ごめんなさい、が言える関係
明かりも付けない校内の廊下を早足で進む白い影。
近衛教諭……口ぶりからするにこの星辰館学園の教師であるらしい。
彼の腕の中には意識を失った久遠寺キリエがいる。
そんな二人の後ろを無言で付いていくユカリ。
本音で言えば自分の「キリエをブッ飛ばす」という目的はもう達成できたのだし、疲れたし痛いし眠いしでおうちに帰りたいのだが……。
「一緒に来てもらおう」
意識のないキリエを抱き上げた近衛神父にそう言われてしまったので帰るわけにもいかなくなってしまったのだ。
無視して勝手に帰ってやってもいいのだが、そうすると通報でもされるとめでたく新聞の一面を飾ってしまう。
深夜の学校に忍び込んで大暴れして女子高生を血祭りにした女、というのは近所で評判の美人店主(自称)の新たな飾り言葉としてはあまりにも不適切。
よって渋々ながら彼に従って後ろに続いているユカリであった。
廊下にはぼたぼたとキリエの流している血が垂れていて暗闇の中でそれを踏まないようにユカリが注意を払う。
超人は普段から周囲に微弱な魔力を放出してそれがセンサーのように作用しているので闇の中でもある程度周囲のものを感知する事ができる。
ただあくまでもそれは大雑把に大きなものがわかるというだけだ。
「近衛ジェイドだ。この星辰館学園で倫理を教えている」
その名を表すかの如く翡翠の色をした髪の男が振り返らずに名乗った。
「私はー……」
「君の事は知っている。壬弥社ユカリ」
名乗ろうとしたユカリに台詞を被せてくるジェイド。
「最近何かとご活躍のようだな」
「こっちが望んでそうなってるわけじゃないけどね……」
ハッと苦笑してからげっそりした表情で返すユカリ。
どうにも淡々とした語り口調で本音なのか皮肉なのかジェイドの言葉はわかりにくい。
「部外者を校内に入れちゃっていいの?」
「今夜はここには我々以外は誰もいない。統治局からまだ許可が下りていないからな」
とすると、この男も許可なしに本来入ってはいけないはずの校内に入り込んでいるという事だろうか?
それとも……。
「僕は統治局とは関りはない」
ユカリの頭に浮かんだ疑問に対して先回りして返答してくるジェイド。
「独りだ」
社会的身分としては神父と教師という二つの肩書を持っているのだから、彼の言う「独り」とは超人関連の何がしかの組織や集団に属する身ではないという意味なのだろう。
彼が本当に超人だとするのならだが……。
ユカリはそうだと思っているものの今一つ確信が持てない。
非常に奇妙な感覚である。
(こういう人には初めて会うなぁ……。超人だと思うんだけど、ちょっと違う気もする)
こういった自身の直感が惑わされるような感覚は初めてである。
強さに関してもそうだ。
そのあたりの感覚が鋭敏なユカリは目の前にすれば相手の戦闘力の大体を推し量る事ができる。
しかし彼に関してはその感覚が今一つ働いてくれないのだ。
自分より強い気もするし、そうではない気もする。
……………。
どこかの部屋に入って壁のスイッチで電気を付けるジェイド。
明るくなると浮かび上がる数台のベッド。
いずれも白い布の衝立で仕切られている。
保健室だ。
「座ってくれ。辛いのなら君も横になっていろ」
そう言いながらジェイドはベッドにキリヲを寝かせるとセーラー服を脱がせて手当を始める。
傷口や汚れを拭ってガーゼを当てて包帯を巻く大雑把なものだ。
普通の人間であれば確実に致命傷であるはずの傷にその対処なのだから、やはり彼は事情を知る者なのだろう。
(それにしても、ほんとにキレーなお顔だなぁ……)
クールで中性的な美形。
ここまで闇の中だと雰囲気が大人びているのもあって成人の見た目かと思い込んでいたが明るい場所で見るとそれよりも幼く見える。
二十歳になるかならないか、くらいの。
体型も細身だし、身長は男性としては決して長身とはいえない170cm前後くらい。
ジェイドを観察しながら棚から包帯やら絆創膏やらを取り出すユカリ。
室内の長椅子に腰を下ろして勝手に自分の手当てを始める。
「……それで、どうしてこういう事になった? 首を突っ込みたくはないが学園に勤めている者として尋ねないわけにはいかない」
「あ~……えーとですね……。そいつとは古い馴染なんですけど、意見の相違からこういう事になったといいましょうか……」
キリヲの応急措置を終えて自分をまっすぐに見てくるジェイド。
それに対してユカリは気まずそうに視線を逸らす。
なんだか、説教を受けているような空気と気分だ。
学生時代の事など昔の事すぎて薄ぼんやりとしか覚えてはいないが。
「……少なくとも学園では控えて欲しい。君もこれ以上『ご活躍』が評判になるのは望むところではないだろう」
そしてジェイドは視線を泳がせる。
言葉を選んでいるかのように。
「……僕もここが無用な注目を浴びるのは望ましくない」
「…………」
学校に悪評を立てたくないという意味だろうか。
それとも学校に注目が集まる事は自分にとって不利益であるということなのか。
「話は終わりだ。これ以上聞きたい事はない。動くのが辛いのであれば休んでいってもらって構わないができれば夜明け前には帰ってくれ。日が昇ってから誰かに見られた場合は庇ってやれるかはわからない」
「……は~い、そんじゃ帰りま~す」
よっこらせ、と立ち上がったユカリがグラッと傾いた。
正直、動くのはかなりキツい。
とはいえ留まるわけにはいかない。
……ルクシエルが心配しているかもしれないし。寝ていてくれればいいのだが。
