第一話「運命の恋人は最強の敵!?」
夜の帳が降りる頃、シエル・フォン・バートリーは愛用のクリスタルを手に、今日も占いを試みていた。
「今度こそ、素敵な人を……!」
吸血鬼とはいえ、彼女も乙女だ。恋愛には憧れるし、運命の恋人がどんな人なのか気になって仕方がない。
魔法陣の上に指先を滑らせ、そっと呪文を唱える。
瞬間、淡い光が広がり、運命の恋人の名が浮かび上がった。
――ベルナルド・ノヴァ
「…………は?」
シエルの笑顔が凍りつく。
まさかの名前だった。いや、冗談では済まされない。ベルナルド・ノヴァ――その名は、吸血鬼の間では恐怖そのもの。彼は人間界でも名を馳せる最強のヴァンパイアハンターなのだ。
「そんなの絶対ありえない! これは何かの間違いよ!」
慌てて占いをやり直してみる。しかし、何度試しても結果は変わらなかった。
ベルナルド・ノヴァ。
ベルナルド・ノヴァ。
ベルナルド・ノヴァ。
「……うそでしょ」
彼女は頭を抱えた。
そもそも吸血鬼とヴァンパイアハンターが恋に落ちるなんて、ありえない。バレたら即、討伐対象。そんな相手が運命の恋人だなんて、神様の悪趣味にもほどがある。
「これは……忘れよう! うん、そうよ。運命なんて自分で切り開くものだもの!」
そう決意して、彼女は占いの結果を封印することにした。
――だが、その翌朝。
「……えっ」
シエルは目の前の男を見て、呆然と立ち尽くした。
銀色の髪に鋭い眼差し。黒のコートに包まれた精悍な体つき。間違いようがない。
「お前、顔色悪いな」
ベルナルド・ノヴァ。
運命の恋人――そして、最強の敵が、そこにいた。
***
心臓が凍りつく、とはまさにこのことだろう。
シエルは目の前の男を凝視しながら、脳内でありとあらゆる思考を巡らせていた。
(落ち着いて。慌てたら負けよ、シエル……!)
ベルナルド・ノヴァ――吸血鬼界でも名高いヴァンパイアハンター。噂によれば、彼に目をつけられたら最後、生き延びた吸血鬼はいないとか。
そんな男が、自分の目の前に立っている。しかも、「顔色が悪い」だなんて――いや、それは事実なんだけど!
「こ、これは生まれつきよ!」
シエルは慌てて誤魔化した。
ベルナルドはじっとこちらを見つめてくる。その鋭い眼光に、シエルの背筋がゾクッとする。
(や、やばい……もしかして、バレた? 私が吸血鬼だって……!?)
彼の視線がこちらの喉元を一瞬かすめる。
シエルは思わず襟元を押さえた。
(もしかして牙を見られた!? いや、でもそんな隙は見せてないはず……!)
「ふうん……まあいい」
「えっ?」
「ちゃんと飯食ってるか? 貧血起こすと危ないぞ」
「……は?」
ベルナルドの予想外の言葉に、シエルは思わず固まった。
吸血鬼に『ちゃんと飯を食え』と言うとは、なんとも皮肉な話だ。
(いや、違うわ。この人、私が人間だと思ってる……!)
思わず安堵しかけるが、同時に新たな危機感が襲ってくる。
(っていうか、ちょっと待って。これ、私……ヴァンパイアハンターに心配されてる!?)
本来なら、狩るか狩られるかの関係。それなのに、目の前の男は吸血鬼の彼女を前に、純粋に【貧血を心配する】なんて――
「お、お気遣いどうも……?」
「ん。まあ、無理するなよ」
軽く手を挙げて、そのままベルナルドは去っていく。
シエルはその場にへたり込んだ。
「……なにこれ、心臓に悪すぎるんだけど!」
まさか、こんな形で彼と接触することになるとは。しかも、ハンターに心配される吸血鬼なんて、聞いたことがない!
(私、どうすればいいのよ……!?)
