呼べば来る
絶望感で眩暈がする。
あまりにも……遠い。遠すぎる。
久遠寺キリヲ。
何をやっても通じない。
こちらのあらゆる攻撃を無効化されてしまう。
(……ちっくしょ~~~~ッッ!! 強すぎる!!!)
既にユカリは満身創痍。
体中の傷からの出血が続いているし消耗も激しい。
精神的にもギリギリの状態だ。
ユカリにとって、キリヲとの戦いとは心境的にずっと奈落の底に張られた一本の細いロープの上を綱渡りしているようなものなのだから。
「温まってきましたなぁ」
傘をさして涼し気に微笑んでいる黒いセーラー服の少女。
殺し合いの最中だというのにその余裕。
「若い身体で本格的に戦うのは初めてやけど、ようやく少しこなれてきた感じどすえ」
……こちらが更に気が滅入ってくるような事を言ってる。
ジロリとキリヲを睨んだユカリ。
全盛期に劣る肉体で尚あれだけ強いのか。
「ジョーダンじゃないっての……もうやってらんないわよ。このバケモノ。勝てるわけないじゃない!」
乱れた呼吸交じりに低い声で愚痴る。
頬を伝って落ちる真っ赤な雫。
苦々しげに吐き捨てた台詞を聞いたキリヲが……くすっと笑った。
「ふふっ、ウソが下手くそどすえ」
小首を傾げて楽し気に彼女は笑っている。
「気ぃ付いてへんの? 言うとる事とお顔が合うとりまへんえ」
「……!」
言われて……本当に初めて気が付いた。
絶望から憎まれ口をたたいたはずなのに。
今、自分は笑っているのか。
確かにユカリの血で汚れた口元には喜悦の相が浮かんでいる。
「あんたはんもあてとおんなじどすえ。血の匂いをさせたケモノやさかい。……せやろ?」
「……………」
右掌を口に当てて、むにむにと頬をほぐして口元の笑みを消すユカリ。
(いや~……ヤバいヤバい。何で笑ってんの私。こんなの全然楽しくないし。好きじゃないし、殺し合いとか。オマケに負けてるし)
超劣勢の現状にも頭に来ているし、それをキリヲが「でも楽しいでしょ? わかる」みたいに言ってくるのにもハラが立つ。
……落ち着こう。
大体がなんで自分は殺す殺すと躍起になっているのだ。
こんなヤツ死のうが生きようがどうでもいい。
そこだけは確かにさっきキリヲの言った通りかもしれない。
死ぬの生きるのはどうでもいい。どうでもいいが……。
「ところがね。ユカリさんはもうそういうのは卒業したの」
「……?」
怪訝そうな表情になるキリヲ。
「普通の……真人間になったのよ。今の私は街でも評判の美人店主のユカリさん」
どさくさに紛れてユカリは虫のいい事を言っている。
下を向いたキリヲが苦笑する。
「そない簡単な事やあらへんやろ」
それは業だ。
簡単に拭い去れるものではない。
そう言ってキリヲは笑う。
「あてと殺し合うとればすーぐ思い出しはるわ。自分がどんな本性だったんか」
(聞かない聞こえない! 耳を貸すなーッ! これがこいつの手なんだから! こいつの話聞いてたらこっちの考えもどんどんズレてっちゃう)
こういう時に自分が信条としていた言葉があったはずだ、とユカリは記憶の引き出しを開けて中身をあれこれと引っ張り出してみる。
ああ、そうだ……。
(『囚われない』だ! えっと、これ誰の言葉だったかな……)
いつの話だったか。
どれほど鍛錬を積もうがハイドライドやキリヲに実力で届かずにユカリが焦りを感じていた頃だった気がする。
『執着すればするほど案外求めとるもんは離れて行ってまうもんどすえ』
そうだ、それを言ったのはよりにもよってキリヲだった。
今とは違う成人女性の姿をしていた時の彼女。
『もっと心を自由にしやし、ユリアーゼ。そしたらあんたはんの剣はどないな相手にも届きはるやろ』
(まぁ、別におかしい話でもないか。こいつには結構色々なことを教わったからね)
はっ、と思わず苦笑してしまう。
自分の心に平静を取り戻させたのが、それを乱している張本人からの言葉とは……。
ともあれ望んだ落ち着きは得られた。
「あんたの言う通りだったわ、キリヲ。あんたが死のうが生きようがどうでもよかった。頭に血が上ってヘンな事にこだわってたわ、私」
「へぇ……?」
少し意外そうなキリヲの反応。
彼女は何かを警戒するように目を細めてユカリを見る。
