紫のフライング
成人式 早咲きのヒヤシンス 老紳士
この3つのお題での作品です。
会場の市民ホールからは、地響きのような歓声と、司会者の軽いジョークが漏れ聞こえてくる。
僕はネクタイの結び目を少しだけ緩め、新品の革靴が踵に食い込む痛みを堪えながら、裏手の公園へと歩き出した。
振袖や袴の色鮮やかな洪水。
久しぶりの再会にはしゃぐ同級生たち。
その「正解」のような光景の中に、僕の居場所はなかった。
(二十歳になったからって、急に何かが変わるわけじゃない)
冬の風が、薄手のスーツを通して肌を刺す。
誰もいないと思っていた公園のベンチに、先客がいた。
チャコールグレーのウールコートを上品に着こなし、シルバーハンドルのステッキを突いた老紳士だ。
彼は、逃げ出してきた若造を咎めるでもなく、ただ手元の小さな鉢植えを愛おしそうに眺めていた。
「……賑やかだね」
深く、枯れた声だった。
僕は曖昧に頷き、彼の隣――少し距離を空けた場所に腰を下ろした。
老紳士の手元にあるのは、鮮烈な紫色の花をつけたヒヤシンスだった。
周囲の木々は葉を落とし、花壇も土色に沈んでいる一月の真冬だというのに、そこだけが切り取られた春のように瑞々しい。
「綺麗な色ですね。でも、今の時期に?」
思わず尋ねると、老紳士は目尻に皺を寄せて微笑んだ。
「ああ。こいつは少し、生き急いでしまったらしい。春が来るのが待ちきれずに、暖房の効いた部屋で勘違いをして咲いてしまった」
老紳士は、紫の花弁を指先で優しく撫でる。
「周りはまだ冬眠中だというのに、一足飛びに咲いちまった。おかげで寒そうに震えておる。……君と、同じだな」
ドキリとした。
僕は自分の膝の上で、居心地悪そうに握りしめられた手を見る。
周りの熱狂に合わせられず、一人でここにいる自分。
「フライング、ですか」
「世間ではそう言うかもしれん。だがね」
老紳士はステッキで、地面のアスファルトをコツンと突いた。
「誰より早く春の匂いを知っている。それはそれで、悪くない気分じゃないかな?」
風向きが変わり、ヒヤシンスの濃厚で甘い香りが鼻先を掠めた。
それは、冷たい冬の空気を一瞬で塗り替えるような、確かな生命の匂いだった。
皆と同じタイミングで咲かなくてもいい。
寒空の下で震えながら咲く花にも、独自の凛とした美しさがある。
「……そうですね。悪くない、匂いです」
僕が答えると、老紳士は満足げに頷き、再び花へと視線を落とした。
会場からは、式典の終わりを告げるファンファーレが聞こえてくる。
僕は立ち上がり、革靴の埃を払った。
戻る場所は喧騒の中ではないけれど、家までの帰路、背筋だけは伸ばして歩けそうな気がした。




