せられない。


「だが……もっと多くの『本物』に囲まれた生活をしてみたくはないか? 壬弥社ユカリ君」


「えっ……?」


 急に見知らぬ大物から名を呼ばれてユカリが驚く。


「君がもしシズマに嫁いで、蛇沼の家に入ってくれるのなら私が皇都の一等地にここの十倍の規模の店を用意しよう。当然、店舗の規模に見合った品物を添えてな」


「……………」


 蛇沼……!

 この男が件のシズクのパパさんか! とユカリが初めて気付く。

 皇国の五大老、将軍直下の五人の大幹部。


「目利きを磨きたいのならば、やはり本物に囲まれた生活を送らなければな。ここの骨董の品々のほとんどは皇国のものだ。ならばその中心たる皇都でのれんを出すべきだろう」


「そ、そ、そんなお話を……。突然のことでなんとお返事していいやら……」


 カウンターの内側にいるユカリ。

 ゼンマからは見えていないがその腰から下……膝がガクガクとヤバいくらいに揺れている。


(あーぁ、揺らいでる揺らいでる……)


 後ろから二人のやり取りを見ていたルクシエルが内心で嘆息した。

 ゼンマの提案にユカリが揺さぶられている。


「でも、火倶楽にはお世話になっている人が大勢おりまして……」


 なんとか踏みとどまったのか、申し訳なさそうに言うユカリ。


「何も二度と戻ってこれない場所に嫁いで来いと言っているわけではない。皇都から火倶楽へは旅客機でせいぜい3時間半程度だ。向こうへ行ってからもこちらの知己にはいくらでも会いに来れる」


 片道三時間半のフライトははっきり言って車で店から火倶楽の端っこまで行けと言われるよりもかかる時間は短い。

 そう考えると皇国もそう遠くはないな……? と思い始めるユカリ。


「君もシズマの事は憎からず想ってくれているはずだ。商売の事以外でも君が皇国で快適な暮らしを送る為にできる限りの援助はさせてもらう。どうかな、ユカリ君。シズマと二人で皇国へ来てもらえまいか」


 落ち着いていて静かにだが有無を言わさぬ圧を持って要求するゼンマに思わずごくりと喉を鳴らすユカリであった。


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