シエルの運命は、すでにベルナルドに翻弄され始めていた。
***
夜風が冷たく肌を撫でる。いや、正確にはシエルの肌はすでに冷たいので、気温の変化など関係ない。けれど、今の彼女の背中を走る寒気は、ただの冷気とは別のものだった。
「……どうして、こんなことになったのかしら」
帰路につきながら、シエルは深々とため息をついた。
――運命の恋人がヴァンパイアハンターだった。
この時点で最悪の引きをしているのに、まさかその相手と初対面早々、貧血を心配されることになるとは。そんなシチュエーション、誰が予想できただろう。
「違うのよ、そうじゃないの。私はベルナルド・ノヴァなんかと関わるつもりは一切ないの!」
彼の名前を口にするだけで、不吉な感じがする。だって、吸血鬼にとって彼は“死”そのものなのだから。
シエルはかぶりを振り、気持ちを切り替えようとした。
(そうよ、運命の恋人なんてただの占い。気にするだけ無駄! 私はこれまで通り普通に暮らして、絶対に彼と関わらないようにすればいいのよ!)
そう決意し、顔を上げる。
次の瞬間。
「――おい」
目の前にいたのは、他でもないベルナルド・ノヴァだった。
「……え?」
「奇遇だな」
なぜ。
どうして。
こんなにも簡単に再会してしまうのか。
吸血鬼の直感が叫んでいる。『これはもう逃げられない』と。
「えっと……偶然、ですね……?」
「そうだな」
腕を組み、彼はジッとシエルを見つめる。
シエルは思わず喉を鳴らした。怖い、いや、怖すぎる。こんな至近距離にヴァンパイアハンターがいるなんて、寿命が縮むどころの話ではない。
(っていうか、そもそも私、不死だったわ! それでも寿命縮みそうな勢いなんだけど!?)
逃げたい。しかし、走って逃げれば怪しまれる。何より、そんな行動を取れば、確実に彼の警戒心を煽ってしまう。
(冷静に……冷静に……! 私はただの一般市民よ! そう、何も知らない普通の人間のふりをすればいいの!)
ぎこちない笑みを浮かべ、彼女はできる限り自然に振る舞う。
「そ、そういえばベルナルドさんって、よくこの辺を歩かれるんですか?」
「いや、たまたまパトロールの途中でな」
……パトロール。
吸血鬼がいないか見回っている、という意味だろう。
つまり、この場にいるシエルは、まさにその「吸血鬼」そのもので。
「そ、そうなんですね……」
「そういえば」
ベルナルドが一歩近づく。シエルは無意識に後ずさった。
「お前、夜遅くにこんなところを歩いてるが、危なくないのか?」
「えっ……?」
「この辺は最近、妙な事件が続いてる。お前みたいな華奢な女が一人で歩いてたら、狙われるかもしれないぞ」
妙な事件――それは、おそらく吸血鬼絡みのものだろう。
そして今、最強のヴァンパイアハンターが、まさにその“妙な存在”であるシエルに対して、『危険だから気をつけろ』と忠告しているという、訳の分からない状況になっていた。
(ちょ、ちょっと待って。私を狩る側の人が、私に対して心配してるんだけど……!?)
わけがわからない。
いや、彼はただの親切心で言っているのだろう。彼にとって、今のシエルは【普通の人間の女性】にしか見えていないのだから。
(そう、問題はバレていないこと! それさえ維持できれば――)
「そうだ、もし帰り道が不安なら、送ってやる」
「……は?」
思考が停止した。
「いや、いいです! すぐそこなので!」
「そうか? ならいいが……」
ベルナルドは少し考え込んだあと、ふっと口元に笑みを浮かべる。
「ま、また会ったら声かけるよ。気をつけて帰れ」
「…………」
背筋がゾクッとした。
彼の言葉が、どこか含みのあるものに聞こえてしまうのは気のせいだろうか。
もしかして、もう目をつけられている……?
「な、なんでこんなことになってるのよぉ……!」
シエルは絶望的な気持ちのまま、その場を足早に去ったのだった。