ある男の終末
思い返せば、色々な事があった。
しがない、やる気のない冒険者だった俺が、正義のために頑張るなんて予想もした事がなかった。見ず知らずの人間が死のうが関係ないと思っていた。彼女と出会って、別れるまでは。
俺の服を掴んで怯える少女の頭を優しく撫でる。
少女は奴隷商人に売られた、まあ、言うならば「可哀相な」存在だ。親が死に、引き取り人もおらず、生きていくも術も知らない、ね。
正直、状況は絶望的。幾度の戦争を渡り歩き、その度に、英雄と敬われ、または、殺戮者と罵られた俺でも、少女を抱えた今、負傷している今、逃げ切れる気はしない。根本的な所で、俺には力がない。
場と準備を十分に用意できなければ、俺は弱い。
いつかの戦争では、相手国の中枢と通じ合い、内部から崩壊させた。
いつかの戦争では、相手国の姫様を人質にして、投降させ、虐殺した。当然、人質も殺した。
いつかの戦争では、兵士の数で圧倒されてはいたが、姦計を張り巡らして、相手国を滅ぼした。
その時は、それが正しいと思っていた。正義はこちらにあると思っていた。決着が早ければ早いほど、被害が少なくなると思っていた。
でも、それを疑うようになった。色んな人から恨まれた。泣いて、あの人を返せと言われた事もあった。復讐として、命を狙われる事なんて、日常茶飯事だ。
その度に、俺は正義が何なのか分からなくなった。一辺倒に正義と言っても、それは一つだけじゃない。俺が正しいと思っている事は、誰かにとっては悪なのかもしれないし、俺が悪と思っている事は、誰かにとって正しいのかもしれない。悪人には悪人なりの正義があるんだ。
俺は少女に笑いかける。
大丈夫。絶対に助けるから、怯えなくていい。俺は、正義のためなら頑張れる。
正義が何なのかよくわかってないくせに、そんな事を堂々と思える事が、少し誇らしかった。血を流し、刻一刻と死に近づいていっているのに、少女の事を心配できる事が、嬉しかった。
だって、彼女は正義のために頑張った。自分が傷ついても、何度泣いても、彼女は諦めなかった。
俺と同じように葛藤した事もあるだろう。捻くれているくせに、妙に甘い所があった。非情に相手の命を刈り取るくせに、妙に優しい所があった。
大した正義感も持たない俺が、ここまで悩むんだ。彼女の場合は、俺なんかが考えているより、よっぽど辛かっただろう。
でも、彼女は最後まで、頑張った。最後まで自分の生き方を貫き通した。全然笑わない彼女が、最後には笑って逝ったんだ。俺の、ちっとも頼りにならない言葉を聞いて。俺のちっとも信頼に値しない、誓いを知って。
剣を握る手に力を入れる。彼女から貰った剣。彼女から受け継いだ、正義の心。
俺と少女を囲むのは、奴隷商人の護衛。奴隷商人はかなり裕福なのだろう。なかなかに鍛えられた護衛を雇っている。数は二十人。囲まれているから、逃げ出すのは無理だ。
彼女と約束した事を為すのならば、少女は見捨てて逃げるべきだったのだろう。復讐者に命を狙われ、何とか撃退した時、たまたま少女が奴隷商人の馬車に乗せられる所を見てしまった。
俺はこの少女が辛い目にあうのを見捨てておくことが出来なかった。少女の容姿は見目麗しい。どう考えても、腐った貴族に買い取られ、慰み者にされるだろう。それだけなら、まだいい。頭のイカれた貴族に買われ、少しずつ拷問され、少しずつ殺されていく、なんて事も有り得る。そんな事が起きると約束された少女を目の前に、俺は黙っていられなかった。
俺の目の前に立っていた護衛が斧で襲いかかる。下手には動けない。少女を奪われてしまっては元も子もない。
彼女の剣で斧を受け止める。骨が軋むような音がした。どこかで、命が削り取られたような感触がした。
護衛の腹を蹴り上げて、怯んだすきに、剣で刺し殺す。無様な奴だ。一斉に掛かれば、俺を殺すなんて造作もない事なのに。噂が一人歩きしているのか。俺が強いと勘違いしているのかもしれない。
一人が殺された事に、護衛達は警戒心を強める。元々、奴隷商人に忠誠を誓っている奴なんていないだろう。死にたくないに決まっている。
「どうする?自分の命を捨ててまで、そこの屑の仕事を手伝う必要は無いと思うが?」
俺だって、まだ死にたくない。この言葉で引いてくれたら、どんなに楽だろう。こちらが劣勢だと言う事を悟らせてはいけない。俺が負傷していると知られてはいけない。
「俺が誰だかわかってるんだろう?お前らを殺す事なんて造作もない。退いた方が賢明だ」
護衛達はお互い顔を見合わせる。どうするか悩んでいるのだろう。奴隷商人が何かを喚き散らしているが、誰も聞いていない。彼等は金のためなら何でもする奴らだが、命と金を天秤にかけ、どちらを取ればいいのかを選択する事に長けている。結論はすぐに出る。
