冬眠控除
税金 熊 都市
この3つのお題での作品です。
年度末の合同庁舎は、乾いた紙と古いインク、そして数百人分の焦燥感で満たされていた。
番号札を持った人々が、死んだ魚のような目でモニターの数字が変わるのを待っている。
その淀んだ空気の中で、整理番号『305番』がコールされた。
パイプ椅子が軋む音と共に立ち上がったのは、体長二メートルを超えるヒグマだった。
剛毛に覆われた巨体が動くたび、獣臭さと微かな森の匂いが漂う。
けれど、周囲の市民はスマートフォンから目を離そうともしない。
この都市では、隣人が猛獣であることよりも、自分の還付金の額の方が重大なのだ。
熊は窓口の丸椅子に――尻が半分ほどはみ出している――窮屈そうに腰を下ろし、分厚い前足で一枚の書類を差し出した。
鼻先には、知性を演出するための伊達眼鏡が乗っている。
「……ええ、拝見します」
担当職員は、相手が鋭利な爪を持っていることなど意に介さず、淡々と赤ペンを走らせた。
「まず、こちらの『川での漁』ですが、事業所得として計上されていますね。しかし、漁業権の支払いが確認できません」
「グルルル……(あれは、伝統的な生存活動だ)」
「ここでは『無許可の捕獲』となります。修正申告が必要です」
熊は悲しげに鼻を鳴らし、さらに茶封筒から何かを取り出した。
くちゃくちゃになった蜂の巣の残骸と、乾燥した木の実だ。経費の証拠書類らしい。
「あー、蜂蜜もですね。自家消費分を除いても、観光客へのパフォーマンス対価として受け取った分は、雑所得に入ります。課税対象です」
電卓を叩く音が、無慈悲な銃声のように響く。
熊は最後の抵抗とばかりに、身を乗り出して唸った。
「ヴォフッ、ガァ……(だが、俺は三ヶ月間、穴で寝ていた。その間の稼ぎはゼロだ。控除があるはずだ)」
職員は顔色一つ変えず、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「冬眠控除、ですか? 残念ながら、都市計画法上の指定区域内に『巣穴』を維持していた以上、固定資産税および住民税の減免措置は適用されません。寝ていようが起きていようが、場所に住むコストは発生します」
決定的な一言だった。
熊の巨大な肩が、目に見えてガクリと落ちる。
彼は震える爪先で申告書に拇印(それは紙の半分を埋め尽くす肉球の跡だった)を押し、未納分の納付書を受け取った。
庁舎を出ると、外は冷たい雨が降っていた。
熊は濡れるのも構わず、交差点の人混みへと足を踏み出す。
信号待ちをする彼の丸まった背中は、冬眠前の栄養を蓄えた猛獣のそれではなく、重税とローンの支払いに追われる、ただの中年男性のように小さく見えた。
このコンクリートの森で生きるには、爪や牙よりも、複式簿記の知識が必要なのだ。
信号が青に変わる。
彼はため息のような白い呼気を吐き、無彩色の群衆の中へと溶けていった。




