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扉の向こうに広がるもの

 佐倉(サクラ)ユウイチ……21歳。佐倉活版所の社長の息子。

 佐倉活版所はヤマベプリントの下請けとして製本業務などを行っている企業である。

 このユウイチがヤマベエイコの「お兄ちゃん」であると目される幼馴染だ。


(下請けの会社の息子さん……)


 話を聞いたミレイはヤマベエイコが何故彼の存在を周囲に伏せていたのかが何となく想像できた。

 下請けの息子が相手では両親に交際を反対されたか、或いはそうなるであろうと予想するに十分な根拠があったのではないだろうか?

 両親が社会的な有力者であればあるほど子に恋愛の自由はないものだという刷り込みがミレイにはある。


 それにしても……。

 アカネが「お兄ちゃん」なる人物の存在に言及したのが一昨日の昼休みである。

 そこから二日間でキリヲはよくもここまで情報を集めているものだとミレイは感心半分呆れ半分といった心境だ。


「このサクラユウイチさんと一緒にいるのかしら? ヤマベさん……」


「さてなぁ。ヤマベはんが行方不明になったんは二週間前の週末どす。ユウイチはんは週明けも出社して普通にお仕事してはったようどすえ」


 またも何故そこまで調べているのか……。

 キリヲはサクラユウイチの勤める佐倉活版所に商談がある客を装って電話を掛けたらしい。

 そしてそこで社員から色々と彼のことを聞き出したというわけだ。


 キリヲが社員から聞いた話が事実であればサクラユウイチはヤマベエイコ失踪の翌週も職場に姿を現している。

 二人は同時に姿を消したということではない。


「せやけどー……」


 キリヲの声のトーンが落ちる。

 思わせぶりに細められた彼女の目が冷たく光ったようにミレイには見えた。


「その週の真ん中らへんでインフルエンザをこじらした言わはってお休みに入られたらしいんどす」


「……………」


 縺れていた糸が……少しずつ解けていく。

 姿を消した女子高生と、その数日後に休みに入って現在も姿を見せていない年上の幼馴染。


「サクラユウイチはんのお宅にもお電話したんやけど、どなたもお出になりまへんなぁ」


「ご家族は……?」


 キリヲの言うことにはサクラユウイチの父親は半年前から体調を崩して入院生活を送っているらしい。

 そして母親はずっと前に事故死してしまっている。

 だから現在サクラユウイチは自宅で一人暮らしのはずだと。


 ごくり、と……ミレイは喉を鳴らしていた。

 鼓動が早くなっている。


 条件が揃ってきてしまった。

 サクラユウイチは……ヤマベエイコを自宅に監禁している?

