辞めるから
ピッピー、ピッピー。
青空の下に誘導の笛の音が響いている。
大河原邸の敷地に入っていく数台のトレーラー。
これからユカリとの間で買取が成立した品々の運び出しが始まるのだ。
「……それにしてもまさか我が家の地下がそんなとんでもない事になっていたとはなぁ」
作業を見物しているタツヤが感慨深げに長い息を吐きだす。
隣にいるユカリはそれに対して返答はせずに微笑むだけだ。
話せないことが多い。取り繕おうとすればボロが出るかもしれない……沈黙が吉なのだ。
……彼には今回の一件は「地下で有毒物質が見つかったが、その除去は完了した」という説明をしてある。
真実を告げられないこのパターンではよく使われる辻褄合わせの作り話だ。
「引っ掛かっていた祖父と父の死の原因がまさかな……」
実際のところ、大河原の先代と先々代の死因には地下の緑色の奈落が大きく影響していたことに間違いはないだろうというのがキョウコの見解である。
タツヤが幼少時から「不快な違和感」を感じていたことからして浸食は相当以前から起こっていたのだろう。
地下から地上に影響を及ぼした概念の変容……それが二人の健康に害を為した。
変容は侵食樹海が現世に近付くほどに酷くなる。
二人が命を落としたことが地上への接触が間近に迫っていた事の証。
全員が離れで寝泊まりしているので使用人には犠牲者が出なかったことは不幸中の幸いというべきか。
全てが終わった後、ルクシエルたちは鉄扉の先を確認した。
そこにはあんな大空洞があった事などまるで夢であったかのように、ずっと昔からそうであったかのように穴の縁までが完全に土で埋まっていてその先の空間は存在しなかった。
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昼下がりの道路を軽快に進むライトバン。
ユカリの車だ。
数日間の大河原亭での仕事を終えて『のすたるじあ』まで帰るところである。
「ユカリはさ……」
「ん、何?」
助手席の窓から流れる街の景色を眺めながらルクシエルが口を開いた。
ここ数日あれこれ衝撃的な事があった彼女はちょっとノーミソがお疲れモードである。
話しかけたその声も若干気だるげで力がない。
「古いもの好きでこの仕事してるんだよね? もしも自分が大好きなものが入荷したら、それはやっぱり売らずに取っておくわけ?」
「ん~~~~~」
何気ない疑問だったがユカリは結構悩んでいるようだ。
「難しい質問ねぇ。私は同じ『好き』を持ってる人へ品物を橋渡しすることに関しても喜びを感じるタイプだからな~……。どうしても絶対手元に置いておきたい!って物で無ければ売るかもしれない。どうしても絶対な品物でも時間が過ぎればやっぱり売りに出すかもしれない」
「そっか」
そして、会話が途切れる。
車内に流れるのはラジオから流れてくるキャッチーなポップスのメロディーだけ。
「……私が超人だって気付いたのはいつ?」
「はえっ!? ……う、あ、えーっと」
唐突な問いに慌てるユカリ。
思えば、これまで二人の間でそんな話をした事は無かった。
自分は初めから全てを知ってここへやってきた。
超人であるミヤノモリユカリを殺すための刺客として。
しかしユカリが自分を超人だと知ったのは……果たしていつだ?
今回地下への同行を許されたのは自分が超人だからだろう。
いつからユカリはその事に気が付いていたのだろうか。
「割と……最初からです、はい」
やがて気まずそうに隣に座る少女の顔色を窺いながらユカリは答えた。
……………。
ユカリがルクシエルと面接を行い、彼女をスタッフとして雇う事を決めた数日後の事だ。
ある日の午前中にユカリのスマホが鳴った。
『えっとなぁ、この前のバイト募集で俺一人紹介しただろ? アンタが望んでる条件にバッチリだったもんで急ぎで話を回したんだが……』
スマホから聞こえてくる声は組合のニックのもの。
バイト募集の手配をしてユカリにルクシエルを繋いでくれたのは彼であった。
「いい仕事してくれたわ、ニック!! 本当にありがとう!! 今度うな重奢るわね!! 松でいいわよ、松!!」
はしゃぐユカリであったが、どうにもニックの声に張りが無い。
話し辛い用事で彼が連絡を入れてきたことがそこから窺える。
『や、それなんだがよ……。実はちょっとアンタに謝らなきゃいけない事があってな』
「ん……?」
きょとんとした顔になるユカリ。
『アンタに話を回しちまってから、あのお嬢ちゃんの経歴になんか違和感を感じてよ。詳しく調べてみたんだよ。……そしたら、悪い予感が当たっちまってな』
ふう、と会話の合間に重たい吐息が挟まる。
『経歴のほとんどが偽造されたもんだったぜ。本名はルクシエル・ヴェルデライヒ。出身は……何とウィンザリア聖王国だ。経歴の偽造には聖王国のかなりのお偉いさんが関わってる可能性がデケえ。……とんだ厄ネタだよ。もっとよーっく調べて俺が弾くべきだった。本当にすまねえ。なるべく早くに手を切って……』
「ニック」
ユカリが会話を遮る。
穏やかで……そして静かな声で。
「悪いんだけどその話、オフレコにしてどこにも出さないでくれるかな? 彼女のことは了解。とりあえずはこのまま雇い続けるから。何かあったとしてもそれは私の自己責任ってコトで」
『いや、でもよぉ……』
そうしてユカリは納得がいかない様子のニックを説き伏せてこの事実を自分の胸の中だけにしまったのだ。
