突撃、遠くの大豪邸
早朝、片側三車線の大通りを軽快にライトバンが進む。
まだ周囲を走る車の数も少ない。
「たらったらったたった~♪」
ご機嫌で歌いながらステアリングを握っているユカリ。
朝っぱらからテンションが高い。
今日は大きなお仕事で彼女は張り切っているのだった。
「北区の更に北の外れって、超大物の割には随分辺鄙な所に暮らしてるんだね」
助手席のルクシエルが欠伸を噛み殺している。
早起きでユカリほどテンションが上がっているわけでもない彼女は気を抜けば舟を漕ぎ出してしまいそうだ。
「今の北区は昔はそこまで辺鄙でもなかったのよ? でも壁ができた時に壁から周囲数kmは誰も住んではいけない、建物を建ててはいけないっていう決まりになっちゃって当時の火倶楽の北側は大規模な更地になったの。その分は南側に新しく街を広げてね」
つまり、現在の街の北側は昔はもっと街の中心に近いエリアだったという事だ。
ところが「壁」が建造されたことで壁から近い街の北側が取り壊されて荒野になった。
結果として中途半端に街の中心部に近かった大河原邸はギリギリ取り壊しを免れて残り、火倶楽の最北端になってしまったのだ。
(壁……)
助手席でルクシエルが仰ぎ見る。
これから向かう方向に聳え立っているのでいやでも視界に入ってくる巨大な乳白色の壁。
『この世』と『そうではない場所』を隔てているとされる境界線。
……あの壁の向こうに果たして何があるのだろうか。
「不便じゃないの? そんな所で暮らしててさ」
「流石に普段は住んでないわよ。会長はもっと街の中心部に大きなお家を持ってらっしゃるからね」
ユカリが言うには大河原の先代と先々代は北の屋敷を気に入って普段からそこで暮らしていたのだが、現会長のタツヤは早い内から中心部に別邸を建ててそこを生活の本拠地としていたそうだ。
そして先々代と先代が立て続けに亡くなってしまい屋敷を利用する者もいなくなってしまったので処分しようという話になったらしい。
「先祖代々の大事なお屋敷なら普段使ってなくてもとりあえず維持しとこうとか思うものなんじゃないの?」
「そうねぇ……」
ルクシエルの疑問に対してふわっとした反応をするユカリ。
実のところ、彼女も同じことを思っていたのだ。
維持にも相当なお金が掛かるだろうがそれが出せないような人物でもないだろう。
金銭的な面での問題ではないのだとすれば、何故大河原タツヤは本家屋敷を手放そうとしているのか……。
……………。
陽も登りきらないうちから出発したのでユカリたちは9時前には目的地の北区の大河原家へ到着することができた。
門の所でベルを鳴らすと「やあ、ようこそ。お待ちしてましたよ」とスピーカーからタツヤの声が聞こえた。会長自らのお出迎えである。
自動で開いていく鉄の門。
「車のままどうぞ。そこから屋敷までもまだちょっとあるからね」
スピーカーから聞こえる声がそう案内してくれる。
「うっわぁ……」
大庭園の中をゆっくり進むユカリのライトバン。
感嘆とも呆れとも取れる声を思わず漏らしたルクシエル。
窓から外を見ている彼女は頬を引き攣らせている。
なんという広大な庭。敷地の中に小さな森があり小川が流れている。
まるで自然公園のようだ。
「あの女神像いける。それにあのベンチとフラワーポットも……」
既にお見積りモードに入っているユカリは周囲を殺し屋のような鋭い目線で見回しながらブツブツと呟いている。
「庭石一つ一つまで全部やりたいわね。勿論そんなの無理なんだけど……」
「この車で全部持って帰れるの?」
怪訝そうな顔で尋ねてくるルクシエルに、まさかとユカリは苦笑する。
「この車じゃ何十往復したって無理かな。今日は見積もりだけ。話が決まれば正式な移送は後日改めて人とそれなりの車を手配してやるわ。倉庫も借りなきゃいけないし……」
大変だね、とユカリは苦笑している。
しかし彼女は楽しそうだ。
……………。
セーターにスラックスというラフな格好で出迎えてくれたタツヤ会長。
他には……誰もいないのだろうか?
