表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/94

灰と光のシンパシー

名探偵コナン


このお題での作品です。

事務所の先輩をモチーフにしています。



 カラン、と氷を揺らす音が途切れた。




 向かいの席に座るさゆりさんが、グラスを持ったまま、瞬きもせずに私を見つめている。




 ジャズの流れる落ち着いたダイニングバー。



普段の彼女なら、涼しげな目で相槌を打ちながら、赤ワインを優雅に傾けている時間だ。




 だが、私が何気なく「こないだ、テレビでコナンの映画やってたね」と言った瞬間。




 彼女の纏っていたクールな空気が、カチリと音を立てて弾け飛んだ。




「……見たの? 『黒鉄の魚影』」



 声のトーンが、半オクターブ上がっている。




 さゆりさんはグラスをコースターに置くと、身を乗り出し、テーブルの上で両手を組んだ。




 その瞳の奥に、理知的なOLの仮面の下に隠されていた、猛烈な熱量が渦を巻き始めている。




「あ、うん。面白かったよ。アクションすごくて」



「アクション? 違う、そこじゃないわ! あの映画の真髄は、灰原哀という一人の女性の、魂の救済と自立の物語なのよ!」



 さゆりさんの声が、バーの喧騒を突き抜けた。




 隣の席の客がチラリとこちらを見たが、彼女はもう気づいていない。




「いい? 元々彼女は、闇の中で孤独に震えるサメだった。でも、江戸川コナンという圧倒的な『光』に出会ってしまった。バスジャック事件の時、彼に腕を引かれて炎の中から救い出されたあの日から、彼女の時計は動き出したの!」



 さゆりさんの早口が加速していく。




 身振りが大きくなり、完璧にセットされていた前髪がハラリと乱れる。




 その顔は、営業先の重役を前にした時の完璧な笑顔ではなく、頬を紅潮させた、十代の少女のように無防備なものだった。




「彼女はね、自分を『身を焦がす炎の熱さ』だって言ったのよ。近づけば彼を焼いてしまう。だから距離を置こうとする。でも、コナン君はそんなのお構いなしに、土足で彼女の心に入り込んでくる。……ああっ、もう、蘭ちゃんという太陽がいるのに、なんて残酷な光なの、あの眼鏡は!」



 彼女は頭を抱え、天井を仰ぎ見た。




 私は圧倒され、口を挟むタイミングを完全に失っていた。




 ただ、彼女の口から次々と飛び出す固有名詞と、年号と、深い心理考察の波に飲み込まれるしかなかった。




 そこから二十分。




 さゆりさんは、バーボンのスパイとしての孤独、ベルモットの歪んだ母性、そして初期から最新刊に至るまでの作画の変遷までを、一息に語り尽くした。



 「……だから、彼らの戦いは、黒の組織の壊滅だけじゃない。自分自身の『過去』との戦いなのよ」



 はぁ、と深い息を吐き出し、さゆりさんはようやく沈黙した。




 胸が激しく上下している。




 燃え尽きたような静寂。




 私は、すっかりぬるくなったビールを一口飲み、小さく拍手をした。




「……すごい。映画一本で、そこまで深いドラマがあるなんて知らなかった」



 私の言葉に、さゆりさんの動きがピタリと止まった。




 数秒のタイムラグ。




 そして。




 シュゥゥゥ。




 目に見えるほどの勢いで、彼女の顔から表情が抜け落ち、代わりに耳まで真っ赤に染まった。




「あ、えと……わ、私、なんてことを……!」



 さゆりさんは両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏してしまった。




 指の隙間から、消え入りそうな声が漏れる。




「……ごめんなさい、引いたよね。私、この話になると周りが見えなくなって……いつも後悔するの。……穴があったら入りたい……」



 さっきまでの弁舌の嵐が嘘のように、彼女は小さくなっている。




 そのギャップが、おかしくて、そしてどうしようもなく愛おしかった。




「引いてないよ。……むしろ、もっと好きになったかも」



「え……?」



 さゆりさんが、指の隙間から潤んだ上目遣いで私を見た。




 その表情は、どんなミステリーのトリックよりも、私の心を鮮やかに奪っていった。




「続き、聞かせてよ。今度はその、赤井秀一? って人の話」



 彼女はもう一度顔を赤くして、小さく「……うん」と頷いた。




 バーのBGMが、いつの間にか優しいピアノの旋律に変わっていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