おやつ休憩にしませんか?
深夜、大きな道路沿いの歩道でに立つロングコートの男……クロカワ。
彼の掛けているサングラスの黒いレンズに、この時間になってもひっきりなしに流れ続ける車のテールランプが映っている。
ガイアード・カグラ社に所属する身分でありながら会社に対して暗躍を続けている彼。
スマホを手に誰かと話しているようだが……。
「この前の報告の続きです、課長。例の超人の詳細がわかりました。驚いた事に元帝国の黒騎士です。序列六位……ユリアーゼ・ミューラー。こっちではミヤノモリ・ユカリと名乗っているようですが」
ヴェーダー帝国の黒騎士とは一般に暮らす人々にとっては半ば御伽噺の登場人物たちのような謎に包まれた存在である。
非常にぼんやりとした情報が出回っているだけで個人名などは一切知られていない。
それでも情報とは伝わる場所には伝わっている。
裏社会の情報網を駆使してユカリの正体まで辿り着いたクロカワであった。
『……………………』
珍しく長めの沈黙が挟まる。
上司は言葉を失っているのだろうか。呆然としているのであろうか。
……いや、笑っている気がする。
たっぷり1分近くも経ってからようやく彼は感じ入ったような吐息を漏らす。
『随分とんでもねえ名前が出てきたじゃねえか。黒騎士の事は詳しく知ってるか? 超人どもを世界中から集めてそん中から選りすぐったヤツのみで構成されてるバケモンの中のバケモンどもだぜぇ、オイ』
「そのようですね。一応噂程度には……。いつぞやのお家騒動でメンバーの半分近くが脱退してしまったとか」
ヴェーダー帝国では数年前に皇帝の崩御に伴い後継者争いが起こった。
宰相だった実の兄を味方につけた第四夫人と軍部を味方につけた長男による争いである。
黒騎士の大半はこの争いに不干渉の立場を取ったが数名が妃と皇子それぞれに付いた。
争いは結局皇子が勝利し皇帝の座を継ぎ、妃は国外追放となり宰相は死罪となった。
妃に付いた黒騎士は全員が国を去り、また争いで嫌気が差したのか中立だった黒騎士からも数名の脱退者が出たという。
「その騒ぎで六位も国を出たんだと思ったんですがね。どうもそうではなく、皇帝が死ぬ前にもう脱退していたようで」
『勿体ねぇよなぁ。あんな世界最強の殺し屋軍団、作ろうったってそうそう作れるもんじゃねえのによぉ』
長めの上司の嘆息がスマホの向こう側から聞こえてくる。
『よぉし、決めたぜ。俺は帰るぞ。こっちの仕事は早々に切り上げて戻るからよ。それまでお前はのんびりしとけ。ここんとこ動き通しだったろうしちょうどいいだろ~』
「そうですか。久しぶりに営業四課が全員集合しますね」
ガイアード・エンタープライズ・カグラ社営業四課は課長の個人軍のようなものだ。
指揮官が帰還すれば士気も上がる事だろう。
通話を切って薄笑みを浮べるクロカワであった。
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雲ひとつない晴れ渡った青空の昼下がり。
『のすたるじあ』にお客さんがやってきた。
……だが、買い物客ではない。
自動ドアが開き、無造作に伸ばした長い黒髪を揺らしながら腰に刀を帯びた彼女が歩いてくる。
「これ、ケーキ。……近くまで来たからな」
そう言って長い黒髪の男……に見えるシズクがヌッと手にした紙製の手提げケースを突き付けてくる。
近くまで来たから、の台詞は若干言い訳じみていて早口である。
「ありがとう! ……でもどうして?」
ケーキと聞いて甘党のユカリが目を輝かせてから不思議そうな表情になった。
ちなみにユカリは大酒飲みでありながら甘いものも辛いものもどちらも好物なのだ。
「いや、別に……。ユカリには色々世話になったから……」
何となくユカリから視線を逸らしつつぶっきら棒に言うシズク。
その視線をずらしていく過程で一瞬だけ少し離れた場所にいるルクシエルと視線が交差する。
『一緒に暮らしている』
テオドールの台詞が耳の奥で蘇り、僅かにシズクは眉間に皺を刻んだ。
胸がざわつく。自分でも理由がよくわからない。
そしてルクシエルはルクシエルで僅かに交わっただけのシズクの視線に秘められた感情に何となく気が付いていた。
(……完全にライバルを見る目だったし。はぁ……めんどくさ)
気が重くなり憂鬱そうに吐息をそっと漏らしたルクシエル。
「あはは、気にしなくていいのに~。今お茶を淹れるからシズ……マも食べていってね」
一瞬シズクと呼びかけて軌道修正するユカリ。
ルクシエルもいる所で彼女をシズクと呼ぶわけにはいかない。
「いや、俺の分は買ってない。二人で食べてくれ。すぐ戻らないといけない」
「えぇ~……」
ハの字眉毛でしょんぼりしながら心の底から残念そうな声を出すユカリ。
「それと……」
奥にいるルクシエルをシズクが指差す。
なるべく睨み付けたようになってしまわぬように注意しながらルクシエルを見る。
「彼女には俺の事を話して構わない。毎度ごまかすのも面倒だろうしな」
「そ、そう?」
「………………」
戸惑い気味のユカリと無言のルクシエル。
そんな二人を残して足早にシズクは去っていってしまった。
「せわしいなぁ。もうちょっとゆっくりしていけばいいのにね~」
