人気のケーキ店の前で
ユカリが商談で唐橋ソウシチロウ老人の屋敷を訪れた日の夜。
夕食の席で老師範から聞いた話を彼女はルクシエルに伝えた。
……ガイアード・カグラの本社ビルから落下した三好ショウセイが生きている。
二人にとっては悪いニュースであった。
「ホラ、も~……だから言ったじゃない。どうするつもりなのよ」
「いや~、参っちゃったわね。まさかあそこから落ちて生きてるとはねぇ~……あっはは」
呑気に笑っているユカリに渋い顔のルクシエル。
しかし実の所ルクシエルはあの男……ハイドライドが生きていると聞かされてもそれ程驚いてはいない。
何となくそんな気はしていた。
あの事件の後でルクシエルはガイアード・カグラ本社ビル周辺を調べて回っていたのである。
情報を遮断する事はできても落下したという事実は消し去りようがないはず。
あれほどの高さから人間一人落下したのならどこかに痕跡が残っているはずだ。
しかしどれほど探してもその痕跡はない。
聞いて回ってもあの時刻に音や衝撃を聞いたり感じたりしたという者も見つからなかった。
(だから多分……あの男は地上に落下しなかった)
……ルクシエルはそう考えている。
落下していないのであれば胸の傷だけなら超人にとっては深手ではあっても致命傷とはならない。
手早く措置をすればの話だが。
つまりショウセイは何らかの方法で地上には落ちずに回収され治療を受けていたという訳だ。
「ま~、生きてるって言ったってさ。また私の所に悪さしに来るって決まってるわけじゃないんだし。とりあえずは放っておこうよ。大体があんなの相手じゃ気を付けるったってどうしようもないし」
「それはそうかもしれないけど……」
楽天的過ぎるユカリ。
しかし彼女の言っている事もまるっきり的外れというわけでもない。
単にユカリを殺害したいというだけなら、ハイドライドは単騎でやってきてそれを可能としてしまえるだけの技量がある。
ただ、そうはしないだろう。
『そういうのだよ。俺が求めてるのはよ~』
……三好ショウセイは明らかに勝敗よりも自分が楽しむことを重視していた。
あの最期の瞬間、彼は自分が敗北し死にかけていると言うのに満足そうにも見えた。
「ソウシチロウ先生も何かわかったら教えてくれるって言ってるし。あのお爺ちゃんってすっごい地獄耳なのよ。火倶楽の中での出来事なら大体の事を知ってるんだから」
何故だか自分が得意げな表情のユカリである。
「……………」
何もかも納得できたという訳ではないが……。
ルクシエルとしても姿を見せない敵の影に怯えて生きるのはまっぴら御免であるし、ユカリは自分が考えていた以上に火倶楽の有力者に伝手があるようだ。
それなら自分もユカリに倣って普段通りに過ごすとしよう。
せめて何かあった時に今回の様に囚われの姫にはならないようにしたいものだが……。
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ある日の午後。
今日は気持ちの良い快晴である。
休みを貰っているルクシエルはこの機会に色々入用なものを揃えようと考え、街に買い物に出かけた。
そしてその帰り。
購入した衣類などが入っている紙袋を提げた彼女がある商店の並んだ一角に差し掛かる。
(……いい匂い)
鼻腔をふわっとくすぐっていく甘い香りに一瞬意識を奪われたルクシエル。
見るとケーキ屋の店先にエプロンと三角巾を身に着けた女性店員が出てきた。
「チーズケーキが焼き上がりました~!」
女性店員は大声で通りを行く人々に呼び掛け、手にしたハンドベルをチリンチリンと鳴らした。
すると、どこからこんなに現れたものかと思うほどの大勢の人々が現れ店の前には瞬く間に列が形成されていくではないか。
(大人気……。チーズケーキ、食べたいな。買って帰ろうかな。ユカリの分も)
ルクシエルは甘いものが好きだ。
そしてユカリも甘党である。大酒飲みのクセに甘いものも辛いものも何でもいけるのだ。
スマホを見て時刻を確認してみる。
(よし、まだ急いで帰らなきゃいけない時間ってわけじゃない)
購入の意思を固め、ルクシエルが列の最後尾に付く。
するとそのタイミングでもう一人後ろに並び、軽く押される形になった彼女が前の男に少し身体が当たってしまった。
「すいません……」
ぶつかってしまったので頭を下げて謝罪するルクシエル。
「ん~……?」
野太い声を出しつつゆっくりと振り返った列の前の背の高い中年男。
その顔は何だか見覚えがあるような気がして……。
「何だよ。聞き覚えのある声でと思えばユリアーゼ……じゃねえユカリか。ユカリんとこのお嬢ちゃんじゃねえかよ~。奇遇だなオイ~」
「………………」
あまりの事に口を半開きにして固まってしまったルクシエル。
あまりにも聞き覚えのある……というか脳にこびりついてしまっているだみ声。
以前は着崩してはいてもスーツにネクタイと言うリーマンスタイルであったが、今は野球帽にスタジャンにジーンズというラフな格好だが……紛れもなく男はあの三好ショウセイであった。
