【短編】箱入り侯爵令嬢は義兄の過保護から抜け出したい
「お義兄様、お話があります。」
春。木漏れ日がテラスにさしかかる。
私は真剣な面持ちで、向かいの席に座る義兄に切り出した。
「どうしたの?……ああ、ブランコ?
セルジー。残念だけど父上も母上も、ブランコは子供の乗るものだって言うんだ。
でも君がそんなに欲しがるなら、僕が作ろう。
大丈夫、費用なら……」
「何の話ですか。」
「ん?ブランコ、欲しいって言ってたから。」
私のじとりとした声に、義兄はわざとらしく眉を上げた。
私がまだ小さい時、屋敷にブランコが欲しいと駄々をこねて泣いたことを言っているのだ。
今でもよくからかわれてしまっている。
「もう、その話を何回するつもりですか!酷いです!」
「ごめんよセルジー、怒らないで。」
義兄はニコニコと意に介さない様子で微笑んでいる。
じろりと睨むと首を傾けて話の続きを促してくれた。
口の中が乾いていて、自分が少しだけ緊張していたことに気が付く。
冗談でほぐそうとしてくれたのか。
少しだけ頬が朱に染まるのを自覚しながら、コホンと咳ばらいをした。
「学院は、お義兄様と違うところにしようと思っています。」
義兄は紅茶を噴き出した。
近くで控えていた執事が、驚いてハンカチを差し出す。
私も慌てて立ち上がったけれど、苦しそうにむせる義兄は手のひらを私に向けて、ごめんね、大丈夫、大丈夫だけど……と続けた。
「な、なに?なんて言ったの?学院?」
驚かせてしまって申し訳ないが、私も決めたことなのだ。覚悟をもって宣誓した。
「はい。一人で生きれるような強い女性になりたいのです!」
「い、いやあ……?でもセルジーは侯爵令嬢だし、一人で生きるなんて、そんな……。」
「もう決めたんです。」
私は立ち上がった。
その衝撃でテーブルが揺れ、ティーカップが倒れる。
紅茶が空中で流動するのが、私にはスローモーションで見えた。
ドレスに熱い紅茶がかかる—
そう思って思わず目を閉じたが、なんの熱さも感じない。
そろりと目を開けると、紅茶を包む顔の大きさ位の水の塊。
宙に浮いているが、操っているのはお義兄様だ。
真顔で右に平行移動させると、魔法を解いて、紅茶と水を芝生に落とした。
「お、お義兄様、ありがとうござ」
「一人で生きる……?」
上目遣いで睨まれている気がする。
気がする、というのは怖くて顔を背けたからだ。
「あの、ごめんなさい。気を付けます。」
「僕が覚えているだけでも、君が紅茶で火傷しかけたのは100回を超えると思うけど?」
う、と言葉を詰まらせると、義兄は立ち上がって私に近づいた。
身長が高く、あっという間に全身が体の陰に入ってしまう。
「で、でも、余計なことをせずに、じっと黙っていれ、ば……。」
「余計なことをせずに?じっと黙っている?君が?」
片眉をあげて復唱される。
うう、と唸っても義兄は一向に離れてくれない。
「はねっかえりだっていうのは分かってます。でも、でも私、ちゃんと自立できるようになりたくて……。」
「……偉いね。成長しようとしているんだね。」
義兄を見上げると、少し寂しそうな笑みを浮かべている。
「でも他の人に迷惑をかけるかもしれないだろう?何かが起こってからじゃ遅いんだよ。」
正しい意見にぎゅっと親指をつねった。
分かってる。私が迷惑をかける可能性は。
でも、このまま義兄に甘えてばかりでは、私は一生手のかかる妹のままだ。
一度離れてしまえば、危機感を抱くだろうと思っていた。
己の身勝手さが歯がゆい。
「セルジー。」
優しい声色がささやいた。
「僕はセルジーの素直な行動力が素敵だと思っているんだ。変わってほしくない。
同じ学院なら、たしかに学年は違うけれど色々なことから守ってあげられる。
独り立ちなんて、する必要ないだろう?」
小さい子をなだめるような言い方に、心が揺らぎそうになる。
でも、それじゃあ—
「フン、必要がないのはそっちの方だろう。」
背後から聞き覚えのある大声がして、振り返ってみると仁王立ちで微笑む第二王子がいる。
王家のブロンドが風に揺れた。
「で、殿下!」
うつむいている使用人が青い顔をしているのが目に入った。第二王子が一介の侯爵家にお忍びでくるなど想定しているはずもない。
「お、お出迎えせず失礼いたしました。」
「……これはこれは、殿下。ご機嫌麗しゅう。ここは侯爵家のプライベート空間ですよ?どうしてここに?」
失礼な言い方の義兄をこっそりと肘で小突いたが、殿下はまったく気にしていないようだった。
「よいよい、なんだ、これはその……、ゴホン、急にドルトムン家のバラがな、見たくなってな。侯爵に伝令を入れたところ、すぐにでも来ていいとのことだったからな。うむ。失礼した。」
「……はあ、それではうちの者に案内させますから、少々お待ちを。」
義兄はにこりと外用の笑みを作ると、私の腰を抱いて180度向きを変えた。
「ちょ、ちょ、おい、」
「おい?」
「あ、いえ。すみません。」
「はい。ゆっくりとご覧ください。」
「あ、あの、セルジー嬢!あ、案内してくれないか?」
義兄に少し強引に連れていかれる寸前、殿下が声をあげたので振り返る。
そうよね、やっぱりお義兄様が変わっているだけで、侯爵家の者が案内するのが自然の流れよね。
