この世の果てのユカリさん
火倶楽市、煌神町十三番地。
そこに壬弥社ユカリの営む古道具屋「のすたるじあ」がある。
そして時刻は現在22時半。
店の前で店主は若干途方に暮れている。
「あ~もう、参ったわね……」
ぼやく彼女の足元には生きているのやらいないのやら……日焼けした金髪の男が頭頂部を凹ませて倒れこんでいる。
この面倒くさいバカでっかい男をどうにかしたいというのが目下の彼女の大きな悩みであった。
彼に関してはユカリも結構ムカついていたのでつい力が入ってボコしてしまった。
加減して泣かせることだっていくらでもできたはずなのに。
警察沙汰にはしたくない。
ユカリは……警察が嫌いだ。なぜって彼らは色々と意地悪で面倒くさいからだ(一部偏見)。
そして、警察のほうでも何やらユカリがあまり好きではないらしく目の敵にされている部分がある。
そんな自分がこれで通報などしてみれば彼らは喜んで取り調べと称して何日も拘束する事だろう。
……それは困るのだ。
店が開けられなくなってしまう。
「!」
何かを思いついたらしいユカリ。
彼女はポケットからスマホを取り出すとどこかへ連絡を入れた。
……………。
連絡してから三十分もしない内にその男はやってきた。
店の駐車場に入ってくる一台の普通乗用車。
色は白。車種は街を走っていればよく見かける類の大衆車だ。
乗り手からすると、若干らしくない車であった。
「……よう、来たぜ」
運転席から降りてきたのはひょろっと瘦せていて背の高い中年男。
ただ猫背気味なので実際の身長よりやや低い印象を受ける。
黒い髪をオールバックにした細面の彼はどことなく眠たげで覇気がないように見える。
黒の上下にインナーは紺のタートルネック。
飄々としている中にもどこか刃物の鋭さを感じさせる男。
「ありがと、グッチー。自分で来てくれたのね」
「グッチーはやめろつってるでしょうよ。ま、たまたま近くにいたんでな」
笑顔のユカリに疲れた様子でタバコを咥えて火を付けるヨッシーこと樋口ナオヤ。
彼はこの一帯を縄張りとする某集団でそれなりの地位にいる男だ。
何か、やりとりだけを聞いていると仲良さげな二人。
……しかし実際はこのナオヤとユカリはオトモダチというわけではなく、中々にキナ臭く微妙な間柄であったりするのだった。
「ンで、こいつがそれか」
煙草を吹かしながらナオヤは足元の丘ちゃんを見下ろす。
「あー……」
声のニュアンスから察するに知っている相手だったらしい。
「友達だった? だったらごめんね。ちょっかいかけてきたらノシちゃった」
「顔見知り程度ってとこだ。どうでもいいさ。どっからも盃は受けねえでこの辺でちょこちょこ悪さしてるヤローだよ。うちにもヨソにもそれなりにスジは通してたんでどこともモメちゃいなかったが……」
そこで言葉を切ったナオヤ。
彼の口元が皮肉気に、呆れたように歪む。
「よりにもよってアンタとモメるとはな……」
フッと苦笑してからナオヤはスマホを取り出す。
「俺だ。今から言う場所に軽トラ回せ」
……………。
「若頭、お疲れさんです」
やがてやってきた軽トラックから降りてきたのはスレてガラの悪い二人の若い男。
一人はスキンヘッドでスカジャンを羽織り、もう一人はパンチパーマで作業服だ。
二人そろって眉毛は鬼剃りである。
「オウ、こいつを事務所まで持ってけ」
ナオヤの指示で舎弟二人が苦労しながら丘ちゃんを軽トラの荷台に放り込んで幌をかけた。
肥大化している丘ちゃんは普通車に押し込むのは一苦労だろう。
ナオヤが軽トラを指定したのはその為だ。
「丘ちゃんをヨロシクね」
「任してといてください、姐さん」
舎弟二人は頭を下げてから軽トラに乗り込む。
(オカちゃん……?)
