キミが好き
『のすたるじあ』店内に金切り声の怒号が響き渡っている。
高周波だ。
窓ガラスが細かく振動している。
「お話にならないわッ! もういいザマス!」
持ち込んだ品物をガッシャガッシャと乱暴にバッグに詰めているのはお化粧の濃い中年マダム。
全身に多数の貴金属のアクセサリーを身に着けた煌びやかでハイソな御婦人はその作業を終えると勢い良く立ち上がった。
小さめの目を三角形にしてお怒りのご様子だ。
「……ふんッ!」
鼻息も荒くドカドカ足音を鳴らして出て行ってしまう御婦人。
「ま、またのお越しを……」
その後姿に引き攣り笑いで頭を下げ、辛うじてそれだけを口にするユカリであった。
マダムの撒き散らしている怒りのオーラは凄まじく、自動ドアの開閉の音まで怒気を孕んでいるように聞こえてくる。
嵐は去って……。
「はふ~……」
気の抜けた声を出して椅子に腰を下ろしたユカリ。
下ろしたというか力尽きて崩れ落ちたというか。
中々緊張感のある一時であった。
その心境は爆弾解除のそれにも似ている。
ユカリも場数を踏んでいて客の感情に仕掛けられている爆弾を起爆させずに応対する方法もある程度心得てはいるが、その導火線の長さも人それぞれで毎回穏便にいくかといえばそうもいかない。
今回のように大爆発させてしまう事もある。
全身からズーンと疲労の気配が漂わせてグッタリしているユカリ。
「お疲れ様」
そんなヨレヨレの店長の脇にマグカップが置かれる。
ルクシエルがコーヒーを淹れてきてくれたのだ。
「ありがと~。いやぁ、中々キョーレツなお客様だったわね」
普段は入れないミルクと砂糖を入れているユカリ。
今は脳と心が糖分を欲している。
それから彼女は苦笑してコーヒーを飲んだ。
マダムが持ち込んだ物は多数のアンティーク調のアクセサリー類であった。
悪いものではない……が、所有者の満足いくような査定が出るようなお品でもなかった。
ユカリはその辺りを敏感に察して何とか客を刺激しないように話をしていたのだが……。
「解説は結構ザマス! いくらになるのかを教えて頂戴!!」
そう会話をぶった切られてしまったので為す術もなし。
それで買取額を掲示した所、案の定マダムはブチ切れてしまった。
「ニセモノだったの?」
「ん~ん、そういう訳ではないの。それなりに古いものではあるし無価値でもないわ。だけど所有者が思っているほどの値打ちはないかな……」
そもそも持ち込んだ本人もいいものだと本当に確信していたのか、そこはわからない。
高く査定してもらう為に良いものであると吹聴していてその内自分でも本当にそう思いこんでしまうようなケースもある。
だがいくら自分で大切にしていようが価値が高いと思いこんでいようが外に出せばそこには世間の相場という厳格な価値基準が存在しているのだ。
ユカリにしてみればその相場に沿って粛々と処理をするだけだ。
その仮定で今回のような不幸な事故もある。
「よくあるの? こういう事……」
「そうでもないわよ。大体の場合は低い査定が出ちゃっても納得してもらえるからね」
低い査定を出したからと言ってその値段で無理やり引き取るわけではないのだ。
納得がいかないのなら持ち帰ればいいというだけの話。
しかし今回のマダムのように自分の持ち込んだ品物を安く見積もったという事実に対して失礼だとキレてしまう客もいる。
「人ってどうしても自分の所有している物は価値あるものなんだと思いたい生物だからね~」
親の欲目とでもいうのであろうか。
期待、希望と現実がごっちゃになってしまう人がいる。
そう語った時のユカリの横顔が何だかいつもよりもずっと大人びているような気がして思わずハッとなるルクシエルであった。
そして、ふとルクシエルは我に返る。
目の前には自分に対して背中を向けて背もたれの無い丸椅子に腰を下ろしているユカリ。
無防備な白いうなじが目に入る。
「……………」
どくん、と心臓が鳴った。
ナイフは常に携帯している。
(いや、刃物は後始末が大変よね……)
彼女は普通の人体を持つ者ではない。
刃物に対しては強い耐性があるし、普通の人間ならば行動が妨げられるような重傷だろうと動く事ができるはずだ。
不意を突いてもナイフでは行動不能にできるかわからない。
喉が鳴る。
いつの間にか口の中はカラカラだ。
この白く細い首を……この手で……。
頚椎を破壊すれば流石にしばらくは行動不能になるはずだ。
その間に止めを刺せば……殺せる。
無敵の黒騎士を自分が、この手で。
呼吸が乱れる。
心臓も鼓動の音を聞かれるのではないかと不安になるくらい鳴り響いている。
ユカリの首に、背後から両手を……。
手を掛けて……。
「ん~……」
その時だ。
突然ユカリが立ち上がった。
やや仰け反り気味に頭部を後ろへ移動させながらだ。
(あ……ッ!!)
結果としてユカリの首を掴むはずだったルクシエルの両手はそれを為せぬままに素通りして前にいってしまった。
「え……?」
ユカリが驚いている。
それはそうだろう。
彼女にしてみればルクシエルが背後から首に抱き付いてきたような体勢になっている。
(うわぁぁッッ!!! おかしな格好になっちゃった!!!!)