「ほんで? もうやめとくっちゅうわけやあらしまへんやろ?」
「とーぜん!! あんたはキッチリぎゃふんと言わすわよ。それがケジメだからね」
ニヤリと不敵に笑ったユカリが前方のキリヲに人差し指を突き付ける。
憎悪の霧が晴れて妙に頭がスッキリしている。
全身の激痛は相変わらずだが……。
「……………」
キリヲの口元の薄笑みが……消えた。
「知らんかったわぁ」
真顔になって彼女が言う。
「可愛がってた妹分が自分の高さまで来たいうんは嬉しいだけやなくてカチンとくるもんなんどすなぁ」
久遠寺キリヲが……来る。
畳んだ黒傘を構えて襲い掛かってくる。
こういう時、彼女はいつもの何倍も大きく見えた。
しかしユカリはもう怯まない。
同時に距離を詰めてキリヲに向けて鋭いハイキックをぶちかます。
これは当たらない。キリヲには通らない。
先ほどまでならそうだっただろう。
空中で鞭のようにしなって軌道を変えるユカリの蹴り。
それは先ほどキリヲが拳打で見せた攻撃だ。
「……!!!」
咄嗟に傘を開いたキリヲ。
『むくい』で攻撃を反射するつもりが……。
(……間に合わへん)
バキバキと音を立ててキリヲの黒傘が横から蹴り破られる。
開いた状態で正面から相手の攻撃を受ければ無敵の彼女の傘だが……開いている時に横から攻撃を受けると脆いのだ。
「やったーッ!! ざまみろーッ!!」
「あかんたれ。この程度のことで喜びすぎどす」
壊れた傘を手放したキリヲがユカリの手首に触れた。
掴んだというほどの力も入っていない。
優しく触れただけ。
(……投げられるッッ!!!!)
しかしユカリがそう思った瞬間、既に彼女の視界の天地は逆転していた。
「『ひめい』」
空中で綺麗な弧を描き轟音を立てて背中からグラウンドに叩きつけられるユカリ。
「んぎぎぎッッッ!!!!!」
歯を食いしばって苦痛の叫びを嚙み殺す。
そのユカリ視界にフッと影が差す。
「!!!!!」
視界いっぱいに広がったキリヲの革靴の靴底。
弾かれたように転がって辛うじて回避する。
一瞬前までユカリの顔面があった場所に振り下ろされたキリヲの脚が再びグラウンドに轟音を響かせた。
(えげつなッ! 投げて即顔面を踏み潰しにきた……!!)
転がった勢いを利用して跳ね起きるユカリ。
「……あっ」
その左腕が……先ほどキリヲに取られて投げられた左腕が力なくだらんとぶら下がる。
肩を外されてしまっている。
投げられた時か。
「んッッ!!」
ユカリは脱臼した左肩を右手で掴むと無理やり押し込む。
痛みがあり元通りとはいかないもののどうにか動かせるようになった。
「無茶しはりますわぁ」
目を細めてキリヲが苦笑し……。
「そろそろええ時間どすなぁ」
「……!!」
セーラー服の少女が無造作に距離を詰めてくる。
……終わらせる気だ。
やはり素手での勝負は久遠寺キリヲの独壇場。武器有りよりも数段ユカリは不利になる。
勝ち目は限りなくゼロに近い。
それでも。
それなのにユカリも前に出る。
両者の距離がゼロになる。
……その直前。
「来いッッッ!!! ポチッッッッ!!!!」
ユカリが叫んだ。
同時に唸りを上げて高速で飛翔しユカリの手の中に収まる魔剣ブロークンハート。
漆黒の魔剣が今所有者の手に戻った。
「……!!」
初めてキリヲが驚愕する。
これが、これこそがユカリの魔剣の秘められた能力。
『呼べば来る』
自分で「失恋」なんて名前を付けたくせに呼び出すときはポチ。
だって一息に言うにはちょっと長いから……ブロークンハート。
今の今まで剣を呼び戻さなかったのはこの瞬間を待っていたからだ。
最初にあえて自分で拾いにいって一度断念したのもキリヲの注意を剣に向けないようにする為の仕込み。
キリヲは思いもよらぬタイミングで剣を手元に引き戻したユカリに反応が追い付いていない。
吹っ飛んできた魔剣を空中でキャッチしながらそのまま横薙ぎの体勢に……。
ユカリが交差しながらキリヲを斬る。
「……………」
ユカリとすれ違ったキリヲ。
一瞬の硬直。そして静寂。
そして彼女のわき腹から激しく赤い飛沫が迸る。
(よし勝った!! 臓腑に届いてる……戦いながら治せる傷じゃない!!!)