 いや、監禁であればまだマシと言えるかもしれない。


 最悪の場合は彼女はすでに……。


「あては明日ユウイチはんのお宅にお伺いしてみるつもりどすえ」


 ぎょっとして思わずキリヲの顔を見るミレイ。

 黒いセーラー服の少女はいつもと同じように微笑むだけだ。


「ちょっと……待ちなさいよ」


 流石にそれは……危険だ。

 素直には承服しかねる。

 もしもこちらの推理が悪いほうに当たってしまっていた場合、そこでキリヲは凶悪な犯罪者と顔を合わせることになりかねない。


「警察に通報するべきでしょう」


 警察、というワードを口にする以上どうしてもひそひそ話のトーンになるミレイ。

 言ってしまってから彼女は周囲を見回す。


「明日もし何の収穫もなければそうするつもりどすえ。ここまできて警察の人に手柄をかっさらわれるんはちょいシャクやけどなぁ」


 口元に手を当てたキリヲが上品にくすくすと笑っている。

 悠然としたもので自分の身に危難が迫っているかもしれないなどと少しも考えてなさげである。

 その奔放さ、縛られなさは確かに彼女の魅力の一つではあるだろう。

 キリヲのそういう所にミレイも魅かれないといえば噓になる。

 しかしだ……。


「訪問して誰かいたとして……接触は屋外だけにするって約束して」


 ミレイが真剣な表情で言う。

 薄笑みを浮かべたままキリヲが黙って肯いた。


「わかった。私も行くわ」


 覚悟を決めて自分も肯くミレイであった。


 ────────────────────────────────────


 サクラユウイチの自宅は、ヤマベエイコの住まいとは離れた普通の住宅街の一角にあった。

 むかしは両家は近所であったそうだ。

 しかしその後、矢間部家は成功者となり高級住宅地へ転居していった。


 佐倉家は築数十年は経過しているであろう事が伺える大き目の二階建ての家屋だ。

 しかし外観はよく手入れされていて汚れていたりくたびれている個所は見受けられない。


「……………」


 本当にここまで来てしまった。


 肌寒い日であるというのに車椅子の肘掛けに置いた手の、その拳の内がじっとりといつの間にか汗ばんでいるミレイ。

 よく晴れた日であるというのに、陽光に照らし出されたその家が何故か陰鬱で寒々しく彼女の目に映る。


 最近、休みの度に友人と出かけているミレイを保護者であるソウシチロウは喜ばしく思って見守ってい節がある。

 それが実際はこんな危ないことに首を突っ込んでいると知ったら翁はどう思うであろうか。

 その事を考えると申し訳なさで気が滅入るミレイだ。


「う~ん、やっぱりお出になりまへんなぁ」


 門のインターフォンのボタンを何度か押しているキリヲ。

 しかし家からは何の反応もなく、しんと静まり返っている。

 雨戸も閉め切られている。

 佐倉邸はやや広めの庭があって門から玄関までも数mの距離がある。

 ここからでは屋内の様子は伺うことはできそうにない。


 門の造りは一般家庭のそれらしく単純なもので施錠もされていない。

 キリヲはひょいと門を開けると敷地内に踏み込んでしまった。

 堂々として自然なその振る舞い。

 見かけてもまさか彼女が不法侵入を試みている者だと思う者はいないだろう。


「キリヲ……!!」


 驚くミレイ。

 後ろを振り返ったキリヲが口の前に人差し指を立てる。

 お静かに、の仕草。


 無遠慮にも敷地内に踏み込んだキリヲ。

 よろめきながら慌てて杖を突いてそれを追うミレイ。

 キリヲは玄関まで到達するとドアノブを手にする。


「……!!」


 止めなくてはとは思うが上手く声にできない。

 ミレイは緊張感で耳鳴りがしている。

 焦る彼女に微笑みかけながらキリヲがゆっくりとドアノブを回し……。


 玄関の扉がわずかに……開いた。


 施錠されていない。


 ミレイはその数cmの隙間から覗いた薄暗い屋内から冷たい風が吹き出してきたように感じる。

 闇だ……あのドアの向こうには闇が広がっている。

 本能的にそれを感じ取ったミレイの喉がひゅっと鳴った。


「おやまぁ……」


 キリヲがドアを少しずつ開いていきながら感嘆の吐息のようなものを漏らしている。


「えらいことになってはりますなぁ」


 緑色だ。


 ドアの向こうは緑の世界。

 建物内の床も壁も天井も……その全てが草花に、苔に、蔦に覆われてしまっている。

 ふわっと漂ってきた草の匂いが鼻腔をくすぐっていく。


「何これ……」


 ミレイは愕然として立ち尽くしている。

 目の前の光景は自分の理解を超えていた。

 何をどうすればこのような事になるのか想像もつかない。


 ……もしかしてこれは()()なのでは?

 事件ではなく、事故。

 人の意思が介在してこのような事になるとは到底思えないからだ。

 半ば現実逃避気味にミレイがそんな事を考えている内にキリヲが屋内へ靴のまま踏み込んでいく。

 彼女がガサッと草を踏む音が耳に届く。


「待って!! キリヲ!!!」


 その事でハッと我に返り慌てて後を追うミレイ。


「杖では危のうおすえ。ミレイはんは外で待っといておくれやし」


「で、でもっ……!」


 再度振り返って告げるキリヲであるが、それを素直に肯いて了承する気にはなれないミレイ。

 足の悪い自分がこんな場所にいるべきではないというのはまったくその通りなのだが……。

 それならキリヲも一緒に外に出るべきだ。しかし彼女がそう言って従ってくれるとは思えない。

 混乱しながらもミレイは短い時間で色々な事を考えていた。

 頭の回転の速さが今は彼女の足枷。

 様々な事を考えてその結果を予測できてしまえることでかえって身動きがとれなくなってしまっている。


 廊下を歩いていくと二階への階段があった。


 しかしそこも分厚く草木に覆われていて、段差はほぼなくなりほとんどスロープと化してしまっている。


二階(うえ)を見てきますえ」


 滑り台のようになってしまっている緑の階段を器用に上っていくキリヲ。


 これは……駄目だ。

 階段を見てミレイは絶望する。

 これは自分では登れない。この足では確実に転倒する。


 階段は途中で90度曲がる構造になっていて既に二階に姿を消したキリヲの姿は下からでは視認できなくなってしまった。

 見える範囲に自分以外誰もいなくなったという事実が冷気となってミレイの内心に吹き付けてくる。

 異様なまでの静けさ。

 二階からの物音もまったく聞こえてこない。キリヲの足音らしきものも。

 乱れた自分の呼吸だけが聞こえる。

 心臓はまるで内側から身体を突き破ってしまいそうなほどに強く激しい鼓動を刻んでいる。


「……ユカリ」


 無意識にミレイは自分が最も頼みとしている者の名を口にしていた。

 そしてその名を呼んだ事で何かがぷっつりと切れて彼女の視界が涙で滲む。


 ……その時だ。


「ッッ!!!!!」


 全身を硬直させるミレイ。


 何かが……足首に絡み付いた。

 蛇か?

 最初に頭に過ったものは手足の無い爬虫類。

 この緑に覆われた空間ではそのようなものが生殖していたとしてもおかしくはない。


 恐る恐る足元を見下ろすと……。

 自分の足首に巻き付いていたものは蔓だ。植物の蔓。

 やや茶けた緑色の赤子の手首程の太さの蔓が巻き付いている。


「イヤっ! ……なんで、どうして……ッ!!!」


 杖を手放ししゃがみこんでミレイは足首の蔓の戒めを解こうと必死になる。

 しかし、しっかり巻き付いた蔓は異常な頑丈さでびくともしない。


「このッ!! 離してよ……!!」


 半泣きでミレイが声を荒げる。


 すると……その声に反応するかのように蔓がぐんと強い力で引かれた。

 そもそもこの蔓はどこから伸びている……?

 出所を追って視線を走らせ……。


 そしてミレイは()()を見てしまった。」


 本来は居間であったはずの空間から這うようにして身を乗り出しているもの。

 緑色のいきもの。

 人ではなく……植物でもなく。どちらでもあり、どちらでもないもの。

 草や苔に覆われた体表。身体から無数に伸びた蔦や蔓。


 そうして、そのいきものは頭部らしき場所にある眼下に光る黄色い目ではっきりと怯えるミレイを視界に捉えたのだった。



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