ふふ、と苦笑しながらユカリがお皿とフォークを出してくる。
その間にルクシエルはコーヒーを淹れていた。
シズクが買ってきてくれたのは三角に切り分けられたブルーベリーのチーズケーキ。
4ピース入っている。
自分の分は無いと言っていたのに……。少し寂しそうに眉を顰めるユカリ。
「ね、ユカリ」
「はい?」
「あれ、誰? パーティーの日も来てたけど」
何やらいつもより距離が近いルクシエル。
顔を覗きこむようにしてくる彼女にユカリが若干頬を染める。
「彼女はね、蛇沼シズクさんっていう……私のお友達、かな。警察の人。あの日来てたのはお仕事ね。女の人なんだけど事情があって男の人のフリをしているから、そこは配慮してあげてね」
「ふぅん……」
何となくピンと来る。
以前一度日中急に誰かに呼び出されてユカリは出て行き夜まで戻らなかった事があった。
誰の用事かをルクシエルは尋ねるようなことはしなかったが……。
(彼女ね。シズク……あの人の所に行ってたんだ)
……何だか、胸の奥にゴワゴワしたものを感じる。
面白くない気分であった。
「随分仲いいみたいじゃない?」
「え? そ、そう? そんな特別って事はないよ~。お友達だから」
暢気に柔らかく笑っているユカリ。
その能天気さにピシッと何かが軋む音を自分の内側から聞いたような気がしたルクシエル。
自分が先程向けられた視線は特別ではない単なるお友達のものではなかった。
何だか異様にじっとりと重たい感情を孕んでいるのは疑いようがなく……。
「こンの、天然人たらしッ……!!!」
「いひゃひゃひゃひゃ! いひゃい! にゃにすんにょぉぉおおお!!!」
ユカリの頬をつねって引っ張るルクシエル。
涙目で悲鳴を上げつつも、手にしたお皿の上のケーキだけは絶対床には落とさないユカリであった。
……そこでポロンポロンとユカリのスマホで着信音が鳴った。
誰だろう?
登録のない番号からの音である。
手を離すルクシエル。
ユカリも皿をカウンターに置いて着信に出る。
『こんにちは、先日はどうもね。お互いに中々大変な目に遭ったが、まずはどちらも無事で何よりだった。早速頂いた名刺の番号に掛けてみました。オオガワラホールディングスの大河原です』
「……!! これはこれは会長、お電話ありがとうございます~。……いえいえ、お互い大きな怪我もなくて本当によかったですねぇ~」
プラントのパーティーの夜に名刺を渡した一人だ。
早速営業の効果が出たか……?
儲け話の匂いにユカリの目がキラーンと輝きを放つ。
オオガワラホールディングス株式会社は火倶楽では最大手、一社でこの巨大都市の物流の六割近くのシェアを持つラクーンドッグ・エクスプレス社(通称、たぬ急便)を運営する親会社である。
その現会長、大河原タツヤ。
確か思っていたよりも随分と若い人物だった。三十台の半ばくらいであったか。
小太りだが容姿の整った眼鏡を掛けたこげ茶色の髪の毛の男性……これで痩せればモデルばりの見た目になるのではないかと思った事を覚えている。
『実はお仕事の依頼で連絡したんだ。近く、今の住まいを引き払おうかと思っているんだよ。曽祖父の代から住んでいる屋敷で色々と物が多くてね。特別思い入れのある物以外は思いきって処分してしまおうと考えているんだ。見積もりをお願いできるかな?』
「はい……はいッ! それはもう! 御用命ありがとうございます。誠心誠意やらせて頂きますので!!」
ブオンブオンと風が発生しそうなほど勢い良くユカリがその場にはいない相手に向かって頭を下げている。
大河原家の屋敷……その予備知識はユカリの頭の中にある。
敷地は広大であり屋敷というよりかは最早小さな宮殿と言った方がいい建物。
彼ら一族が住んでからは百数十年といった所なのだが、その前は某旧華族が住まいとしていた大豪邸だ。
二百年以上の歴史のある古い屋敷……中には一体どれ程のお宝が眠っているのだろうか?
想像しただけでも背筋をゾクゾクと興奮が駆け上っていく。
通話を切って一人で身悶えしているユカリをルクシエルが不気味そうに見ていた。
すると、そのユカリがやおらガバッと凄い勢いで振り返る。
思わず目が合ってしまってルクシエルが頬を引き攣らせた。
「キャーッ!! やったわよ、ルク!! 聞こえてた!? すっごい大口のお仕事が入ったわ!!」
「うわッ! ちょッッ!! ……ユカリ!!!」
興奮しまくったユカリが抱き着いてくる。
すっぽり彼女の腕の中に収まってルクシエルは慌てた。
「暑苦しい! 離してってば……!!」
もがいて抗議するものの大喜びしているユカリの耳にはまったく入っていない。
(ああ、もう、ハラ立つ!)
感情がかき乱される。気持ちがぐちゃぐちゃだ。
だけどそれは口にしている程にはマイナス寄りの感情ではなく、むしろ……。
脳の一部が急速にクールダウンしてふと気が付く。
もう一人のルクシエルが囁いている。
それはこれまで気にしないように、あえて見て見ぬフリをしてきた気持ち。
(……私、やっぱりコイツの事が好きなんだ)
ついに直視せざるをえなくなってしまった自分の恋心……ユカリに振り回されながら複雑な表情になるルクシエルであった。