勝利を確信したユカリ。
その手から魔剣が地面に落ちた。
……もう握ってもいられない。
超高火力だが持っているだけでも魔力をガンガン消耗していく。
それがこの魔剣の弱点だ。
無数の負傷の回復にも魔力を回しているユカリは既にガス欠に近い状態だった。
「……うッ」
……その次の瞬間。
全身を貫いた激しい悪寒に彼女は表情を引き攣らせる。
「……よう、ここまで」
キリヲが……久遠寺キリヲが笑っている。
瀕死のはずの彼女が笑っている。
押さえた脇腹から今も激しく出血しているのに。
「鍛え上げはったなぁ……」
傷口を手で押さえ、前のめりのままゆっくりと彼女が振り返った。
「ご褒美に……あてのほんとの正体とほんとの恐怖を……お目に掛けまひょか」
逃げるべきだ、と。
本能が言っている。
これ以上この場に1秒でも留まるべきではないと。
「でも、そーゆーワケにもいかないのよね~……」
「そこまでだ」
……男の声が急に聞こえた。
ユカリとキリヲが同時にその声がした方を見る。
ザッザッとグラウンドの砂を鳴らして一人の男が近付いてくる。
真っ白でシンプルな聖職者の服を着た男だ。首から銀の鎖の女神の聖印を下げている。
(……うわっ、めっちゃ美形)
思わずユカリが自分の置かれた立場と状況を忘れてそんな事を考えてしまうほど顔立ちの整った男だった。
エメラルドグリーンの長い髪に涼やかな目元で色白の彼。
女性的にも見える顔立ちだが男装の麗人というわけではなさそうだ。
もしそうならユカリのヘンなセンサーが作動してシズクの時のように看破できるから。
ユカリは知らない男だったがキリヲは面識があるらしい。
口元をべっとりと血で汚した彼女が赤く輝く目を細める。
「……近衛センセ、邪魔だては無用どす」
「そうはいかない」
コノエと呼ばれた琅玕の髪の聖職者。
「深夜に学園の敷地内に入り込んで暴れている者がいるとなれば……教師としては黙っているわけにはいかない」
白い服の神父が目を閉じて静かに首を横に振る。
「……まして、その片方がうちの学生であるというのならな」
近衛神父とキリヲの視線がぶつかり合う。
血だらけの彼女の姿にさして動揺もしていないところを見るとある程度の事情を察する事のできる者……この男も超人か。
沈黙。
やがてキリヲがフゥと嘆息する。
「しゃあないわぁ……今回は水入り……」
言いかけた彼女の頭を……。
「あっ!?」
ユカリが両手で掴んだ。
もう剣も持てない以上……こうするしかない。
「ふんがーッッッッ!!!!!!」
ドガッッッッ……!!!!!
振りかぶって自分の頭をキリヲの頭に思い切り叩きつけたユカリ。
目の前の唐突の惨劇に思わず近衛神父がその端正な顔を歪める。
唐突に頭突きを食らったキリヲの口元が歪む。
それはやはり笑みだったのだろうか。
「……無茶苦茶……しよる……わぁ……」
頭部から激しく出血しながら、遂に久遠寺キリヲは昏倒してその場に崩れ落ちた。
「よしッッ!! 勝った……!!!」
そして自分も頭からだらだら血を流しつつユカリがガッツポーズをするのであった。