頭に疑問を思い浮かべながらである。
車が走り出すと助手席のスキンヘッドが首をかしげる。
「あの姐さんは誰なんだ? アニキと親しげだったけどよ」
「知らねえのかよ。『骨董屋のユカリさん』って……何があっても絶対モメんなって言われてんだろーが」
パンチパーマが答えるとああ、とスキンヘッドも合点がいった様子だ。
半ば都市伝説の怪談話のように聞いていた話。
「骨董屋のユカリさん」……以前自分たちが所属している組とトラブルになった事があるという女性。
そのあたりの詳しい経緯は伝わっていない。
ただ、収拾には若頭のナオヤが出張りどうにか穏便に収めた。
……それ以後、組では彼女は不可侵とされている。
「あれがかよ。もっとすげーゴツい女を想像してたわ」
組でも有数の喧嘩自慢の武闘派が手も足も出なかったという噂も聞いている。
元プロレスラーだった巨漢のその組員は今でもこの話題になると真っ青になってガタガタ震え出すのだ。
「この荷物だって強化人間だべ? つまり……そういう事だろ」
「おっかねえなぁ……」
一人で一小隊に匹敵する戦闘力を持つと言われている強化人間が無残に片腕をグシャグシャにされてKOされているのだ。
それをやったのがあの涼しい顔をした黒髪赤メッシュの女性であろうことは想像に難くない。
骨董屋のユカリさん、その伝説の一端に触れて寒々しい気分になる二人。
首を縮めて身を震わせるスキンヘッド。
「だがよぉ。何でも酒と美麗な女性に目がねえらしくてよ。定期的にその二つを捧げる事で大人しくしてくれるらしいぜ」
「おめぇ、それ田舎のヤベえ神様じゃねえかよ。年に一回とかイケニエ持ってかなきゃいけねえっつー……」
青ざめた顔をすごいイヤそうに歪めたスキンヘッドであった。
……………。
「頼んでおいて何だけど、どうするつもり?」
「教育して……ダメそうなら処理だな」
フーッと紫煙を吐き出すナオヤ。
外套の明かりに浮かび上がったそれはすぐに夜気に溶けて見えなくなる。
「そっか。とにかくありがとう。ちゃんと謝礼は払うから」
「いらねえよ。この件は貸しにしとく。ゼニ受け取るよりその方がよさそうだ」
言いながらナオヤは自分の車に乗り込む。
「とっとと寝ちまいな。アンタは俺らと違って昼の世界の住人だろ」
窓を開けてそう言い残して走り出す白い大衆車。
彼女は手を振ってそれを見送った。
トラブルの処理に警察は頼りにしたくないのでヤの付く職業を頼ってしまう。
そんなユカリさんの夜であった。
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火俱楽市は大陸中心部から北東にいった所にある人口三百万人を超える巨大都市だ。
通称「この世の果ての街」
ここより北にはまだ大地はずっと続いているというのに、何故そのような呼び名が付いたのだろうか?
その答えは街から見えている巨大な壁である。
殺風景な人工物の壁が街の北部に聳え立っている。
乳白色の飾り気のないその壁は高さ70m以上もあり、その両端はどこまで続いているものかここからでは視認する事ができない。
厚さも2m以上。
よく見てみると下部に頑丈そうな鉄扉がある。
更にそこから100mもしない所に全く同じサイズの壁がもう一枚あるらしい。
この二枚の巨壁によって、大陸は二つのエリアに分けられているということだ。
そして、あの壁より北側……この大陸の三分の一ほどのエリアはこの世とはみなされていない。
ルールとして、解釈としての話である。
どの国の公式な見解でもこの世界はあの壁で終わっているのだ。
そこから先は……ない。
何もない。無だ。
そういう事になっている。
だが、何もないのであれば高く分厚い壁を建てることはないのではないか?
誰もが一度はそう考えたことがあるだろう。
あの壁が出来たのは今から百年近くも昔の事。
何のためにある壁なのか、何を阻んでいるのか……それを知り語れる者はごく少数。
学校でも教えてはくれない。
政治家も何も語らない。
あらゆる詮索を拒む静寂。
覗き込もうとした者の好奇心ごと全てを飲み込んで消し去る禁忌。
それらを遮り壁は今日も静かにそこに聳え立つ。
そんな……彼岸と現世を隔てる境界線の見える街でユカリは古道具屋を営んでいる。
……………。
朝が来た。
……とっくに日は昇っている。
「……がぁッ!! 寝過ごしたぁッッ!!!」
……現在既に開店時間は45分も過ぎてしまっている。
大慌てでシャッターを開けているユカリ。
昨晩のトラブルを非常にスマートに(彼女基準で)処理して気分がよくなって寝る前に缶ビールを数本いってしまったのが仇となって寝過ごしたのである。
色々残念な所もあるユカリであった。
若干乱れた髪のままがっしゃがっしゃと店の前をやや乱暴に掃く。
実際、そんなに慌てなくても彼女の店はそれほど繁盛していない。
恐らくは今日の開店前に店に来て、開いていない事にガッカリして帰った客も一人もいないだろう。
大体古道具屋というのは大勢の客が詰めかけて賑わうような商売ではないのだ。
商うものは大体が趣味のもの。
生活必需品ではない。
趣味が高じて店を開いたユカリ。
これで大成したいとは別に考えていない。
ただ商いをしている以上はやっていてよかったと思える程度に儲けは出したい。
「やっぱ、誰か雇うべきかな~。こういう時安心だしね……」
掃き掃除を終えて道具を片付けてユカリはフゥと嘆息する。
「……どう思う? 市郎さん」
市郎さんとは店の前に鎮座している大型の焼き物のタヌキである。
無論、聞かれてもタヌキはただそこに無言で佇むだけだ。
「まあおいおい考えていけばいっか。慌てる事でもないし」
そうして、ユカリは北の空を仰ぎ見た。
「今日も綺麗に見えてるね、壁が……」
街の北側に聳え立つ高い壁。
あれが建造されてから百年近くが経つ。
だが、そこから何かがこちら側に侵入しようとしたというような騒ぎはこれまで一度もない。
巨大なダイダラボッチが壁の上からこちら側を覗き込んだという事もない。
もう大多数の街の住人たちはそこに壁がある事の意味を考える事もなく日々を過ごしている。
ただの風景の一部として。
「もう二度と行きたくないとは言わないけど……当分はいいかなぁ」
壁を見ているユカリ。
しかし彼女は壁面を見ているのではなく過去を想起していた。
「あっち側は疲れるからね」
フッと苦笑してから肩をすくめ壁に背を向け店に入っていくユカリであった。