敷地の広さと建物の規模からいって相当数の使用人がいると思われるが。
「わざわざこんな遠くまで済まなかったね」
「いえいえ! とぉんでもない~。こんなステキなお仕事でしたらどこまででもお伺いしますよ~」
揉み手しそうな勢いでへりくだるユカリ。
おべんちゃらばかりではなく口にしたセリフは本音でもあるだろう。
「ハウスキーパーたちにはもう暇を与えてしまっていてね。今日は私が案内するよ」
おおらかに笑う会長。
ルクシエルはなんとなく彼の出っ張った腹に目がいってしまう。
(この人、痩せれば格好いいと思うのに。勿体ない……)
「お嬢さん、これが気になるかな?」
そう言うとタツヤは自分の腹を相撲取りのようにパンと軽く叩く。
「ああいえ! その……すいませんでした」
「あっはっはっは、気にしなくていいさ。私もこれをよしとしてるわけではなくてね。お見苦しいのはご勘弁頂きたい。せめてタヌキ山のボスとして僅かでも愛嬌を感じて頂ければ幸いだな」
恐縮して頭を下げるルクシエル。
タツヤは気分を害した様子はなく腹を擦った。
「我が家の家訓なんだ。上に立つものがガリガリに瘦せ細っていれば働いてる者たちが不安になる。太っておけ! っていうね」
「なんか……極端ですね」
100%同意するのも難しい家訓である。
何とも言えない表情になるルクシエル。
「まったくその通りだ。私もずっとだからって太る必要はないだろうと思っていたよ。何せ小さい頃からずっとこの体型だ。色々不便もあったな。……だがね」
そこで会長がふっと遠い目をする。
「父も祖父も最期は体を壊して瘦せ細ってしまっていてね。二人とも私と同じような体型で健康そのものだったんだが……。それを見てしまうと私も多少デブの方がいいかなと思ってしまった。痩せ細っているのは何とも物悲しい感じがするもんだ」
ここ二年ほどで立て続けに祖父と父を亡くし早くして会長の座を継ぐことになったタツヤ。
その辺りは報道されているのでユカリもよく知っている。
「お二人はご病気だったんです?」
「そうだと思うんだが病名もはっきりしていない。何年か前から痩せてきて気にはしてたんだが医者は何でもないと言ってたそうでね。祖父が逝ってしまったと思ったら故人を偲ぶ間もなくすぐに父もだ。二人とも死後に解剖してもらってるんだがこれといった異常は見つからなかった」
ユカリの問いにタツヤが軽く首を横に振って返答する。
「……まあ暗い話はこの辺にしよう。早速家の中の物を見てもらおうかな」
……………。
それから、タツヤは自ら家の中を案内しつつ美術品や家具などの品々をユカリたちに見せた。
流石のハイパーセレブ一族。まがい物や安物はまったくない。
ユカリは掲示された品々に一々鼻血を流したり涎を垂らしたり感涙に咽んだりしている。
「……顔から色々な液体を出しすぎだっての!」
「だってぇ……グスッ」
まだ感動して泣いているユカリの涙をイヤそうな顔で拭ってやっているルクシエルだ。
そして、地下に一行が下りてきた時のこと。
「……おおっ、これは。何だか凄いですね」
地下室の石造りの床に物凄く武骨で重厚で巨大な鉄扉があった。
両開きのようだが鍵穴は無く持ち手のようなものもない。
「この下には何が……?」
「それがね。わからないんだ。ここは開けたことがなくてね。うちの先祖がここを買い取って移り住んだ時にはもうあったらしいんだが開けてはならないと言われて今日まで律義にそれを守ってきたってわけさ」
肩をすくめるタツヤになるほど、と肯くユカリ。
そして彼女は膝を折って床に手を置くと鉄扉の縁のあたりを軽く指先で撫でている。
「……………」
何となくその時の彼女の横顔に品物の査定をしている時とは別種の真剣な眼光を感じて、それが気になったルクシエル。
……………。
その後、食事を挟んで日暮れまで掛かったが結局査定は終わらなかった。
何しろ屋敷は広大であり品物が多すぎる。
「戻るのは億劫だろう? よかったら一泊していかないか? とはいってもキーパーを休ませているここだと満足な持て成しもできないから近くにホテルを手配してあるんだ。私も今夜はそっちに泊まるよ」
気を利かせてくれる会長。
しかし……ユカリの頭にはふとした疑念が浮かんでいた。
泊まらないのか……自分の実家に。
「もしかして~……ご実家にお泊りになるのに抵抗あります?」
そう指摘するとタツヤは一瞬驚いた表情を浮かべ、それからバツが悪そうに苦笑した。
「見抜かれてしまったか。お恥ずかしい話、私は昔からどうにもこの実家が苦手でね。何というか……言葉にするのは難しいんだが、何かこう嫌な感じがするんだよ。寒気のような? いや本当に説明するのは難しいな。……とにかくそういうわけで私は早い内から家を出て暮らしていた。今回この家を手放そうとしているのもそういう理由からなんだ」
若干気まずそうに打ち明ける会長。
そんな彼に対してユカリは「そういう事ってありますよね」と何となくふわっと話題を着地させた。
……………。
そうして夜。
会長の手配してくれた高級ホテルの一室。
ユカリは早速見積書の作成に入っている。
ルクシエルはその辺は手伝うことがないので付けっぱなしのテレビでやっているバラエティー番組をぼんやりと眺めていた。
するとユカリが書類作成の手を止めてスマホを取り出しどこかへ掛けている。
「環境保全課の織原課長をお願いします」
その言葉が耳に入ってうとうとしかかっていたルクシエルの意識が現実に引き戻される。
環境保全課? 統治局の……?
何故急にユカリがそんな所に連絡を入れているのか。
「……あ、キョーコちゃん? 私ぃ~お久しぶり~。今ね、ちょっとお仕事で北区の大河原さんのお屋敷に来てるんだけど。うん、あのタヌ急の大河原さんね」
若干声が明るくなるユカリ。
通話は気安い相手なのだろうか。
「ちょっとね、地下まで『森』が来ちゃってるっぽいのよね。調査の人派遣してくれる?」
地下まで……。
その言葉でルクシエルは地下にあった分厚い鉄扉を真剣な表情で見ていたユカリを思い出す。
しかし、「森が来ている」とは……?
「え? 付き添い? 別に私もそこでお仕事してるから構わないけど……。でも私、手ぶらで来ちゃってるから誰かに一振り預けてきてよ。もし何か出たら私も素手じゃ対処できないから」
あのミヤノモリユカリが。元黒騎士が。
テロリストの強化人間が相手でも悠々と素手で出ていく女が。
武器がないとやれないといっている。
その事に背筋に冷たい戦慄を覚え思わず生唾を飲むルクシエルであった。