護衛の一人が構えた武器を下ろす。一人また一人と武器を下ろし、背を向ける。
俺は安堵の溜め息をついた。
これで、少女の安全は確保された。後は知り合いに少女の生きる場を用意させればいい。街に戻るくらいの体力はある。街に戻れば、知り合いに回復してもらえる。
奴隷商人は憤懣やるかたないといった風にこちらを睨んでいるが、何もしてこない。奴らも、天秤の取捨選択に長けている。
奴隷商人達が視界から消えてから、俺は少女に話しかけた。
「大丈夫か?」
「うん」
「酷い事とかされなかったか?」
「うん」
「怪我とかないのか?」
「………おじさんは大丈夫?」
俺は、思わず笑ってしまった。もうおじさんと呼ばれる年なのか。確かに、もう若くない。彼女と別れてから、十年は経った。あの時はまだ十代だったが、三十路はもう近い。
「大丈夫だ」
「でも……血が一杯流れてる」
ばれていたか。俺の来ている服も防具も黒で統一している。彼女の真似だ。
けど、足元には血溜まりが出来ている。今が夜で助かった。陽が出ているうちだったら、護衛達にもばれていただろう。
「大丈夫だ」
俺はもう一度少女の頭を撫でる。少女は気持ちよさそうに目を細めた。
「ありがとう、おじさん」
この言葉が、俺を奮い立たせる。
小さな命が、俺を立ち上がらせる。
いつしか、彼女の真似ごととしてやっていた「正義」が、本当に俺自身のモノになっていたのかもしれない。
こちらこそ、ありがとう。それだけで俺は進んでいける。
彼女もそうだったのだろうか。この一言で進んでいたのだろうか。
「さあ、行こう。俺の知り合いに子供好きな女がいる。そいつに任せれば、幸せに生きれるさ」
少女に手を差し伸べる。少女はおずおずと差し出した俺の手に手を伸ばす。
それがじれたっくて、俺はぱっと少女の手を取る。
「あ……」
少女は怯えたのか、俯いてしまった。少し強引過ぎたかもしれない。他人を信用できないに決まっている。今まで、辛い目に会って来たんだ。
俺がどうしようか悩んでいると、少女は相変わらず俯いたまま、ぼそぼそと喋った。
「……暖かい…お父さんみたい」
俺は少女を抱きしめた。
「えっ…えぇっ!」
少女は慌てたように、俺の腕の中でじたばたしている。抱きしめているから、少女の体温が直接伝わってくる。温かい。俺なんかより、よっぽど温かい。
俺は少女を押し倒す。大の男と、まだ十四、五の少女の体格差で、少女が俺を支えきれるわけがない。
「や、やめてっ!」
押し倒された少女は必死に抵抗する。だが、悲しいかな。俺は少女から体をどかす事が出来なかった。
「………え…?」
少女は一頻り、抵抗した後、俺が全く動かない事を不審に思ったのか、改めて、俺を見る。少女の視界は俺の背中に注がれているだろう。俺の背中には一本の矢が刺さっている。
「悪く思うなよ」
どこかから声が聞こえた。つい先程聞いた声。復讐者の声。
「何で、そこの子を庇った?お前ならそんな小さな命切り捨てるだろう!どうしてだ!どうして、そんなガキを庇って、俺の国を守らなかった!」
復讐者は怒鳴り散らす。そんな事を言われても、俺にはわからない。彼女を甘い奴だと言った俺だけど、その彼女に憧れた俺も甘い奴なんだ。
「くそ!お前を殺せたのに、全然嬉しくない!何でだよ!何でお前はこんな所で死ぬんだよ!もっと生きて、苦しめよ!」
自分で殺しておいて、良く言う。まだ死んではいないけど、矢に毒が塗られている。俺の命は長くない。
「大体、何で俺をさっき殺さなかった!お前なら簡単に殺せただろ!」
知らないよ。殺したくなかっただけだ。
復讐者は未だ、何かを言っている。奴の言っている事はもう支離滅裂だ。聞くに堪えない。けど、俺は気になる事がある。
「…なあ」
「何だよ!?命乞いか!?俺は解毒剤なんて持ってないぞ!」
だからそんな事はどうでもいいんだ。俺が死のうがどうなろうが知った事じゃない。
でも―――
「俺が死んだ後、この子も殺すか?」
少女はまた怯えてしまっている。復讐者の狂気に触れたのか、それとも、俺の体温が少しずつ失われていく事に恐怖を覚えているのか。少女はガタガタと震えている。
「あ?殺すよ!お前が庇ったガキを殺して、死んだ後もお前は苦しめ!」
「……そうか」
殺すのか。こんな小さい命を手に掛けるのか。何の罪のない命を奪うのか。
俺が言えた義理ではない。俺だってそうしてきた。でも、俺はそれが、正義―誰もが幸せになれる道―と信じてやってきた。
