地の底を駆ける雷
灰色の石の床に開いた四角い大きな穴。
今も呼吸するかのように冷たい風を吹き出し続けているそこに鎖の梯子が下ろされる。
「二時間経っても私たちが一人も戻らなかったら浄化剤をブチ込んでここを閉鎖しなさい」
淡々と無感情に指示を出すキョウコと敬礼で応じる職員たち。
なんでもない事のように言っているが彼女が口にしているのは自分たちの生還を諦めろという内容の話だ。
「先鋒ユカリさん、いっきま~っす」
緊迫感のない声を出し、ガシャガシャと鎖の梯子を下りていくユカリ。
続いて残る職員たちに「よろしく」というような目配せをしてからキョウコがそれに続く。
そして最後がルクシエルだ。
梯子は10mそこそこの長さしかない。
という事は……すぐ底があるのだろうか?
その答えはすぐにわかった。
実際には梯子が尽きる前に穴の底があり、三人はそこへ降り立つ。
そして……彼女たちの眼前に広がっている光景は……。
「何、これ……」
ルクシエルが思わず喉から漏れ出てしまった声が他人の発したそれのように耳に聞こえてくる。
ナニコレ、だ。そうとしか言いようがない。
大空洞。
巨大な空間が広がっている。縦にも横にもとんでもなく広い。
全体がうすぼんやりと光っていてまあまあ視界は通っているものの、それでも深部は闇に包まれどこまで続いているのかもわからない。
ルクシエルを驚愕させたのはその広さだけではない。
ここでは全てが緑に覆われている。
降り立った足元も壁面も天井部分も……その全てが濃く深い草花や苔に覆われており、蔦が這い、樹木すらもが生えている。
ただ太陽のないこの空間の樹木はどこかを目指して伸びているのではなく……蛇や蔦の如く曲がりうねってデタラメな方向に生い茂っているのが不気味だ。
「ビックリした?」
無邪気に聞いてくるユカリをしかめっ面で軽く睨むルクシエル。
「びっくりどころじゃないって。……何なのよ、ここは。何でこんなだだっ広いワケわかんない空間が地下に広がってるの? これじゃ地上のお屋敷崩落しちゃうんじゃないの?」
軽い興奮状態で頭に浮かんだ「?」を立て続けにユカリにぶつけるルクシエル。
ユカリはいつものほんわかした笑顔でそんな彼女をまあまあと宥める。
「確かにそうよね~。足の下10mもない所にこんな空間があったら普通なら地上の建物は地盤ごと沈んで崩れ落ちちゃう。ところが、ここはフツーの空間じゃないのでその心配はないの」
「……?」
何だか益々わからない。
ルクシエルの渋面が増す一方だ。
「壁の向こう側はもうこの世ではない……っていうお決まりの文句を貴女も一度は聞いたことがあるでしょう?」
ユカリの説明をキョウコが引き継いだ。
彼女は口元にこそ薄笑みを浮かべているものの目は真剣だ。
「これがその『向こう側』よ。あの巨壁の向こうに広がる世界。浸食原生樹海エンディア・デューラ……私たちは緑色の奈落とも呼んでいる」
「壁の……向こう側」
掠れ声で復唱するルクシエル。
あの火倶楽の北の大地に聳え立つ乳白色の巨大な壁の向こう側にはこの樹海が広がっているというのだろうか。
「単なる広がる樹海じゃないわ。周囲を空間ごと侵食して概念を塗り替えていく世界そのもの。あの壁は単なる物理的な遮断壁というだけではなく、最高位の魔術処理が施された概念防壁でもあるの」
「『アンタたちの世界のジョーシキを勝手にこっちに持ち込まないでー! ボクらの世界のルールを書き換えないでー!』ってコトね~」
「………………」
キョウコの説明をユカリが補足する。
しかし言葉を失ってルクシエルは硬直してしまった。
……火倶楽はこの世の果ての街。
そんなフレーズが思い出される。
「もう少し詳しく解説したいところではあるけど、今はその余裕はないわね」
「うんうん。まずはやる事やっちゃいましょ」
肯いて同意してからユカリが前方を見やってスッと目を細めた。
「ちょーどいいタイミングでお客様もいらしたことですし」
ガサガサと聞こえてくる何かが蠢く音。
緑色の草の絨毯をかき分けて現れる無数の異形。
……蟲だ。
巨大な蟲。全長は凡そ3mからそれ以上……!