……………。
ユカリの話を聞いてルクシエルは愕然としている。
「それじゃ……」
目を見開いて運転席のユカリを見ている青い髪の少女。
「全部、最初から知ってたっていうの……ッ!!?」
「うへへ……」
誤魔化すように目を逸らし、ユカリが何だか気色悪い笑い方をする。
聖王国の者で、名前はヴェルデライヒ。
ここまでわかってしまえば目的も想像できる。
自分が片腕を奪い聖騎士の地位から転落させた……あの男の娘。
「それなのになんで私を手元に……それも、それもあんなに隙だらけでッ!! 私の目的だって気が付いてたんでしょ!!??」
何もわかっていない天然なのだと思っていた。
いや、実際に天然ではあるのだろうが……。
だがユカリは自分が刺客である事を知っていた。
その上で自分の前であんなに無防備で過ごしていたのだ。
「ルクが本気なら……そうなってもしょうがないかなって思ってたから」
澄んだ瞳で……前方の道を見据えながらユカリは言う。
「……………」
絶句。
それでも殺されるつもりはないと言い出すのかと思っていれば。
武術の達人のノーガードの戦法のようにあえて隙を曝け出すことで何かを狙っていたのだと思っていたら。
……ユカリは自分に殺されるつもりだったというのか。
死の運命を受け入れようとしていたのか。
「私もさ~、ご存じのような生き方してきてるから。いつかはそういう事があってもおかしくはないし。それなら何かムカつく奴だったりよく知りもしない奴に殺されるよりかは、好きな娘の手で逝きたいかなって……。別に死にたいってワケじゃないよ? あくまでもそうなったらそうなったでしょーがないって話ね」
てへへ、と少し気まずそうにユカリは笑っている。
「……全部、お見通しだったってワケね。自分の掌の上で右往左往してる私をニヤニヤしながら見てたんだ」
ぶんむくれてそっぽを向いたルクシエル。
「ち、違うってば~。ニヤニヤはしてたかもしんないけど、それはそういうのじゃなくて、もっとゲスい下心にまみれてるやつでさ~」
フォローのつもりか、より最悪な事を言っているユカリ。
「もしかしたら一緒に暮らしてる内に気が変わって私を殺さなくてもいいやって思ってくれるかもしれないって、そんな事をぼんやり期待してみたり。だけどそうなったらルクは帰る場所を無くしちゃうんじゃないかって、そんな風に困ってみたり。……まあ、私もあれこれ考えて悩みながら毎日を過ごしていたと言うわけなのですよ」
「……………」
ムスッとしたまま片膝を立てて外の景色を見ているルクシエル。
そして、また会話が途切れる。
車内に流れるのはラジオから流れてくるキャッチーなポップスのメロディーだけ。
「……辞めるからね」
「え?」
やがてまた青い髪の少女がぽつりと口にする。
きょとんとして隣にいる彼女の顔を見るユカリ。
「私、聖騎士辞めるから。アンタの言う通り帰る場所もなくなるから」
……何もかもが隣の女の望んだ通りになるというのも、それはそれで本当に癪ではあるのだが。
拗ねたように外を見ながら、それでも少女の心を満たしているものは決してマイナスの感情だけではない。
「アンタの事が好きになって、アンタを殺せなくなったからもう聖王国には帰らないって言ってんの。責任取ってこの先もちゃんと面倒見なさいよ」
「やったぜ」
びっくりして茫然としつつも、それでもユカリの本音は口から漏れ出た。
「やっぱり相思相愛だったんじゃーん! あっはは! 嬉し~!!」
「うわッ!!? 飛ばすなって!! 危ない!!!」
急にアクセルを踏むユカリに慌てて怒鳴るルクシエルであった。
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同時刻、火倶楽国際空港。
数名の厳ついスーツ姿の男たちに囲まれてロビーに姿を現したのはアロハシャツにハーフパンツ、そして雪駄履きというラフな格好の中年男だ。
「やっぱ隣国とモメてねぇ国ってのは平和でいいよな~。見ろよ、兵隊さんが全然いねーじゃねえかよ~」
人でごった返すロビーを見回して言うアロハの男。
擦れた感じのあまり目付きの良くない中年男だ。
黒髪を蓬髪にして鼻の下に薄く口髭を生やしている。
長身で体型にはそれほど特徴はない。
そのアロハの男に近付いてくるサングラスの男……クロカワだ。
「お帰りなさい、課長。出張お疲れ様でした」
「よぉ~、お前ちょっと痩せてねーかぁ? いいモン食っとけよ~。何をするにもまずは体力だぞスタミナぁ~」
パンパンとクロカワの肩を叩くアロハの男。
ガイアード・エンタープライズ・カグラ社営業四課課長三好ショウセイ。
「今度もつ鍋でも食いにいってきますよ。……それで課長、こちらは?」
クロカワが見たのはショウセイの傍らに立つスーツにコート姿の長身の男だ。
彼の取り巻きは他にもいるのだがその一人だけ。
明らかにその男だけが別格だ。纏っている空気が違う。
非常に整った容姿の若い男だ。涼やかにして凛々しい目元。彫りの深い顔立ち。
緩やかにウェーブの掛かったブロンドをオールバックに纏め、顔の左側にひと房前髪が垂れている。
「リゼルグ・アーウィンだ。出張先でスカウトしたんだが……」
そこで思わせぶりに言葉を切ってショウセイがニヤリと笑う。
「聞いて驚けよ~。あの黒騎士の序列三位だった男だぜ」
ショウセイの紹介を受けて優雅に会釈するブロンドの男……元黒騎士、リゼルグであった。




