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第十一話「夜の足跡」

 シエルの歩幅が自然と小さくなった。ベルナルドと並んで歩くその距離が、まるで意識の中でさえも近づき過ぎているように感じられる。街灯の灯りが彼の顔を照らし、その精悍な表情を浮かび上がらせる。シエルはその顔に目を逸らしたくなったが、同時に思わず視線を注いでしまう。


 ――彼はどうしてこんなにも鋭いのだろう。こんなに察しが良い。シエルは、少しばかり戸惑いながらも歩を進める。


 彼が言う「妙な事件」という言葉が、頭の中で何度も反芻される。これまでの吸血鬼襲撃事件とは違って、今回のはどこかおかしい。それに気づいているのは、シエルだけではない。ベルナルドもまた、何かを感じ取っているに違いない。だが、それが一体何なのか――


「この辺り、少し静かだな」


 ベルナルドの声が、シエルの思考を途切れさせた。彼が言うとおり、今、二人の周囲は静まり返っていた。普段なら、まだ市場や通りを行き交う人々の気配があるはずなのに、今日はまるで街自体が息を潜めているかのようだった。


「誰もいないな……」


 シエルは自分の足音が妙に響いていることに気づき、歩くペースを少し落とした。どうしても、静かな夜には自分の心臓の音さえも気になる。


「……本当に静かね」


 思わず口にした言葉が、どこか虚しく響いた。そう――静けさが異様だった。吸血鬼の襲撃が続いているにもかかわらず、町の人々は何事もなかったように過ごしている。そのことが逆に、シエルの胸に重くのしかかっていた。


「ベルナルド、どうしてこんなにも異常なことが起こっているのに、誰も気づかないのかしら?」


 彼がちらりとシエルに目を向けた。


「みんな、真実を見たくないからだろうな」


 ベルナルドの答えは簡潔だった。しかし、その言葉には含みがあった。シエルは一瞬、言葉を飲み込んでしまう。


 彼の目に、真実を探し続ける者の冷徹な光が宿っているのがわかる。その眼差しに、シエルは少しだけ怯えを感じる。だが、同時にその真実を知ることで、何か大切なものを得ることができるのではないかという希望も感じていた。


「……その通りね」


 シエルは小さく頷きながら歩き続ける。ふと足元を見てみると、石畳がだんだんと荒れてきていることに気づく。少し前までなら気にも留めなかった小さなひび割れや、砕けた石が足元に散らばっていた。それらは何の前触れもなく現れたように見える。


 ベルナルドはそれに気づくと、無言で立ち止まる。シエルも歩を止め、彼の後ろに続いた。ベルナルドはじっとそのひび割れを見つめ、そして静かに言った。


「ここだ……」


 その一言に、シエルの胸が高鳴る。


 何かを見抜いたのだろうか? 彼の目には何かを感じ取ったような、鋭い光が宿っていた。


「この中か?」


 ベルナルドの問いかけに、シエルは答えることなくただ頷いた。ひび割れた石畳の先には、木造の古びた家がひっそりと立っていた。周囲には人の気配はなく、家の中からも明かり一つ漏れていない。


「誰もいないと思うが、入るか?」


 ベルナルドが言ったその言葉に、シエルの心臓が一瞬で跳ね上がる。おそらく、ここに何か重要な手がかりが隠されている。それが、ベルナルドの言動から伝わってきた。


「……はい、入るわ」


 シエルは意を決して答え、ゆっくりとその家の前に歩み寄った。古びた扉を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。だが、それよりも何よりも、その空気が不自然に重たかった。


 ベルナルドは慎重に中へと足を踏み入れる。シエルもそれに続く。


 家の中には、薄暗い廊下が続いており、床の板がきしむ音が耳に響く。その音さえも、どこか不気味だった。シエルは息を殺しながら、その足音を耳にし、冷たい手のひらをマントの中でぎゅっと握りしめる。


 ――ここで、何かが起こる。


 そう感じていた。



 ***



 シエルの足音が、古びた家の中で異常に響く。静まり返った空間にいると、自分の呼吸音さえも大きく感じられた。それほどまでに、この家の中には何もかもが重く沈んでいるような気配があった。