形状としては節の数を減らしたムカデかエビに似ている気がする。
頭部には五つの黒光りする球状の目がありクワガタのそれに似た大きく恐ろし気なアゴを持つ。
「ユカリ、下がって」
大剣を肩に担いだキョウコが前に出る。
そして彼女がその長大な刃を軽く振るうと……。
銀色の刀身が無数に分解した。
横シマのラインから分かたれて無数の節になる鋭い刃。
それぞれの節は太いワイヤーで繋がっている。
蛇腹状に分解しムチのようにしなる大剣をキョウコが縦横無尽に振るう。
死を呼ぶ鋼の暴風が吹き荒れる。
……蠍の尾。
なるほど、それは獲物を狙って繰り出される猛毒の針を持つサソリの尾のようだ。
瞬く間にキョウコは迫る大型の蟲たちを切り刻み無数の肉片に変えて周囲に散らばらせてしまった。
「キョーコちゃん強いからわかりにくいだろうけど、アイツらその辺の強化人間よりずっと強いからね?」
近くに寄ってきたユカリが顔を寄せて解説してくれる。
つまりそれはもしもあの巨大蟲が地上に姿を現せば警官隊や並みの軍隊、騎士団などでは対処は極めて難しいということ。
「片付いたわ。奥へ進みましょう」
蟲たちを片付け、刃についた体液を振るって飛ばしながらキョウコが前方の闇の向こう側を見据えて言った。
……………。
それから30分ほど、ユカリたちは時折現れる様々な生き物を撃退しながら緑の大空洞を奥へと進んでいた。
現れるものは蟲のような生き物ばかりではない。
爬虫類のようなもの、肉食獣のようなものなど多種多彩。
共通しているのはいずれも自分たちの知るある生き物に似ているようで異なっており、その全てが巨大で獰猛で強力であるということ。
とはいえ、そんな異界の樹海の住人たちもユカリとキョウコの二人があっけなく蹴散らしていってしまう。
……ルクシエルの出番は特にないのだった。
「今更だけど、私たちはここで何をするわけ?」
「最終的には概念浄化処理を行ってこの空間を消す……というか元の壁の向こう側へ押し戻すわ。ただそれをするにはこの空間の『核』になっているものを探し出して削除しないといけない」
相変わらず講義を行う教授のように整然と、かつ淡々と解説するキョウコ。
彼女が言うことには今回のように異空間が侵攻してくる場合は大体の場合、その空間には核になっている存在がいる。
それを倒すなりして消し去っておかないと浄化の効果が薄れたり無効化されたりするらしい。
話しながら歩いていくと周囲の風景が変化する。
建物……の残骸か。
半ば朽ちて鉄骨がむき出しになり斜めに傾いているビルのような廃墟。
その表面の大半は地表同様に緑に覆われている。
「これは元々壁の北側にあった街の建物の名残ね。巻き込んだままこっち側に広がってきちゃってるの」
「……………」
ビルの残骸を見つめるルクシエルに今度はユカリが解説してくれる。
北にあった街……。
侵食する緑に飲み込まれた街。
そこに暮らしていた者たちがどうなったのかは言葉にするまでもあるまい。
「見つけた。……あれね」
キョウコの言葉にユカリとルクシエルが足を止めた。
ルクシエルが見ていたのとは別の住居の残骸からヌッと姿を現したもの……。
人……巨人? いや、樹木なのか……?
3m以上はあろうかという巨躯。
手足に頭部、シルエットだけなら人に近い。
色や見た目の形状は……言うなれば人型の樹木。
表皮は樹皮のようでツタが這っている。それがまた太い血管のように見えて何とも薄気味が悪い。
顔の形状は人というよりかは……骸骨か。
目鼻の部分にドクロのような黒い穴。口にあたる部分は樹皮の裂け目。
右の眼窩に当たる窪みには毒々しい赤い色の花が咲いている。
……禍々しき異形。
それがユカリたちの存在を認識したらしく緩慢な動作で向かってくる。
「あれが今回の『核』ね。多分飲み込まれた街に住んでた人の成れの果てかな~。壁から出てこっちへ寄ってこようとするのは昔を思い出して人の多い場所へ行こうとしてるのかしらね……」
物悲しいことを言いながら軽く苦笑するユカリ。
その隣でキョウコが大剣を構える。
「かなり頑丈よ。この空間そのものと言っていい相手だから。根競べで削りきるしか……」
先ほどとは逆に今度はユカリがキョウコの前に出る。
何故か……にひ、と白い歯を見せて笑ってピースサインを出すユカリ。
「キョーコちゃんのお陰でここまで楽できたから。あれは私がやっちゃうね」
「そう。……じゃあもう、私の出番はないわね」
ふぅ、と軽く息を吐いてキョウコは武器を収めた
ユカリが歩いていく。
抜き身の剣をぶら下げて無造作に……散歩に行くような軽い足取りで。
向かってくる巨大な異形に軽く笑みすら浮かべながら。
「私なら多分10分近くかかるけど……」
呟くようにキョウコが言う。
それは隣に立つルクシエルに向けたものではなく、独り言のようなものだったのかもしれない。
一閃。
……斬った。
ユカリが斬った。
無造作に異形の巨体を斜めに両断した。
「……………」
ずっとその姿を目で追っていたはずなのに。
瞬きすらしていないはずなのに。
それでもルクシエルが気付いた時にはもうユカリは剣を振り終えた姿勢だった。
雷を幻視する。
『雷霆』……彼女のその一閃を空を駆ける雷鳴になぞらえて誰かがそう呼んだ事があった。
「ユカリなら1秒いらないわよね……」
オオオオオッッッッ……。
鳴き声のような、風の巻く音のようなものを響かせながら二つにされた樹木の巨人が白い灰になって崩れ去っていく。
剣を鞘に戻すとユカリは振り返って再度ピースしている。
そんな彼女をキョウコが少しだけ潤んだ瞳で見つめていた。
……ああ、わかる。
唐突にルクシエルは思った。
自分には彼女の気持ちがわかってしまう。
好きで好きでしょうがない相手の……愛情も純情も乙女の大切なもの全てを捧げた相手のあんなカッコいい所を見せられたら脳が焼かれてしまうに決まっている
恐らくはずっとそうだったのだ。
ずっと彼女の内にはその熱が燻り続けているのだ。
……だからユカリがどんだけ淫乱能天気女でも離れられないのだ。
グラグラと足元が揺れる。
いや、足元だけではない。
大空洞そのものが鳴動を始めている。
「……よし、戻って浄化剤を撃ち込んで終わりにするわよ。急ぎましょう」
キョウコの言葉に肯いて応じる二人。
そして三人は揺れる緑色の大空洞を駆け抜けていくのだった。




