スモーク・シグナル
バーベキュー
このお題での作品です。
パチッ、と炭が爆ぜる乾いた音がした。
しかし、網の上には熱気ではなく、目に染みるような白い煙だけがだらしなく立ち昇っている。
「……おかしいな。着火剤が古かったか」
父親が額の汗を拭いながら、百円ショップで買った団扇を必死に扇いでいる。
灰色の粉が舞い上がり、傍らのクーラーボックスに降り注いだ。
川原は、初夏の陽光と、他のグループの楽しげな笑い声に満ちていた。
あちこちから、肉の焼ける香ばしい匂いと、缶ビールを開ける快音が聞こえてくる。
私たちの場所だけが、まるで音のない結界に隔離されているようだった。
私は折りたたみ椅子に深く沈み込み、スマホの画面をスクロールし続けていた。
特になにを見るでもない。
ただ、顔を上げるのが気まずいだけだ。
「久しぶりに、家族でキャンプでもどうだ」
一週間前、父親が切り出したその提案は、冷え切った食卓に投げ込まれた石のようだった。
定年間近になり、急に「良き家庭」を取り戻そうと焦る父親。
長年の無関心に疲れ果て、形だけの愛想笑いを浮かべる母親。
そして、その空気に息苦しさを感じている私。
炭火の着かないバーベキューコンロは、今の私たちそのものだ。
形だけは整っているが、そこには火が灯っていない。
「あなた、風向きが変わるわ」
母親が、タッパーに詰められたカット野菜を見つめたまま、独り言のようにつぶやいた。
その直後だった。
父親が無理やり網に乗せた、霜降りの高級牛肉。
そこから滴り落ちた脂が、ようやく赤くなり始めた炭火を直撃した。
ジュワァァァァッ!!
暴力的な音と共に、オレンジ色の火柱が上がった。
一瞬で焦げる肉の匂い。
そして、川風に煽られた濃密な煙が、容赦なく私たちの顔面を覆い尽くした。
「うわっ!」
「ゲホッ、ゴホッ! あ、目が……!」
私はスマホを取り落とし、両手で目を覆った。
玉ねぎを切った時のような強烈な刺激。
涙が勝手に溢れ出し、鼻水が垂れる。
煙の直撃を受けた父親は、カエルのように激しく咽ていた。
母親もまた、エプロンで顔を覆いながら咳き込んでいる。
私たちはたまらず立ち上がり、煙から逃れるために風上へと走った。
「ゲホッ、……ひどい目に遭った」
「もう、あなたったら……ふふ、顔が真っ黒」
充血した目で、母親が父親の顔を指差した。
父親の鼻の頭には、見事な炭の跡がついている。
「うるさいな。お前だって、マスカラが取れてパンダになってるぞ」
父が言い返し、私も思わず吹き出した。
煙の向こう側で、三人が並んで咳き込みながら笑っている。
それは、アルバムの奥底に眠っていた「仲の良かった家族」の記憶と、ほんの一瞬だけ重なった。
煙が晴れ、コンロの上には、すっかり黒焦げになった肉塊が残されていた。
「……ああ、高かったのに。炭になっちまった」
「炭じゃないわよ。よく焼けてるだけ」
母親はそう言うと、真っ黒な肉を三つに切り分け、紙皿に乗せて私に手渡した。
私は箸を取り、焦げた塊を口に放り込む。
(……苦い)
口の中の水分が奪われるようなパサつきと、強烈な炭の苦味。
けれど、その奥に、ほんの微かな肉の旨味と、確かな温かさがあった。
私たちは黙々と、その苦い肉を咀嚼した。
過去の時間は戻らないし、明日からまた、静かな食卓が始まるかもしれない。
それでも、指先に残るこの脂の匂いと、煙の余韻だけは、もうしばらく消えそうになかった。




