月光と背脂と上腕二頭筋
ラーメン ムキムキの猫 月
この3のお題での作品です。
残業続きで感覚の麻痺した足が、吸い寄せられるように路地裏へと向かう。
ビルの隙間から見上げる空には、凍りついたような満月が、白々しい光を落としていた。
その光の溜まり場に、一軒の古ぼけた屋台が停まっている。
『中華そば』と書かれた赤提灯が、心拍数のようなリズムで揺れていた。
「……やってるかな」
暖簾をくぐると、ムワッとした熱気と共に、鶏ガラの濃厚な香りが鼻腔をくすぐった。
狭い厨房に立っていたのは、一匹の三毛猫だった。
ただし、ただの猫ではない。
身長はおよそ百八十センチ。
調理服の袖は限界まで捲り上げられ、丸太のような上腕二頭筋が、毛並みの下で岩石のように隆起している。
エプロンの紐は、広すぎる広背筋に食い込み、今にも悲鳴を上げそうだ。
そのムキムキの猫は、僕の姿を認めると、低い声で「ニャア」と短く鳴き、太い腕組みをして席を促した。
「あ、えっと……ラーメン、一つ」
圧倒されながら注文すると、猫は無言で頷いた。
その瞬間、彼の背中の筋肉――僧帽筋が、鬼の顔のように波打つ。
麺を茹でる鍋の前に立つ姿は、戦場に向かう戦士のようだ。
やがて、ザバッという音と共に湯切りザルが引き上げられる。
「シャッ!!」
鋭い呼気と共に、猫の腕が閃いた。
三角筋が爆発的に収縮し、遠心力で飛ばされたお湯が、床にピシリと一直線の染みを作る。
無駄がない。あまりにもキレのある湯切りに、僕は思わず息を呑んだ。
コトン、とカウンターに置かれた丼。
透き通った醤油スープの海に、黄金色の油が月明かりを反射して輝いている。
中央には分厚いチャーシュー。
それは店主の腕の太さを彷彿とさせた。
レンゲでスープを啜る。
熱い。そして、深い。
冷え切った内臓に、熱源が直接放り込まれたかのように、身体の芯から温もりが広がっていく。
「……うまい」
縮れ麺をすする僕を、猫は腕組みをしたまま、静かな瞳で見下ろしている。
その剛腕とは裏腹に、眼差しはどこまでも優しい。
食べている間、僕の疲れも、理不尽な上司の言葉も、すべて猫の筋肉とスープの熱に溶かされていくようだった。
完食し、小銭を置く。
「ごちそうさん。……いい筋肉だったよ」
そう伝えると、猫はニヤリと口角を上げ、見せつけるように大胸筋をピクリと動かしてみせた。
屋台を出ると、夜風はまだ冷たい。
けれど、見上げた月は先ほどよりも温かみを帯びて見えた。
腹の底から湧き上がる熱があれば、明日の満員電車も、なんとか乗り越えられそうな気がした。