負ぶさるように、抱きついたようにユカリと重なったルクシエル。
彼女の肩越しに前に抜けてしまった両手が所在無さげにプラプラと揺れている。
「ルク……」
振り返ったユカリ。
慌てて身を離すルクシエル。
「ご、ごめん……これは、その……」
慌てて弁明を試みるルクシエルだったが、動揺しまくっていて言い訳が脳に浮かんでくれない。
すると……ユカリは若干頬を赤らめつつややだらしなくふにゃっと笑った。
「嬉しいわ、ルク。私ね……ずっと不安だったの。ルクに私の気持ちちゃんと伝わっているかな? って」
「……………………」
硬直するルクシエル。
いや、凍結といった方がいいか。
思考も呼吸も何もかもが凍り付いてしまったようだ。
「初めて会った時はビックリしたわ。あなたはどこかの名画から抜け出てきたみたいに綺麗だったから」
……との事であるが今現在の自分の方がビックリしている自信がある。
このまま自分が白い灰になって崩れ落ちていくのではないかとすら思った。
(はは、あははは……どうしよう。どうすんの、これ)
虚ろな目をして口の端を引き攣らせているルクシエル。
拒絶するわけにはいかないだろう。
これまでの苦労が全て台無しになってしまう。
目の前の女は相変わらず赤い顔で幸せそうにルクシエルがどれだけ素敵な女性であるのかという事を必死に詩的な表現を駆使しながら説明し、尚且つ自分がどれだけルクシエルの事を想っているのかと言う事を訴え続けている。
堰を切ったかのように止め処なく言葉が流れ出ている所を見ると、これまでかなり溜め込んできたものがあるのだろう。
(……だぁッ! うっさいわねもう! あんたがどんだけ私を好きなのかはよぉーくわかったっての!)
とりあえずもうこれ以上彼女に喋らせておくわけにはいかない。
こちらが……持たない。
「ユカリ……」
「えっ?」
ようやく、言葉が口から出てくれた。
ユカリが話を止めて自分を見ている。
「……照れ臭いからもうやめて」
頬が火照っているのがわかる。
きっと今自分はトマトのような顔色をしている事だろう。
これだけ褒めちぎられた経験は人生でこれまでなかった。
「うん。結局私の言葉じゃどれだけ語ってもルクの素敵な所の十分の一も表現できないわ」
「あんだけ語り倒しておいてか……」
ふぅ、と色々なものがない交ぜになった吐息を吐き出してルクシエルが椅子に座る。
そんな彼女を見下ろして立っているユカリが胸の前に両手を重ねるとその手をもきもきさせる。
「それで……ちょっと、お願いがあって」
「え? 何?」
若干、というかかなりビビっているルクシエルだ。
「手を……握っても、いいかしら」
恐る恐るといった様子で若干上目遣いになるユカリ。
「……まあ、そのくらいなら」
何を言われるのかと身構えていたルクシエルがホッとする。
右手を差し出すとまるで従者のように恭しくそれを両手で取るユカリ。
「えへへ」
だらしない顔で笑っている彼女を若干白けたような視線で見ているルクシエル。
(何がキレイだ、よ。あんただって滅茶苦茶美人のクセしてさ……)
暗殺の標的としてそれ以上の感想や感情を持たないように気を付けて接してきたが……。
いざこうして見てみればユカリはハッとするような美女である。
つい他者に対してはツンケンしてしまう自分にはない暖かさや柔らかさのようなものもある。
(だけど人を見る目は無いね……ユカリ)
自分の手を取って幸せそうにしている彼女を見て、思わず自分も笑ってしまう。
だけどその笑みは苦笑であって、虚しさもそこに滲んでいる。
(……自分を殺しに来た女にさ)
その夜、二人は一緒に眠った。
ユカリのベッドで二人。
断り切れずに同衾してしまったルクシエルだが、彼女の警戒心をよそにユカリは一緒にベッドに入るとすぐにスースーと気持ち良さそうな寝息を立て始めた。
ちなみにユカリはあんまり寝相は良くない。
布団から飛び出すようなことはないものの、ベッドに入って30分ほどゴロゴロとあっちにいったりこっちにきたりを繰り返している。
「なんなのよ……あんたは」
身構えていた自分がアホのようだ。
若干不機嫌になり、ルクシエルは眠るユカリの鼻を摘まむ。
「ふがっ」とヘンな声を出すユカリに満足して手を離す。
本当に寝ている。だらしなく寝こけている。
半開きの口から垂れているヨダレが間抜けである。
相変わらずの無防備さ。
「ルク~~~……」
寝言で自分の名を呼びながら擦り寄ってくるパジャマのユカリ。
今なら……確実に殺せる。
だが。
(流石に今日はもうやる気にはなれないわ……)
好意を向けてきた相手を即座に殺そうとできるほど自分は壊れてはいないと思う。
止むに止まれぬ事情で暗殺を請け負ってきたが自分は生粋の暗殺者ではない。
これまでに人を殺めた経験もない。
それなりに悲壮な決意を持って火倶楽へ来たつもりだ。
それがまさかこんな事になるとは……。
「どうしろって言うのよ、私に」
やるせない思いで天井を見上げて呟くルクシエルであった。