変装のつもりなのかわざとらしい太い黒いフレームの眼鏡まで掛けている。
「……何を、しているの……こんな所で」
掠れ声でなんとかそれだけを口にする。
その問いに対してショウセイは眉を顰めて大いに口のへの字に歪めた。
「何ってオメー。ラーメン食いて~ヤツがこんなとこ並んでるはずはねぇだろうがよ~。俺は甘党なんだよ~」
何とこの男もチーズケーキを買う為に列に並んでいるようだ。
いや、この場でそのような遭遇の仕方をすれば彼の言う通りに他の理由があるのかという話ではあるのだが……。
「俺ぁよ~、もう三日もここに通ってんだよ。どーにも何かを気に入るとそればっか食っちまう。……知ってっかぁ? ここはなぁ、何度もテレビやら雑誌で特集されてるような名店なんだよ~。まあ俺も最近雑誌で見て知ったばっかだけどよ~」
ショウセイは得意げに聞いてない事まで勝手に語っている。
「……やっぱり生きてたのね」
「そりゃ生きてるよ~。見ろよ、この長え足をよ~」
片膝を誇示するように上げたショウセイ。
周囲の人々が何事かと驚いている気配が伝わってきてルクシエルはやや居心地が悪くなった。
「あのビルの外壁にはよ、事故の時とか用に外壁の数か所にネットが出てくるようになってんだよ~。俺は予めそいつを作動させといたってワケだ~。まさか本当に使う羽目になるとは思わなかったがよ~」
やはり……あの投身は逃走の為だったのだ。
何という周到な男か。
あれほど実力差のある相手でもそんな保険を用意してから対峙していたとは。
……………。
チーズケーキを買い終えた後、何となく二人は付近の公園に来ていた。
特にもうショウセイは自分には用はないのかと思ったルクシエルであったが、先に買い物を終えた彼はどういう訳なのか自分が買い物を終えるのを待っていたのだ。
ルクシエルとしても向こうがその気ならこの機会にもっと情報を引き出しておこうかというつもりになっている。
どちらにせよ逃げようと思っても逃げ切れる相手でもない。
「まー立ち話も何だ~。座れよ~」
そう言って自分が先にベンチに腰を下ろすショウセイ。
彼は買ったばかりのチーズケーキの箱に手を突っ込むと包み紙を持ってガツガツと食い始めてしまう。
何とも品のない食いっぷりだ。
「……………」
ショウセイからは少し距離を開けて自分もベンチに座ったルクシエル。
「オメーのよ~、アレは良かったよな~。何だか言う聖騎士の防御魔術な。あれには俺も意表を突かれたぜ~」
ルクシエルの使った『聖なる盾』の事か。
「ああいうのは実にいい~。ハマると格上をコロッと食えちまったりするしな~。現にあの時だってユカリがあれが来るのがわかってて動けてたら俺にいいのを入れられてたかもしれねえ~」
……意外な事に。
どうもこの男は自分を褒めているらしい。
それがわかって喜ぶでもなし何とも微妙な気分になるルクシエルだ。
「お嬢ちゃんはあっちを伸ばしな~。その方がこの先化ける可能性もあるってもんだ。……わかってるかもしれねぇが、オメーがこの先死に物狂いで剣の腕を磨いたって俺やユカリの強さに届くことはねぇ~。その辺は生まれもったモンとこれまでの人生経験で決まっちまってんだよ~」
膝の上に置いた握り拳に力が入る。
少しだけ下唇を噛んだルクシエル。
「それにオメー、人を殺した事がねぇだろ~。そこは割りとデケぇディスアドバンテージ……ハンデだぜ~」
「……………」
ショウセイに指摘された部分は自分でも薄々気付いていた事だ。
この先自分がどれだけ剣の鍛錬を積もうがあの高みへは至れないだろうと言う残酷な現実。
言われたように自分は人を殺した事もない。
だがその天頂の者たちの領域に『加護の力』を磨くことで自分も入門できる可能性があるとこの男は言うのである。
「『強さ』ってのはよ~闇夜の明かりみてーなモンなんだよ。蛾みてーに他のツエー奴らをフラフラと引き寄せちまう~。……って、この例えじゃ俺も蛾みてーじゃねえかよ~」
勝手に自分で例えておいてショウセイが文句を言っている。
「特にアイツの強さはデケー。それだけ眩しい明かりだってこった~。この先も望むと望まざるとにカンケーなしに俺みてーのが寄ってくるだろうよ~」
がしがしと手櫛で髪を後ろに掻き流しながらショウセイが立ち上がった。
そして彼はポケットからティッシュを取り出して指先を拭っている。
「そん時に毎回囚われのお姫サマじゃイヤになっちまうだろ~? だったらお嬢ちゃんのツエー所を伸ばすんだなぁ~」
悩んでいる様子のルクシエルを見下ろし、ショウセイはニヤリと笑った。
「悩め悩め。そーゆーのは若者の特権だよな~。これも青春だ~」
ゴミ箱に空になったケーキ箱と袋を突っ込んでポケットに手を突っ込むとショウセイは鼻歌を歌いながら去っていく。
小さくなっていく某球団の名前のロゴが入ったジャンパーの背中。
それを無言で見送る何かを考えている様子のルクシエルであった。




