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第五話「このままじゃバレる……!!」

(まずい、まずい……!!)


 シエルは胸の奥で疼く衝動を必死に抑えようとした。


 鐘の音が響くたびに、血の渇きが強くなる。今までは気合で押さえ込めていたが、戦いの興奮と夜の力がそれを増幅させていた。


(このままじゃ……二人にバレる!!)


 ルシアンはまだベルナルドと対峙していたが、その紅い瞳がちらりとシエルを見た。


(――ッ!?)


 目が合った瞬間、シエルはゾッとした。


「……シエル」


 ルシアンの口元が歪む。


「お前、抑えられなくなってきてるだろ?」


 シエルの喉がひくりと震えた。


(やめて、気づかないで……!)


 ベルナルドが訝しげにこちらを見る。


「どうした?」


 低く響く声に、シエルは息を詰まらせる。


(駄目……!! これ以上ここにいたら、本能が暴走する……!!)


 逃げなければ。


 でも、ただ逃げるだけじゃ怪しまれる。


(気づかれずに、今すぐ……!)


 決意した瞬間――


 ドンッ!


「っ!」


 シエルは足元の瓦礫を蹴り上げた。


 崩れた石が崩落して粉塵が舞い上がり、彼らの視界をふさぐ。


「シエル!?」


 ベルナルドの声がするが、今は答えている暇はない。


(……開放するしかない!)


 彼女は一瞬だけ、【人間の皮】を捨てた。


 本来の吸血鬼の身体能力を解放し、一気に夜の闇へ溶け込む。


 シュッ――


「……!? どこへ行った!?」


 ベルナルドが短剣を構えるが、シエルの姿はすでにその場にはなかった。


 ルシアンは唇を歪め、面白そうに笑う。


「へぇ……なかなかやるじゃねぇか」


 ベルナルドは険しい顔で辺りを見渡した。


「……まさか、さらわれたのか?」


 ルシアンは肩をすくめる。


「さぁな。俺の仕業じゃないぜ?」


 ベルナルドの目が鋭く細まる。


「どこに消えた……シエル……」



 ――その頃、シエルは街の外れの暗がりで膝をついていた。


「はぁ……はぁ……っ!」


 手が震えている。


 心臓がドクドクと早鐘を打ち、血の渇きが喉を焼いている。


(危なかった……! あと少し遅れていたら、本能に負けて……!)


 でも、これで大丈夫。


 ベルナルドには気づかれていない。


(私……まだ、人間のふりを続けられる……!!)


 震える息を吐き出し、シエルは夜の闇へと溶け込んでいった。



 ***



 翌朝。


 シエルはふかふかのベッドの上で目を覚ました。昨夜のことを思い出し、反射的に顔を覆う。


(はぁ……危なかった……!!)


 ベルナルドとルシアンの前で、吸血鬼の本能が暴走しかけたのだ。あのままいたら、確実に正体がバレていただろう。


「……ん」


 シエルはそっと起き上がると、ベッドサイドに置かれた銀のトレーに手を伸ばした。その上には、ワイングラスに注がれた赤い液体が揺れている。


 それは、輸血パックの血だった。


(昨夜は飲まずに寝ちゃったから、余計に渇いてたのね……)


 彼女の家――バートリー伯爵家は、伝統的に「従来人」(=人間)を愛する吸血鬼の一族だった。人間を襲うことは決してせず、血は病院から提供される輸血パックを飲むことで賄っている。


 そのため、シエルも生まれてから一度も人の血を直接吸ったことがない。


(……いただきます)


 シエルはワイングラスを持ち上げ、慎重に口をつけた。


 ひんやりとした液体が喉を滑り落ちると、昨夜から渇いていた身体がじんわりと満たされる。


(……やっぱり、美味しい)


 人間から直接吸う血よりは味が劣るのかもしれないけれど、シエルにとってはこれが当たり前の味だった。


「お嬢様」


 部屋の扉がノックされ、執事のカーティスが入ってきた。


「お目覚めですね。本日のご予定ですが――」


「ちょ、ちょっと待って! まだ心の準備が……!」


「朝食の準備が整っております」


(よかった、食事の話ね)


 輸血パックの血を飲んでいるとはいえ、バートリー家は人間の食事も普通に楽しむ。シエルも、朝は輸血パックの血に加え、パンやスープを飲むのが日課だった。


「それと、お嬢様。昨夜の件についてですが……」


「……昨夜?」


 カーティスは表情を変えずに静かに告げた。


「ベルナルド様が、街でお嬢様の行方を探していたそうです」


 シエルは思わず飲んでいた血を吹き出しそうになった。


「えっ……!? さ、探してた!?」


「ええ、『急にいなくなったから心配だ』と……」


(しまった……!!)


 夜のうちに逃げ出したのは正解だったけれど、それはそれでベルナルドを不審がらせてしまったらしい。


「ど、どうしよう……!!」


 慌てふためくシエルを見て、カーティスは微かに笑った。


「それでお嬢様、ベルナルド様が今朝方、屋敷を訪ねてこられました」


「えっ……!?」


 シエルは驚きのあまり、思わず立ち上がった。


「け、今朝って、何時!?」


「……日の出とほぼ同時です」


(は、早すぎる!!)


 ベルナルドがわざわざ屋敷まで来たということは、やはり昨夜の失踪を不審に思っているのだろう。


「それで、どうなったの?」


「お嬢様がまだお休みの時間でしたので、お引き取りいただきました。しかし、また改めて訪ねるとのことです」


(やばい……確実に怪しまれてる!!)


 シエルは昨夜の出来事を振り返った。ルシアンとベルナルドが戦うなか、自分は吸血鬼の力を開放し、彼らに気づかれないように逃げ出した。あのときは必死だったが、後から思えば不自然な失踪の仕方だったかもしれない。


(そりゃ疑われるわよね……!)


「……お嬢様?」


「えっと、つまり……私、何か適当に理由を考えておかないといけないわよね?」


「ええ。ベルナルド様は優しい方ですが、鋭いところもございます」


「そうなのよね……」


 シエルはため息をついた。


 すると、カーティスが何かを思い出したように言った。


「それと、お嬢様。今夜、病院から輸血パックの補充が届きます。少し残りが少なくなっておりますので」


「あ、本当? ちょうどよかったわ」


 バートリー伯爵家は病院を経営しており、そこで輸血パックを確保している。シエルにとっては欠かせない生命線だ。昨夜の影響で少し血を消費してしまったので、補充はありがたかった。


「では、食堂へご案内します」


「う、うん……」


 シエルは少し落ち着きを取り戻し、食堂へ向かった。


 しかし、朝食をとる間も彼女の頭の中はベルナルドのことでいっぱいだった。


(どうしよう……今度会ったら、なんて言えばいいのかしら……?)



 ***



 そして、その日の午後――


 シエルが屋敷の庭でお茶を飲んでいると、屋敷の門の方から騎士の姿が見えた。


(まさか……!)


 予感は的中し、使用人が報告に来る前に、低く響く声が耳に届いた。


「探していたんだが」


 そこにはベルナルド・ノヴァが立っていた。


 涼やかな瞳がシエルをじっと見つめている。


(う、嘘でしょ……!? もう来たの!?)


 シエルは内心で慌てながらも、平静を装って微笑んだ。


「まぁ、ベルナルド様。ようこそいらっしゃいました」


「昨日の夜、どこへ消えた?」


(直球!!!)


 シエルは笑顔を引きつらせながら、考えを巡らせた。


(ど、どうする!? 何て誤魔化そう!?)

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