ヒマすぎて
火倶楽市街中央部、通称火倶楽摩天楼。
天を突く高層のビル群……その中心に聳え立つのがガイアード・エンタープライズ・カグラ本社ビルだ。
ガイアード・カグラ社では一般業務の定時は19時なのだが、その時刻を過ぎて尚煌々と輝く本社ビルでは数千人が業務に従事している。
そのビル内に突如としてピリリリリリリ!という甲高いブザー音が鳴り響いた。
働く社員たちが皆何事であるかと周囲を見回す。
『只今より、緊急のセキュリティシステムチェックを行います。建物内の全社員は一時間以内に退出を完了して下さい。繰り返します……』
放送で聞こえてくるのは女性に似た合成音声による退社を促す案内だ。
「……はぁ? マジかよ」
「今夜の内に仕上げなきゃいけないのに……」
オフィスフロアがざわつき始める。
怪訝そうな表情でメールや社内連絡事項の記載されている掲示板を見る者、嘆息しつつ荷物を纏め始める者、急ぎの書類を前にして頭を抱える者など反応は様々だ。
今日そのような検査があるという話は誰も聞いていない。
……………。
突然の放送に驚いているのは社員たちばかりではなかった。
「何だそれはッ!? 私は何も聞いていないぞ!! どういう事だッッ!!」
乱暴に音を立てて椅子から立ち上がった社長ガストン。
社長である自分にすら事前に通告も無しに急に出て行けとはどういう事だとパワフルなボスがお怒りだ。
彼に睨まれ慌てて秘書がスマホを手に関連部署に問い合わせている。
『規定の時刻を過ぎても社内に留まっているスタッフは重大な服務規程違反に相当する可能性があります。御注意下さい』
続いている放送に顔を顰める社長。
単なる保安検査にしては妙に言葉が強いな……? そう彼が訝しんでいると。
「し、社長……わかりました」
通話を終えた秘書が何やら真っ青な顔になっている。
「指示はどうやら会長室から出ているようです……」
「な……」
ガストンも絶句し、そして呆然となった。
会長室……即ち命令を出したのはグループ会長だという事だ。
このガイアード・カグラ社のみならず全世界に版図を広げる巨大企業体ガイアード・グループの総帥。
彼はガイアードの看板の下で働く全ての者たちにとって神にも等しい存在。
火倶楽の絶対者である自分ですら彼からすれば一地方の領主に過ぎない。
しかし、通常会長がこんな些事に関わることはないはずだ。
つまりそれが意味する所は……。
「営業四課か……」
苦々しく言うとガストンは頭を抱えた。
ガイアード・カグラ社の営業四課とは「ワケ有り」の集まり。
会長の口利きで自分が預かっている厄介者たちの部署。
どういうわけなのか会長から彼らは基本的に好きにやらせるようにと指示が出ている。
時折この手のトラブルを引き起こすガストンにとっては何とも頭の痛い連中でなのであった。
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いつもより一時間半ほど店を早く閉めるとユカリは出かける支度をする。
といっても彼女の常からのユニフォーム、ワイシャツにネクタイに細身のスラックス姿のまま。
違う所といえば店の奥に普段はしまい込んである長剣を携えているという事だけ。
……この剣もお世辞にもいいものとは言えない代物なのだがこれしかないのでしょうがない。
リゼルグの言葉の通りに『のすたるじあ』の郵便受けには何の記載もない白封筒が入っていた。
中身はガイアード・カグラ社の本社ビルの位置が記された紙が一枚とカードキーが一枚。
ルクシエルはそこにいる。
……行かなければ。
そこで何が自分を待ち受けているのだとしても。
車のキーを持って店の裏口を施錠し、彼女が外に出ると……。
そこに夜の闇から滲み出てきたかのように黒髪に黒服の誰かが立っていた。
「……シズク?」
目の前にいる蛇沼シズクに少し驚くユカリ。
黒髪を揺らして長身の彼女が近付いてくる。
「いや、その……お店が閉まってたから」
なんだか歯切れの悪い小声でそう言ってからシズクはユカリの顔を見て眉を顰めた。
「……何があった? どうしてそんな怖い顔をしているんだ」
彼女の言葉にハッとなるユカリ。
それから彼女は僅かな間黙っていたかと思うと、やおら両手で挟み込むようにして自分の頬をペチンと叩いた。
そして……彼女はいつものようにへらっと笑う。
「ごめんね~折角来てくれたのに。ちょっと用事ができちゃってね……」
「俺も行く。厄介ごとだろ……?」
即座に言うシズクだったがユカリは寂しそうに笑って首を横に振る。
「事情があってそういうわけにはいかないの。気持ちは本当に嬉しいんだけど」
「……………」
辛そうな表情でシズクは歯噛みした。
拒絶された。何故……。
自分では頼りにならないと言うのか。
頭の中をそんなネガティブな考えがぐるぐると回る。
地面を見るシズクの細い顎にひょいとユカリの指が掛かり彼女は上を向かされる。
「ンむッッッ!!!??」
唐突に重ね合わされる唇。
頭の先から爪先までを雷に貫かれたかのように強張らせて硬直するシズク。
(し、し、舌が……ッッ!!!???)
