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艶の教典

化粧水 ゴキブリ 宗教 ステーキ


この3つのお題での作品です。


作中、虫がでるので苦手な方は飛ばしてください。



 パシッ、パシッ、パシッ。




 遮光カーテンで閉ざされたリビングに、乾いた音がリズミカルに響いている。




 円卓を囲む五人の女たちは、一心不乱に自分の頬を張り飛ばしていた。




 彼女たちの手にあるのは、一本三万円もする特製の化粧水だ。




 「もっと強く! 肌を痛めつけるほどに、細胞は再生しようと足掻く。それが『若さ』という名の抵抗だ」



 部屋の上座、革張りのソファに深く腰掛けた男――「先生」と呼ばれる美容家が、陶酔した声で囁く。




 彼の肌は、年齢不詳のビニールのような光沢を放っていた。




 「はい、先生!」



 私は赤く腫れ上がった頬に、さらにとろみのある液体を擦り込む。




 痛みと潤いが混ざり合い、脳が痺れるような感覚。




 ここは単なる美容セミナーではない。



美を神と崇める、カルトじみた宗教の最前線だ。




 「では、仕上げといこう。内側からの摂取だ」



 先生が指を鳴らすと、湯気を立てる皿が運ばれてきた。




 表面だけを軽く炙った、血の滴るようなレアステーキ。




 赤身の繊維と、白く透き通る脂身のコントラストが、空腹と本能を暴力的に刺激する。




 「いただき――」



 ナイフを手に取った瞬間だった。




 純白のテーブルクロスの上を、黒い影が走った。




 カサカサカサッ。




 その不快な羽音と、長い触角。




 ゴキブリだ。




 どこから湧いたのか、それは一直線に私のステーキ皿を目指し、あろうことか肉の頂上に鎮座した。




 「ヒッ……!」



 隣の女性が息を呑み、フォークを取り落とす。




 不潔、恐怖、生理的嫌悪。



場の空気が凍りつき、清潔な美の空間が汚された――はずだった。




 「騒ぐな」



 先生の声は、静かだが厳格だった。




 彼は立ち上がり、ステーキの上の侵入者に近づくと、うっとりと目を細めた。




 「見ろ。この完璧なフォルムを」



 「……え?」



 「三億年もの間、進化する必要すらなかった完成された生存本能。そして、この甲殻の輝きを見ろ。どんな高級なクリームを塗っても、人間はこれほどの『艶』を出せはしない」



 私たちは、恐る恐るその黒い虫を見つめた。




 照明を反射してテラテラと光る背中は、確かに、先生が説く「究極のオイリー肌」そのものだった。




 忌み嫌われることすら糧にし、しぶとく生き残る圧倒的な生命力。




 「彼こそが、我々の師だ。その脂ぎった肉を喰らい、彼のような強靭な光沢を手に入れるのだ」



 先生の言葉が、福音のように脳に染み渡っていく。




 嫌悪感は次第に、畏敬の念へと摩り替わった。




 ゴキブリは触角を揺らし、ステーキの肉汁を吸っている。




 その姿すら、今は神々しく見える。




 私は震える手でナイフを握り直し、虫を避けて肉を切り取った。




 口に運ぶと、野性的な鉄の味と、濃厚な脂が舌の上で爆発する。




 「……おいしい」



 誰かが呟いた。




 咀嚼音が、再び部屋を満たす。




 私たちは肉を喰らい、その脂で唇を黒光りさせながら、皿の上の「小さな師匠」に熱っぽい視線を送り続けた。




 パシッ、パシッ。




 誰かの化粧水を叩く音が、幻聴のように聞こえた気がした。



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