森の奥の洋食屋
レモンキャンディー スニーカー スパゲティ 森 羊
この5つのお題での作品です。
下ろしたての白いスニーカーが、湿った腐葉土を踏みしめるたびに、茶色い染みを作っていく。
「……もう、どこまで来たんだろう」
鬱蒼とした森の空気はひんやりとしていて、肺の奥に溜まった都会の煤を洗い流してくれるようだ。
私はポケットからレモンキャンディーを取り出し、黄色い包み紙を開く。
口に含むと、人工的な酸っぱさが舌を刺し、強張っていた顎の力が少しだけ抜けた。
あてもなく歩き続けて三十分。
突然、視界が開けた。
木漏れ日がスポットライトのように差し込む、円形の広場。
その中央にある大きな切り株の前に、先客がいた。
モコモコとした白い毛並み。優しげな垂れ目。
一匹の羊だ。
しかも、首にはチェック柄のナプキンを巻き、私が来るのを待っていたかのように、前足をちょこんと揃えて座っている。
「メェ」
羊が短く鳴き、目の前の切り株を鼻先で示した。
そこには、森の景色には不釣り合いな、真っ白な磁器の皿が置かれている。
近づいて覗き込むと、湯気と共に甘酸っぱい香りが立ち上った。
炒めた玉ねぎとピーマン、そして赤いウインナー。
ケチャップがたっぷり絡まった、昔ながらのスパゲティ・ナポリタンだ。
「……私に?」
羊は無言で、つぶらな瞳を瞬かせた。
私は躊躇いながらも、添えられたフォークを手に取る。
クルクルと赤い麺を巻き取り、口へ運ぶ。
熱っ。
けれど、その後に広がる濃厚なトマトの甘みと、焦げたソースの香ばしさ。
それは、日曜日の昼下がりに母親が作ってくれた、あの懐かしい味そのものだった。
「……おいしい」
森の静寂の中で、フォークが皿に当たるカチャカチャという音だけが響く。
レモンキャンディーの残像と、ナポリタンの濃い味が混ざり合い、空っぽだった胃袋と心を満たしていく。
羊は、私が食べる様子を、口をモグモグさせながら満足げに見守っていた。
完食し、大きく息を吐く。
私は隣に座る羊の背中に、そっと手を伸ばした。
指が沈むほどの柔らかい毛並み。その温もりが、冷え切っていた指先を解凍していく。
「ありがとう。ごちそうさま」
私が立ち上がると、羊は「メェ」と一度だけ鳴き、森の奥へとトコトコ歩き去っていった。
白いお尻が、茂みの中に消える。
私は泥だらけになったスニーカーを見下ろした。
汚れは落ちないかもしれない。けれど、来た時よりも足取りはずっと軽くなりそうだ。
帰り道、口の中に残るケチャップの余韻は、どんな高級なデザートよりも甘く感じられた。