「あ、そうだコノエ先生。そいつ、目覚ましたら連絡貰えます? まだ話さなきゃいけない事があるんで。そいつ自身に掛けさせてくれてもいいですから」
「わかった。……それと、僕の事はジェイドで構わない。君は学生ではないしな」
ジェイドの白い神父の装束はキリヲの血でかなり汚れてしまっていた。
あれは洗って落ちるのだろうかと他人事ながら心配になる。
「せんせぇ~、さよ~なら~」
「僕はジェイドでいいと……」
嘆息混じりにジェイドが振り返った時にはもうそこには誰の姿もなかった。
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……数日が過ぎた。
青空をバックに聳え立つ大きな白い建物。
火倶楽中央大学附属病院……ここはミレイが無意識に力を暴走させて破壊してしまった総合病院と並ぶ火倶楽第二の大病院だ。
ミレイは現在検査の為にここに入院している。
「……………」
そのミレイが今、ベッドの上で上体を起こして呆気に取られて言葉を失っている。
ベッドの傍らには二人の見舞客の姿があった。
「ほらッ! ちゃんと謝んなさいよ! しっかり心を込めて!!」
全身を包帯と絆創膏まみれにしたユカリと……。
「わかっとります~! 小突かんといておくれやす!」
そのユカリに隣から肘で小突かれて痛みに顔を顰めた……やはり全身を包帯と絆創膏まみれにしているキリヲ。
なんだか異様にボロボロの二人だ。
どっちが患者で見舞客なのかわからない。
「キリヲ……」
「え、ええとなぁ……ミレイはん。今回はその……あてのワガママで振り回して危ない目に遭わせてしもて……ホンマに堪忍しておくれやし」
彼女にしては珍しくたどたどしい口調でそう謝罪してからキリヲが深く頭を下げた。
それでもやっぱりミレイは茫然としたままだったが……。
「よかった……」
呟くようにそう言って、ミレイの瞳に大粒の涙が浮かぶ。
キリヲのセーラー服の袖を引いて自分の方に引き寄せてから腹のあたりに額を押し付ける様にして彼女は啜り泣きしている。
「よかった……っ。私……心配で……。キリヲがどうなったのか聞いても、皆知らないって言うし……」
「……………」
自分に縋って大泣きしているミレイにまたも珍しく少し狼狽えているように見えるキリヲ。
珍しい、とユカリは思った。
そんなキリヲは黒騎士時代にも一度も見た事はない。
……その日は、それからキリヲの口元にいつもの薄笑みが戻る事はなかった。
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そしてまた数日が過ぎて……。
ミレイが学園に戻れる日がやってきた。
……………。
昼休みの星辰館学園中庭。
校庭と体育館の復旧工事はもう始まっている。
相変わらずいつものベンチにいるミレイとキリヲ……そして今日はアカネも。
「大した事なくてよかったね~! ミレイちゃん! 一週間入院は大したことなくはないか……」
パックの苺ジュースを飲んでいるアカネが首を傾げる。
「ほとんど検査だったから……私は平気」
友達でもあれこれ詳しくは事情を説明できないミレイがちょっとだけほろ苦く笑う。
今日のミレイはいつもの杖を持っていない。
彼女が車椅子で学校に来ることもなくなった。
足の麻痺が癒えたわけではない。
超人になった彼女は魔力で足を動かす方法を少しずつ訓練しているのだ。
片足だけは人形遊びのように外からの力で動かすような感覚である。
その事を回復だと信じて疑わない友人たちは喜んでくれている。
「ヤマベエイコはんも、もうちょい入院したら戻ってこれる言う話やさかい。よろしゅうおしたなぁ」
キリヲはまだ少し包帯と絆創膏を身体に残している。
魔力の消耗が大きかったので回復が遅れているのだ。
それがユカリとの戦闘による傷だと夢にも思わないミレイはあの緑に汚染された家で負った怪我だと思っている。
ヤマベエイコは意識を取り戻して療養中。
あの日、ミレイたちがあの家で遭遇した緑人はやはり変異してしまったサクラユウイチだった。
彼が何故そのような姿になってしまったのか……汚染は何が原因だったのかについては統治局環境保全課が現在調査中だ。
ユウイチは命を取り留め人間の姿に戻りつつはあるものの完全に回復できるかは運次第といった状況らしい。
ヤマベエイコが何故サクラユウイチとの交際を家族には告げられなかったか。
それはやはり家族の……父親の反対が原因であったらしい。
下請けの息子に嫁にやるわけにはいかん! ということだ。
……その父親も今回の事件には酷くショックを受けている様子との事だが。
世間的にはヤマベエイコとサクラユウイチは事故に巻き込まれたという事になっている。
ミレイの負傷もその一件とは無関係の怪我だとされていた。
正直突っ込んだ事を聞かれても答えられないのでミレイにとってはその措置はありがたい。
幾分かの謎を残し……全てがハッピーエンドとはならなかったものの。
何事もない日々が学園に戻って来た。
……その一方で。
少し時は遡る。
「なんで飲みにいっただけでそんなになって帰ってくるのよ!!!!」
激怒するルクシエルの前で正座させられている包帯と絆創膏まみれのユカリ。
「……それがですね。些細な口論から乱闘になってしまいまして」
だらだらと冷や汗を流しながら必死に弁明する。
しかしルクシエルの怒りは収まってはくれず……。
「あんたは当分禁酒ッッ!!! 破ったら私もう口きかないからね!!!」
「……ひぃぃぃぃぃん!!!!」
人知れずユカリが制裁を食らって悲痛な泣き声を上げた事は知らない彼女たちであった。