俺は傲慢な人間だ。自分は正しく、相手は正しくない。そう決めつけて、生きてきた。今もそれを変えるつもりは無い。だって、この少女はここで死んだところで、何の意味もない。いや、どのような状況においても、殺される事に意味は無い。それでも、俺は少女を守りたいんだ。憧れた彼女が俺を守ってくれたように。
俺は立ち上がる。血は流れ、その血にも毒が含まれている。
立ち上がると体がふらついた。視界は揺さぶられたようにぶれている。今、自分が息を吸っているのかも怪しい。体の感覚がない。剣を握っている感触もない。
でも、少女が俺の手を握ってくれた事だけはわかった。だってこんなにも俺の左手は温かい。一回きゅっと握りしめて、手を離す。この温もりは失われていいものじゃない。
「お前がこの子を殺すと言うなら、俺はお前を殺さないといけない」
「ははっ、そんなふらふらで何言ってんだ!」
復讐者は俺に向かって走ってくる。
良かった。弓を使われたら、為す術もなかった。
復讐者は手に持った剣で俺目掛けて突きを放つ。
俺はそれを避ける、という行動は起こさなかった。
何かが俺の体を侵入していく。灼熱にも似たような感覚が、俺の腹の辺りを暴れまわる。
俺は復讐者の驚いたような顔を見ながら、剣でそいつの首を―――
もう動く気力も残っていない。俺は横たわりながら、命の灯が消えていく感覚を他人事のように感じていた。
思い残すことは無い、と思う。未練を残す様な生き方はしてこなかった。後悔も未練も切り捨てて生きてきた。
ああ、でも一つだけ心残りがある。
それは、今、俺の横で座り込み、泣いている少女の事だ。
「う…ううぅぅ……っ!」
俺の腹に開いた穴から流れ出る血を必死に止めながら、少女は泣いている。
「…もう、いい……どうせ助からない」
俺の言葉に少女はふるふると頭を振る。
俺はどうすればいいのかわからなかった。
俺が死ぬ事はもう確定事項だ。抗った所で、どうにかなるものじゃない。俺はもう諦めている。でも少女は諦めていない。どうすればいいのか。
ふと、今、自分が握っている物が思考の端に浮かんだ。
そう言えば、俺も、こんな感じで彼女からこれを受け継いだんだっけ。
俺も少女のように彼女が死んでいくことを否定していたんだっけ。
じゃあ、俺も彼女の様に、してみたらいいのか。
「なあ、おい」
少女が涙で濡れた目で、俺を見つめる。バックに月が映し出されていて、凄い幻想的だ。星は彼女の涙の様に瞬いて、俺は一瞬言葉を失った。
「……この剣、お前に、やるよ……こいつがあれば、さっき言った女にも、伝わる…」
彼女から貰ったこの剣は、魔剣だ。持ち主に最も使いやすい形に変化する。少女が街までの道程を守ってくれる。
少女は、少し迷った様に手を出す。しかし、踏ん切りがつかないのか、束を握ろうとはせず、宙を彷徨っている。
「頼む、貰ってくれ…」
俺は少女の手に無理矢理剣を握らせる。少女も俺が絶対に助からないと悟ったのだろう。もう涙は流していない。剣を拒むことなく受け取った。
俺は、笑った。
こんな所まで、あの時とそっくりだ。
「…おじさん、私、頑張るから」
だから、そんな言葉が、俺の胸を焼いた。
『俺、頑張るから』
「おじさんみたいに、生きてみるから。頑張って生きてみるから」
『あんたみたいに、生きてみるから。頑張って生きてみるから』
「私も誰かを守れるくらい、強くなる」
『俺も誰かを守れるくらい、強くなる』
「だから、おじさんはゆっくり休んでて。私もしばらくしたら会いに行くから」
『だから、あんたはゆっくり休んでなよ。俺も、すぐに会いに行くからさ』
「おじさんの隣に立てるように頑張る」
『あんたの隣に立てるように頑張るさ』
「だから」
『だから』
『「ありがとう」』
ああ、こんなにも世界は美しい。ありがとう。本当にありがとう。最後の最後にこんな奇跡を見せてくれるなんて。彼女と俺の遣り取りを焼き直してくれるなんて。これは運命なのか。運命だとすれば、俺も彼女の様に言葉を返すべきなんだろう。でも、もう口を開く力も残っていない。伝えないといけない言葉は、俺の口から出てこない。あと少しだけ頑張れ、俺。たった少しの言葉を伝えるだけでいいんだ。
俺は口を開いた。でも、声は出ない。少女は俺の口に耳を寄せるが、聞きとれるはずがない。
でも、少女は、しっかりと頷いた。あの時の俺の様に。
「うん、わかった。幸せに生きる」
伝わった。良かった。もう思い残すことは、本当に何もない。
目を閉じる。
体と意識が離れていく。ふわふわして、とても軽い。生きている間はあんなに辛くて重かったのに、死ぬ時は楽で、軽いんだな。
俺は彼女の様に笑っているだろう。綺麗に笑えているといいな。彼女の微笑みは本当に綺麗だった。
じゃあ、とりあえずは、約束通り、彼女に、会いに行こうか。




