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第十二話「暗闇の中の影」

 部屋の中には、まるで時が止まったかのような静寂が広がっていた。シエルはまだ、開かれた本に目を奪われていた。そこに書かれている文字の意味を必死に読み取ろうとしていたが、その中に感じる違和感が次第に強まっていく。


 「この文字……一体、何を意味しているのか」


 シエルが心の中で疑問を抱えていたその瞬間、部屋の空気が一変した。空気が重く、息苦しく感じられ、まるで誰かが背後に忍び寄ってきたかのような感覚がシエルを襲う。


 背後の気配に振り向いたその刹那――ベルナルドが鋭い反応でシエルを引き寄せ、部屋の隅へと押しやった。


 「危ない!」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、シエルの目の前で、突如として黒い影が現れた。足音一つなく、まるで空気の中から現れたかのように、その影は無音で迫ってくる。


 シエルは体が硬直し、息を呑む。目の前に現れたのは、まるで人間とは思えぬほど異常な存在だった。細身の体躯、身の回りを包み込むように漂う不気味なオーラ、そして目が――目が一切の感情を持たぬ、冷徹な輝きを放っている。


 敵は、ただ黙って立ち尽くしていた。言葉も発さず、ただその存在感で周囲を圧倒している。シエルは思わずその場に凍りつくような気持ちになった。これまでの経験で、こういった敵を相手にしたことはなかったのだ。


 「……くっ」


 ベルナルドが低い声を漏らし、無言の敵を鋭い視線で見据えた。彼の体からは、冷徹なまでの緊張感が漂い、シエルもその場で一歩後ろに下がる。


 ――その瞬間、敵は一気に動き出した。シエルの目の前を掠めるように、長く伸びた腕が振り下ろされる。反射的にベルナルドがその腕を払いのけたが、敵はそれを気にすることなく、さらに攻撃を繰り返す。


 「くっ……!」


 ベルナルドが鋭い突きで応戦するが、相手は一切動じることなく、また無言でその攻撃を受け流す。その動きはまるで、戦闘の経験を積んだ者のように緻密で無駄がなかった。


 シエルは震える手を握りしめ、足元に置かれた銀の短剣を手に取る。吸血鬼としての誇りを胸に、今すぐにでもその敵に立ち向かおうとした。しかし、ベルナルドの眼光がすぐに彼女を制した。


 「待て、シエル!」


 ベルナルドはシエルに向かって叫ぶように言った。だが、その声が届くより先に、敵はもう一度素早く動き、ベルナルドの背後に回り込んだ。


 「――!」


 シエルは思わず声を上げるが、すでにその間に挟まれていた。目の前で、ベルナルドが一瞬ひるんだのが見えた。その隙を狙うように、敵の鋭い爪がベルナルドの肩をかすめ、黒い衣服の中から血が滲み出る。


 「ベルナルド!」


 シエルは叫んで飛び出したが、ベルナルドはすぐに冷静を取り戻し、素早く身をひねって敵をかわす。


 ――そのとき、シエルの目に映ったものは、信じられない光景だった。敵の爪から血を流しながらも、ベルナルドは、まるでその傷すらも無視するかのように、無言の敵を圧倒するかのように力を込めて反撃していく。


 シエルの心は震えながらも、無意識にそれを見守っていた。その戦闘の中で、ベルナルドの強さがどれほどのものなのか、改めて理解した。だが、それと同時に感じたのは――


 この敵が、普通の敵ではないということだった。


 無言で戦うその姿、そしてその攻撃の切れ味――すべてが、普通の吸血鬼やヴァンパイアハンターの戦いではなく、何か違う力が働いていることを、シエルは感じ取った。


(この戦い、終わらせるには一体どうすればいいのだろう?)


 シエルの中で、焦りと共にその疑問が浮かび上がる。だが、答えが見つからないまま、戦闘は激しさを増すばかりだった。



 ***



 シエルの目の前で繰り広げられる戦闘の様子は、まるで一瞬一瞬が刻まれていくようだった。ベルナルドの冷徹な動きが、無言の敵の反応に合わせて鋭く切り返し、互いに一歩も引かない激しい戦いが繰り広げられている。ベルナルドの体は傷だらけになりつつあったが、その目には一瞬の揺らぎも見当たらない。


 シエルは息を呑みながら、その戦いを見守っていた。彼の動きには、確かな戦闘技術が込められていることは間違いなかったが、それでも敵の無言の攻撃は容赦なく、巧妙に仕掛けられている。何度もベルナルドの肩や腕をかすめるように爪が迫り、血が飛び散る度にシエルの胸は痛んだ。


 「ベルナルド……!」


 シエルはその度に声を上げるが、彼は何も言わず、ただ淡々と戦い続けている。その姿を見ているうちに、シエルの心にある決意が固まる。


(私は、この戦いを終わらせなければ)


 その思いが強くなる一方で、シエルは冷静さを欠いてはいけないことを自覚していた。だが、敵の動きが一層激しさを増し、ベルナルドの体力が徐々に削られていくのが目に見えてわかる。彼の息遣いが荒くなり、目の奥に疲れが浮かび始めた。


 その瞬間、シエルの心臓が一瞬止まるかと思った。ベルナルドがまたも敵の攻撃を受け、今度は肩を深く切られたのだ。血が流れ、ベルナルドの動きが一瞬遅れた。


 「ベルナルド!」


 シエルは思わず叫び、無意識に駆け出す。しかし、ベルナルドの動きが先に鋭く反応した。彼は一瞬でシエルの方を振り向き、力強く叫ぶ。


 「離れろ、シエル! 危険だ!」


 その声に反応する暇もなく、ベルナルドは自分の身を盾にしてシエルを守るように、無言の敵の攻撃を再び引き寄せてしまった。その瞬間、シエルの胸が痛くなる。


(どうして、こんなことを……)


 ベルナルドの体が、鋭い爪によって再び傷つけられ、重傷を負ってしまう。


 「っ……!」


 ベルナルドが無理にその場を踏みとどまろうとするが、足元がふらつき、ついに膝をついてしまう。血が床に広がり、彼の呼吸が苦しそうに荒くなる。


 シエルの目の前に広がったその光景に、体が動かなくなった。彼の血が赤く光り、床を染める。彼が、彼女を守るために、こんなにも傷ついていることに、シエルはただただ呆然としていた。


 「ベルナルド、お願い、何とかして……!」


 シエルは必死に声を絞り出し、彼に近づこうとする。しかし、ベルナルドはその手を払うように、顔を強張らせて言った。


 「……危険だ、シエル。今は俺が引き受ける」


 その言葉には力強さはなく、見る見るうちに血が床に広がっていった。


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