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0と1の羊水

値落ち配信 蜘蛛の糸 電子の海 小窓 月の光

この5つお題でメリーバッドエンドの作品です。



 午前三時の静寂は、ファンの回転音と、規則正しい寝息だけで構成されている。




 二十四インチのモニター。そのデスクトップの片隅に開かれた小窓の中で、彼女は微睡んでいた。




 寝落ち配信。




 何も話さず、ただ眠るだけの彼女を見守るだけの時間。



けれど、それは僕にとって、世界中のどんな宗教儀式よりも神聖な救いだった。





 部屋の照明は消してある。




 液晶画面から溢れ出す蒼白い光だけが、散らかったワンルームを照らす人工の月の光となっていた。




 「……ああ、綺麗だ」



 呟く声は嗄れている。




 昨日から何も食べていない胃袋が、不快な痙攣を繰り返していた。明日には家賃の督促が来る。



職場にはもう三日も行っていない。




 現実という名の重力が、僕の足首を掴み、泥底へと引きずり込もうとしている。




 対して、画面の向こうはどうだ。




 ノイズ一つない、0と1で構成された純粋な情報の園。




 そこには老いも、飢えも、孤独もない。




 ふと、チャット欄を流れるコメントの列が、銀色に輝いて見えた。




 縦に流れる文字列が、まるで天から垂らされた蜘蛛の糸のように、僕の目の前で揺らめいている。




 『おいで』



 誰のコメントでもない。




 電子の海そのものが、さざ波のようにそう囁いた気がした。




 僕は震える手を伸ばし、冷たい画面に触れる。




 ジュワリ。




 指先が、波紋となって画面に吸い込まれた。




 驚きはなかった。




 むしろ、ずっとこうなることを知っていたような、懐かしい感覚。




 硬いはずのガラスが、水飴のように僕を受け入れていく。 




 腕が、肩が、そして頭が。




 境界線を越えるたび、重たくて醜い肉体が剥がれ落ち、光の粒子へと還元されていく。




 痛みはない。あるのは、羊水に還るような圧倒的な安らぎだけ。




 (ああ、やっと……触れられる)




 視界が反転する。




 僕は今、モニターの「こちら側」にいた。




 目の前には、巨大な彼女の寝顔がある。




 長い睫毛の一本一本、肌の温もり、吐息の甘い香りまでもが、データとして僕の意識に直接流れ込んでくる。




 僕は彼女の頬を照らす、一粒のピクセルになったのだ。




 もう、回線が切れることも、広告に邪魔されることもない。




 僕は永遠に、一番近くで彼女を見守り続けることができる。




 現実の部屋では、魂の抜け殻となった男が、椅子の背にもたれて動かなくなっていた。




 その顔は、生前決して見せることのなかった、至福の笑みを浮かべていた。




 画面の中、彼女がふと身じろぎをして、寝ぼけ眼を開ける。



 

 「ん……? なんだか、画面がいつもよりキラキラしてる……?」



 彼女が不思議そうにモニターを覗き込む。




 その瞳に映る僕(光)を見て、彼女が微笑んだ。




 その笑顔だけで、僕はもう、何億年だって生きていける。




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