「はい、殿下。もちろんです。」
「……じゃあ、僕も」
「いや!あ、いえ……ハイル殿のお手をわずらわせることはありませんよ。」
「ほう?」
「じゃあお義兄様、少し行ってきます。ご無礼がないようにするから心配なさらないで。」
殿下がかなり早歩きになったことを言い訳にして、ニコニコと笑っているのに少し不機嫌そうな義兄から逃げた。
もっとも、あれ以上あんな距離感にいて、平常心を保てるとも思わなかった。
「うむ。流石ドルトムン家だな。よく手入れされている。」
心地いい日差しの差す中庭を殿下と並んで歩く。
本来なら王家の方とこんな距離感で話すことはないのだが、殿下のお母上はドルトムン夫人の実姉にあたる。ドルトムン夫人の妹の子供である私の従妹でもあるので、幼い時から親密な関係が許されてきた。
「ありがとうございます。庭師が喜びますわ。しかし、王家の庭には見劣りしませんか?」
社交辞令に笑って返せば、少しだけ頬を赤くした殿下に見つめられた。
「し、しない。いや!わからないな。
き、気になるのなら来ればいいだろう。私が同伴してやってもいい。」
王家の庭は公開されている王宮の庭園と違って、王家とその許可を得た人間しか入れない。王家との親密さを示す一つの指標だ。
だからこそ、仲良くしているよしみでそんなことを言わせてしまうのが申し訳なくなる。
「まあ、ありがたいお話ですが、殿下にはまだ婚約者がいらっしゃいません。最初に招待したのが私では誤解を招きかねませんわ。」
「し、し、し、してくれても、構わないのだが?!」
「なにを仰いますか。」
殿下らしくもない下手な冗談にくすくすと笑えば、殿下が歩みを止めていることに気が付いた。
いつになく真剣な表情だ。
「セルジー嬢。そなた、ハイル殿とは違う学院に入学しようとしているらしいな。」
「えっ。」
「すまない。先ほど聞いてしまった。」
「ああ……、いいえ、でも、迷っています。私はドジでほかの人に迷惑をかけてしまいます。普段は義兄に助けてもらっていますが、でも、やはり、同じ学院のほうが……。」
「大丈夫だ!」
殿下は下を向きながら、大きな声で言った。
「わ、私が助けよう。」
日差しに反射した青い瞳が、なぜか熱を持っているように見えた。
「そ、それでは殿下にご迷惑をおかけしてしまいますわ。」
「構わない。上に立つものは大きな器を持っているものだ。」
「でも……。」
「自立したいんだろう?なら、いつまでもハイル殿に甘えていてはいけないのではないか?」
それは、その通りだ。
だが結局は、助けてくれる人がお義兄様から殿下に変わっただけで、自立することになるとは思えなかった。
「ハイル殿なら際限なく甘えてしまうことでも、私が相手ならそうではないだろう。
お、お試しとして、な。」
「お、お試し?」
「そうだ。まあ、セルジー嬢さえよければ……。」
「殿下ッッ!」
中庭の入り口からドタバタと騒がしい音がする。
殿下は何を視認したのか、弾かれたように反対方向へ逃走するが唖然とする私の前をとても速い何かが通り過ぎたかと思うと、殿下の首根っこをつかまえて戻ってきた。
彼は殿下の側近の公爵令息。ルゼ様だ。
あんなに速かったというのに、汗一つかいておらず涼し気だ。
「セルジー嬢。今日もバスティア様が押し掛けたようですまないな。」
「ルゼ様、ご機嫌よう。いえ、押し掛けたなんてそんな。私は楽しかったですわ。」
「助かるよ。全く脱走するのが上手になってしまわれて……。」
「ちゃんと捕まえておいてくれないと困るよ。」
「お義兄様!」
いつの間に来たのか、お義兄様が横に立っていた。不機嫌さが消えたどころか上機嫌な様子だ。
「は、ハイル殿。ルゼに連絡しましたね。」
うなだれていた殿下が憎々し気にお義兄様を睨んだ。
「おや殿下。僕は臣下の義務を果たしただけですよ。なにか不測の事態があってはいけないですから。」
「臣下……こんなにふてぶてしい臣下がいてたまるか……。」
「はい?」
「なんでもありません。セルジー嬢、今日は楽しかった。ありがとう。はあ、いくぞルゼ。」
「はい。失礼します。」
こうして嵐のように殿下とその側近のルゼ様は帰っていった。
すでに公務にあたっている殿下は、やはりストレスがたまることもあるんだろう。
私でよければ友人として、殿下に一息つける空間を提供してあげたい。
うんうんとうなずいていると、お義兄様に肩をつつかれた。
見上げた顔はどこか拗ねているようだった。
「……それでセルジー。どうするの?まさか殿下と一緒に別の学院にするつもりじゃないよね?そんなの絶対だめだからね。」
「ううん……。どうしましょう。」
色々と家族に相談した末、問題が起こったら首を突っ込む前に連絡することを条件に、義兄とは違う学院に通うことにした。
といっても、それを知られると以前のように義兄に説得されてしまうかもしれない。
私の覚悟を貫くため、家族に秘密にしてもらって迎えた入学式。
生徒会長が挨拶をしている時、副会長の席に座っている人が手を振っていた。
儀式の最中になんだろうと視線を送り、目が合った。
義兄だった。
私は一度思考を止めた。見なかったことにした。
【短編】箱入り侯爵令嬢は義兄の過保護から抜け出したい・完
後日連載版を出します!