或る目覚め
何故か愛用の武器を置いて素手での格闘戦を挑んだキョウコ。
彼女の容赦のない打撃の炸裂する音が緑に侵された空間に響き渡っている。
織原キョウコの拳や蹴りは全て特殊な魔力の波動を帯びている。
それは打撃と同時に内部に浸透し人体を浸食している緑の要素のみにダメージを与える。
人体部分へのダメージを最小限に緑の要素を削っていく。
それは悪性の腫瘍を切除する手術にも似た攻撃であった。
キョウコはそれを誰に学ぶのでもなく独学で編み出し習得した。
数百を超える侵食樹海の生物たちとの戦いの中で身に付けた技術。
同じ事をしろといわれてもそれはユカリでも不可能だ。
「あ……」
思わず声を出していたルクシエル。
明らかに緑人の様子が最初とは変化してきている。
一撃受けるごとに体表から植物部分が削れて落ちていって……人の姿に戻りつつある。
「オォォッ……!!」
苦しげな声を上げて身をよじる緑人。
上半身全部を使って鞭のようにしならせて振り被った太い腕で殴りかかってくる。
「辛かったでしょうね。もう楽になりなさい」
大気を切り裂くようなその一撃もキョウコにかすることすらできずに数本の髪の毛を散らすだけだ。
かわしながら腰を低く落として拳打の構えを取るキョウコ。
全身のバネを使って放たれた渾身の拳が緑色の腹部に突き刺さる。
建物全てを震わせるような打突音が響き渡った。
「……できる限りの事はするわ」
「ゴ……アッ……」
呻いてガクンと仰け反り二三度大きく震える緑の魔物。
……そして緑人はゆっくりと床に崩れ落ちた。
長い息を吐いて項垂れるキョウコ。
一方的に勝ったように見える彼女だが脚がふらついている。
「お疲れ様~キョーコちゃん」
スッと腰に手を回してよろめくキョウコを支えるユカリ。
「はぁ……っ。しんどい……。久しぶりにやったけどやっぱり神経削るわ、これ」
キョウコの呼吸は乱れ、額には汗が浮いていた。
どうやらあれは相当に消耗する戦闘法らしい。
ぐったりしているキョウコをルクシエルに預けるとユカリは縛り付けられている二人を救出する。
ミレイは……安心したのか再び意識を失ってしまっていた。
エイコも同様に昏倒している。
「侵食樹海が獲物を確保するのは養分にして緑人に変容させる為よ」
ルクシエルに肩を借りたキョウコが近付いて二人を観る。
だから捕えたものは死なせないように維持されているはずだと言うキョウコ。
彼女の言葉の通りに二人とも命に別状はなさそうな事を確認してひとまずホッとするユカリ。
そして、ミレイとエイコの二人は病院に収容される事になり緑人は環境保全課によって回収されていったのだった。
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病床のミレイ。
薄手の掛け布団の下から覗く白い手に繋がれた点滴の管が痛々しい。
しかし彼女の寝息は穏やかであり寝顔も苦しげな様子は見受けられない。
一通りの診察は既に終えている。
少々の擦り傷があるだけで侵食樹海による影響もほぼないという。
「……世話んなったのォ」
数名の厳つい雰囲気のスーツの男たちを率いて病院にやってきた小柄な作務衣の老人……唐橋ソウシチロウ。
普段飄々としているこの半ば妖怪じみた老人も流石にミレイの姿を見て物憂げに目を細めた。
「いえいえ。大した事はしてないです」
謙遜して笑うユカリ。
その笑顔が若干ぎこちないのは本当に自分が大した事をしていないと思っているからだ。
結局現場の戦闘もキョウコがこなしてしまったし……。
とはいえ怪しいメールを見た彼女が迅速に行動しなければ事態はもっと深刻な状況に陥っていた事だろう。
「ここんとこ休みは学校の友達と遊びに行くと言うとってなぁ。監視を出すのも無粋かと思って好きにさせとったんじゃが……。まさかこんな事になるとはのォ」
四六時中監視が付くのも息苦しいであろうと言う老人の配慮であったが、今度ばかりはそれは裏目に出てしまった。
「あ~、一緒にお友達も救助されてましたね……」
ユカリが言っているのはヤマベエイコの事である。
……ユカリは勘違いをしている。ミレイと休日一緒に過ごしていたのは彼女ではない。
しかし現場には他に誰もいなかったのでそう考えるのは無理もない事だ。
ちなみにヤマベエイコはミレイに比べて衰弱の度合いが激しく軽微ながら樹海の汚染が見られたために専用の治療室に収容されている。
ともあれ、危険な目に遭いはしたもののユカリの大切な美少女は無事であった。
サクラユウイチの家は浄化指定区域となり既に環境保全課が作業を開始している。
めでたしめでたし、そう〆ても良いだろう。
誰もがこの時はそう思っていた。
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……時刻はまもなく午前零時を回ろうとしている。
冷たい月光が照らす総合病院の屋上。
その高いフェンスの上に腰を下ろしている黒いセーラー服の少女。
長いストレートの黒髪が夜風に靡いている。
「……う~ん、あきまへんなぁ。あての目違いどしたんやろか?」
久遠寺キリヲは苦笑している。
形の良い眉の端を少しだけ物憂げに下げて艶やかな唇には薄笑み。