一瞬にして脳内を満たした甘い痺れのようなものに膝が砕けそうになる。
少ししてから離れたユカリが悪戯っぽく笑うと自分の唇をペロッと舐めた。
「んふ~、元気分けてもらっちゃった。それじゃあ、ちょっとユカリさんは用事をペペッと片付けてきちゃうから」
またね、と笑って手を振ってユカリは行ってしまう。
「…………………」
そして完全に腰砕けになってしまっているシズクはそれを追う事もできずにその場に佇むのみであった。
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ガイアード・エンタープライズ・カグラ社本社ビル最上階。
そこは壁も天井も全てがガラス張りの空間。
360度パノラマの夜景を臨む天空の庭園にルクシエルがいる。
彼女は折りたたみ式のパイプ椅子に座らされている。
どういう理由か手足に力が入らない。
眉を顰めるルクシエル。
意識を失っている間に付けられていたこの機械式の手枷と足枷のせいなのだろうか。
「動けねぇだろ~。その枷はガイアード・カグラ社の特別製でよ。体内の魔力の循環をおかしくしてどうだかこうだか……まあ俺もよくわかってねぇんだが、要するに超人を普通の人間と同じレベルまで弱体化させちまうってシロモンだ。スゲーよなぁ人類の科学技術の進歩ってもんはよ~」
目の前で煙草を吹かしているだらしなくスーツを着崩した中年男。
この男も天下のガイアード社の社員なのだろうか?
訝しむルクシエル。それにしてはガラが悪過ぎないか。
目付きが悪く荒んだ雰囲気の痩せた男で鼻の下に安っぽい薄い口髭を生やしている。
「ああ言い忘れてた。俺はガイアードカグラの営業四課で課長やってる三好ってモンだ。ヨロシクなぁ~」
言いながら男が差し出したのは角が折れている上に皺になっている名刺だ。
眉を顰めながらそれを見ると確かにそこにはガイアード・カグラ社のエンブレムと共に『営業四課課長、三好ショウセイ』と記されている。
「そうおっかねえ顔すんじゃねえよ~。こっちはお嬢ちゃんにはこれ以上なんもする気はねえ~。大人しくしてりゃその内フツーに帰してやっからよ~」
足元の白い何かを持ち上げるショウセイ。
それはコンビニのレジ袋だ。
……中身は、日頃よくテレビのCMでやっているありふれた駄菓子の数々。
「見ろホラ! 甘いもんも買ってある。女の子はチョコレートとか好きなんだろ~? その手じゃ食い辛えかもしれねえが好きに寛いでくれてていいからよ~。とまあ気ィ使ってんだぜ、こっちもよ~」
「……どういうつもりよ。ユカリを巻き込んで何を企んでいるの?」
これ見よがしにレジ袋を突き付けてくるショウセイを睨むルクシエル。
強めの眼光を浴びた中年男がやや怯んだように口を尖らせる。
「何って……別にそんなごタイソーな事は考えちゃいねえよ~」
ポイッとレジ袋を放るとショウセイは肩をすくめる。
そして男はつまらなそうに眼下に広がる夜景を見下ろした。
「ヒマなんだよ、ヒマぁ~。ヒマ過ぎて悲しいから何か楽しい事を探してんじゃねえか。……そうしたらオメーすぐ目と鼻の先に元黒騎士が暮らしてるって言うじゃねえかよ~! 世界一の殺し屋集団で主戦力張ってたヤツがよ~。すぐ近くと手元に二人揃っちまってんだよ。そうしたらもう、オメー、やる事なんて一つっかねぇだろうがよ~」
「……………………」
思わず言葉を失ってしまうルクシエル。
何となく目の前の男が言っている事が本気なのがわかってしまったからだ。
本当にそんな……どうでもいいしょうもない理由で……。
この男はユカリとあのリゼルグを殺し合わせようとしている。
「例えばの話……オメーの家がライオン飼っててよ~。そんで隣の家がトラ飼ってたらよ……戦わせてみてえ!ってなるモンだろ~? わっかんねぇかなぁ、こういう感覚は~……男の子じゃねえとな~」
ん~、と困り顔でショウセイは頭をバリバリ掻いている。
「黒騎士の序列三位と序列六位は……果たしてどっちがツエーんだぁ? 数字の通りに三番がツエーのか……それとも意外に六番の方が強かったりすんのかぁ? ……ワクワクするじゃねぇかよ~。こんなモン、観戦チケット売るつったらナンボだって金出すヤツがいくらでもいるぜ~。今夜その一戦をオレらが独占ってワケよ~ゼータクだろぉ? この先の人生でずっと使える自慢話のネタんなるぜ~」
ガシャンと自分用にもパイプ椅子を開きそこに乱暴に腰を下ろすショウセイ。
「そろそろ着いてもいい頃なんだがな~。焦らしてくれるぜ~……」
プシュっとビールの缶の口を開き、それをグイッと呷るショウセイであった。
……………。
同時刻、ガイアード・カグラ社付近大通り。
大量の車のランプが光る大河を作り出している。
「……なんでこの時間帯にこんな混雑してるのよ!!」
ライトバンの運転席でハンドルを叩いて叫ぶユカリ。
……彼女は緊急退避令で慌てて帰宅するガイアード・カグラ社社員の帰宅ラッシュに捉まって身動きが取れなくなっていたのだった。




