夏、18時59分
陽炎 夕闇 刹那
この3つのお題での作品です。
その日、世界は熱で溶け出していた。
放課後の屋上。
焼けたアスファルトが吐き出す熱気が、視界をぐにゃりと歪ませている。
錆びついたフェンスの向こう側、空と地面の境界線に、君は立っていた。
「……暑いね」
君の声は、水の中のように籠もって聞こえた。
ゆらゆらと立ち昇る陽炎が、君の白いシャツも、風に靡く髪も、その表情さえも曖昧にぼかしている。
僕は目を細める。
まるで君という存在そのものが、夏の熱が見せる幻影のようで、瞬きをしたら消えてしまいそうだった。
だから僕は、言葉を一言も発せなかった。
この不安定な揺らぎだけが、僕たちを繋ぎ止めている気がしたからだ。
やがて、太陽が稜線の向こうへと堕ちていく。
熱気が引き、空気がひやりと冷たくなる。
夕闇が、音もなく空を塗り替えていく。
空の青は深みを増し、影は黒く伸び、世界の彩度が落ちていく。
それと同時に、あれほど揺らめいていた陽炎が消え失せた。
嘘のように空気が澄み渡り、曖昧だった君の輪郭が、痛みを感じるほど鮮明に浮かび上がる。
それは、「終わり」の合図だった。
魔法の時間は終わり、現実に帰らなくてはならない。
「じゃあね」
君がフェンスから背を離し、ゆっくりと振り返った。
残光が、君の横顔を金色に縁取る。
その時。
君が、何かを言おうとして、やめて、少しだけ困ったように微笑んだ。
ドクン、と心臓が跳ねた。
髪の毛の一本、睫毛の震え、唇のカーブ。
その全てが、スローモーションのように脳裏に流れ込んでくる。
たったコンマ数秒。
その刹那の輝きは、それまでの数年間の記憶をすべて過去にするほど、強烈で、鮮やかだった。
ああ、綺麗だ。
僕は息をするのも忘れて、その笑顔に見惚れていた。
「バイバイ」
ふわり、と風が吹いた。
我に返った時、屋上には僕一人しかいなかった。
君が去った後の鉄扉が、カチャンと冷たい音を立てて閉まる。
空はもう、完全に夜の色に染まっている。
けれど僕の目には、あの夕暮れの刹那に焼き付いた君の残像が、いつまでも消えずに残っていた。