「こんな場所に誰が住んでいたんだろう……?」


 シエルが思わず口にすると、ベルナルドが小さくうなずく。


「昔の住人は、もういないだろうな。少なくとも、今は誰もいない」


 その言葉に、シエルはわずかに背筋を伸ばす。ベルナルドの目には、家の内部に対する警戒心と共に、無駄なものを探し出す鋭い眼差しが見えた。それが、彼がヴァンパイアハンターとして数多くの危険な場所をくぐり抜けてきた証拠であることを、シエルは肌で感じていた。


 シエルもまた、その目を見て無意識に足を速める。周囲を見渡しながら進むうち、壁にかけられた古い絵画が目に入った。それは薄暗い部屋の一角に、ひっそりと掛けられている。絵に描かれている人物たちはどこか不気味で、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。顔の表情が不明瞭で、まるでその絵自体が時間の経過と共にその姿を変えていったかのようだった。


「……奇妙だわ」


 シエルが呟いたその瞬間、ベルナルドがひときわ冷たい視線を絵に向けた。彼の目に、警戒の色が浮かぶ。


「何かを感じるか?」


 その問いに、シエルは一瞬考える。だが、絵が与える不気味さに意識が引き寄せられ、胸の奥に何かがひっかかる感覚があった。


「わからない。でも、気持ち悪い……」


 ベルナルドは無言で歩を進め、シエルもその後ろを追う。二人の足音がひび割れた床板に反響するたび、周囲の静寂がさらに深まっていく。


 廊下を進むにつれ、家の内部にはほとんど家具が残っていないことに気づく。壁に貼られた古びた壁紙は色褪せ、家具はほとんどが壊れ、朽ち果てていた。しかし、それでも一部には手入れが行き届いているような場所もあり、特に奥の部屋は、他の場所に比べて異様に整頓されていた。


「ここだ」


 ベルナルドが立ち止まり、扉を指さした。シエルはその指先を見て、静かに息を呑む。扉の前に立つと、やはりどこか不自然な感覚が体を包み込む。この部屋に何かが隠されている……そう直感的に感じた。


「開けるぞ」


 ベルナルドがゆっくりとドアノブに手をかけ、扉を押し開ける。シエルはその瞬間、心臓が一拍早く跳ねるのを感じた。


 扉が開くと、そこに広がっていたのは、予想外の光景だった。部屋の中央に、何か奇妙な祭壇のようなものが設置されている。その祭壇の周りには、黒い布がかけられ、無数の蝋燭が並べられていた。蝋燭の火はまだ消えておらず、微かな灯りを部屋に投げかけている。


 そして、その祭壇の上には、古びた本が一冊、開かれた状態で置かれていた。本の表紙には、目にしたことのない符号が刻まれており、それが不気味に光を反射しているように見えた。


「これが……」


 シエルは思わず足を踏み出すと、その瞬間、ベルナルドの腕が素早くシエルの肩を掴んだ。


「待て」


 彼の声には、普段の冷徹さだけでなく、警告の色が含まれていた。シエルはその力強さに驚きながらも、すぐに動きを止めた。


「どうしたの?」


「この部屋には、ただの遺物が置かれているわけじゃない。気をつけろ」


 シエルは彼の言葉に、再び背筋を正した。空気の中に、先ほど感じた重苦しいものとは違う、何かもっと悪質な力が漂っているのを感じた。それが、この部屋に充満しているようだった。


「それにしても……これ、どういう意味なんだろう」


 シエルは恐る恐る祭壇に近づき、開かれた本のページを覗き込んだ。そこには、血で書かれたような文字が並び、まるで呪文のようなものが記されていた。


 その瞬間、シエルは不意に思い出した。最近の襲撃事件、血を吸われているにもかかわらず命が助かる被害者たち――これらの事件と、この部屋、そしてこの本が何かしらの関係を持っていることに、確信を抱き始めた。


「ベルナルド、この本、何かの儀式に関係しているんじゃ……?」


 ベルナルドは無言で本を見つめ、深い思案の表情を浮かべた。やがて、低い声で答えた。


「おそらくな。だが、これが何を意味するのか……まだわからない」


 二人はその謎に包まれた部屋で、次の一手を考えながら静かに立ち尽くしていた。

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