「ユカリ……あの子が思てたんより早うに着いてもうたからやんなぁ。手際が良すぎるのも考え物どすえ」
はふ、と嘆息にも似た吐息を漏らして月を見上げるキリヲであった。
……………。
同時刻、病室。
うなされている……ミレイが。
閉ざされている瞼がピクピクと痙攣しており、彼女は時折苦しげな息を吐く。
額には玉の汗が浮き、掛け布団を握る手にぐっと力が入った。
悪夢を見ていた。
無数の怪物たちに襲われる夢だ。
シルエットの怪物たち。
それらの形状は昼間に遭遇した緑人に似ている。
悲鳴を上げて逃げようとするミレイ。
だが左足が上手く動かずに彼女は倒れてしまう。
迫ってくる黒い影の魔物たち。
絶体絶命……血が凍っていくかのような恐怖感。
泣いて叫んだ。
助けを求めた。
しかしそんな自分に影が覆いかぶさってきて……。
全てを光が薙いでいった。
砕けて消えていく黒い魔物たち。
呆然と見上げる自分に誰かが手を差し伸べる。
ユカリだ。
大好きな……この世で一番大事な女性だ。
恐怖の涙が歓喜の涙に代わり自分は彼女の胸に飛び込む。
ああ、この温もりが……。
自分が生きる理由だ。
『ホント、ど~してこんなに手が掛かるのかな~……このお嬢様は』
冷めた声が耳に聞こえてミレイが全身を強張らせる。
驚いてユカリを改めて見る。
ユカリはいつもの優しい笑みを浮べて何か自分に語りかけてきている。
おかしい……その声は聞こえない。
だというのに自分の耳には今別のユカリの言葉が聞こえてきている。
『しょーがないか! この子片足だもんね~。お偉いさんの娘だから御丁寧に扱ってやんないとね』
「ユカリ……ユカリぃ…………」
カチカチと奥歯が鳴っている。
ミレイは真っ青な顔で震えている。
違う。
ユカリは……こんな事は言わない。
言わないはずだ……。
『言葉にしなくたって、皆そう思っているわ。知っているでしょう? 気付かないフリをしているだけで』
いつの間にか……自分を抱いている女はユカリではなくなっていた。
自分自身だ。
比良坂ミレイだ。
冷たい目で、冷めた表情の自分自身がそこに立っている。
支えを失い立っていられなくなって自分はその場に跪いた。
『独りじゃ何もできないのに、皆に手間を取らせて生きてる。迷惑だと思われているのに身分の高い家の生まれだからってだけで皆を従わせてるでしょう!!』
「違う……ッッ!!!」
悲痛な叫びは自分が思っていたよりもずっと力のない声で放たれた。
周囲の人々の愛情を自分は信じているのに。
どうしてそれを強く主張することができないのか。
それはこのもう一人の自分が言っている事は紛れもなくミレイの心の片隅にずっとあって、今まで目を背けてきた本心だからである。
『目を逸らし続けるつもりなら私がはっきり言ってあげる』
もう一人の自分が冷たく断罪してくる。
『私はいるだけで皆に迷惑を掛けているの。……邪魔な存在なのよ』
「ッッッッ!!!!!!!」
ミレイの上げた声無き叫びが周囲を満たした。
心を闇が塗り潰していく。
……どこまでも深く暗い精神の深淵へと落ちていくミレイであった。
……………。
「……!!」
月を見ていたキリヲが目を見開く。
目に見えない大きな……とても大きな力の波動が周囲を駆け巡っていくのを確かに感じ取った。
それこそが自分が待ち望んでいた合図。
(……成った!!!)
喜悦の笑みに大きく口の端を吊り上げるキリヲ。
……………。
少女はバネ仕掛けの人形のようにベッドの上で跳ね起きた。
窓は締め切られ風はないというのに……室内のカーテンが波打って揺れている。
少女の髪も海藻に揺らいでいる。
上体を起こした勢いのままにその身体はふわりと浮き上がる。
点滴が抜け落ち、針の刺さっていた箇所から滴った赤い雫がシーツに染みを作った。
ベッドの上に直立の姿勢で浮かんでいるミレイ。
「ワタシ、ハ……」
虚無の表情で呟く。
抑揚の無い棒読みで。
その頬を涙が伝った。
無表情のままでミレイは泣いていた。
「ジャマモノ……ミンナノ、メイワク……」
瞬間。
病室内を白い光が満たす。
続いたのは巨大な病院全てを揺るがす爆音だ。
病室の外への壁を吹き飛ばし、ミレイが飛翔して夜空へと飛び去る。
もうもうと黒煙が上がっている誰もいなくなった病室。
あちこちで明かりが点いて深夜の病院は大混乱に陥りつつあった。
……………。
一人の超人の目覚めと、そして逃走を三好ショウセイは病院から少し離れた路上から眺めていた。
ポケットをスタジャンのポケットに突っ込んで背筋を丸めた口髭の男がミレイが飛び去った方角の空を見上げる。
「お~お~、スゲースゲー……。本当に成っちまったじゃねえかよ~。キリヲ大したモンだな~」
ヒュウと口笛を吹くショウセイ。
しかし面白がっていたようなその表情がすぐに困ったもんだという風に歪んだ。
「……けどよ~、ものの見事に暴走しちまってんなぁ~。このまんまじゃあのお嬢ちゃん、自分の魔力に身体が耐え切れなくなって死んじまうぜぇ~? どうするつもりだよ~」
ショウセイはそう言うと冷たい夜風に身を縮めるようにしてどこかへ歩いていってしまう。
そして、彼のいなくなった無人の歩道には遠くから消防車のサイレンの音が聞こえて近付いてくるのだった。




