まるで自分の人生すべてが否定されたみたいだった
張偉の父、張敏は中国大手ゲーム会社、天穹互动(skybound interactive)のオーナー一族の当主だった。
天穹は2020年代に日本のソシャゲを真似たゲームをいくつもリリースし、世界でも有数のゲームメーカーへとのし上がった、衝突後世界でも外貨を獲得することが出来る、数少ない中国企業の1つであった。
そういう背景があってか、いつしか張敏は党内でのし上がり、今では若手のホープとしていくつもの要職を兼任し、将来は首席が狙えるポジションであると噂されるまでになっていた。
張偉は18年前、そんな父の下で、将来を嘱望されるエリートとして誕生した。40を過ぎてから生まれた子供を父は溺愛し、張偉もそんな父の期待に応えるべく文武両道に育った。
まだ幼いうちから英語と日本語を巧みに話し、冴えわたる知恵で周囲を驚かせ、また運動神経も抜群で、トラック競技では複数の種目で目を瞠るような活躍を見せた。中学に上がる頃には同年代には敵なしで、将来はオリンピック出場も間違い無しと目されていた。
しかし、そんな彼に転機が訪れる。ついに国際大会出場を決め、世界に挑戦すべく訪れた異国の地で、出場のために受けたM検で彼は混血であることが発覚したのだ。
中国人同士の両親から、異世界人の混血が生まれるはずがない。すぐに過去に遡って調査した結果、原因は母の浮気であり、張偉と父の間に血縁関係は最初から存在しないことが判明した。
党の要職を務める父は面子を潰されたことに激怒し、母子を殺さんばかりの勢いで中国から追放した。こうして祖国に帰れなくなった張偉は、母の遠縁を頼って日本へとやって来たのだが……そんな母と一緒に居られるわけもなく、夜な夜な街を徘徊しては喧嘩に明け暮れる日々を過ごしていたところ、この魔法学校にスカウトされたのだそうである。
「父に捨てられたことも、母が不義を犯していたことも許せなかったが、それよりも許せなかったのは、まるで今までの自分がズルをしていたかのように言われたことだった。
俺は付属に来るまで、魔法なんて使ったこともなければ、使い方も知らなかったのに。アスリートとして不正なんて絶対にしていないと誓えるのに。なのに今まで出場してきた大会の結果すべてが、1つ残らず無かったことにされたんだよ。
来る日も来る日も、たった1秒を縮めるために積み重ねてきた努力も、吐いてぶっ倒れてそれでも起き上がって走り続けた日々を、たった100グラムを削るために苦しんだ過去も、みんな魔法のおかげって言われるんだ。
まるで自分の人生すべてが否定されたみたいだった。
でもそれ以上に笑っちゃうのは、この学校に来て魔法の使い方を覚えたら、今まで散々苦労して出してきた記録を、全部更新しちまったことだった。それはオリンピックの記録と、殆ど同じなんだ……それじゃ、俺が今までやって来たことはなんだったんだ?
今まで凄い凄いってちやほやしてた奴らに、急に化け物扱いされて、悔しくて、でもそいつらに何も言い返すことも出来ない……この力は一体なんなんだ?
……祖国から出ていきたかったわけじゃない。他に行く宛が無かったんだ。でもそうしてたどり着いた日本でも、俺の居場所なんてどこにもなかった。だからこの学校が拾ってくれたことには感謝してるよ。ここにいる間は、祖国のことを忘れられる。多分、他の連中も似たようなもんだ」
淡々と自分の過去を語る張偉の横顔は微動だにせず、ただ哀愁に満ちていた。有理はそんな彼を見て、実技の授業の彼の姿を思い出していた。ヒートアップしてルール無視が横行する中で、ただ一人ルール違反をせずに、いつも実力でねじ伏せてきた。乱闘が始まっても加わることはなく、一人離れたところでじっと再開を待っていた。それはアスリートとしての彼の矜持だったのだ。彼は絶対に、不正はしないのだ。
有理は張偉に同情していた。彼もまた、魔法のせいで夢を絶たれた一人だった。方向性はまったく別だが、
「……そうか。俺も張くんと比べれば大したことないかも知れないけど、魔法適性なんかが高かったせいで、長年の夢だった東大に進学できなかったんだ。
本当に一生懸命勉強して、ようやく合格出来た大学を、魔法が使えるかも知れないからなんて理不尽な理由で断念させられた時は、俺の人生すべてが否定されたような絶望を感じたよ。しかもその原因となった魔法は、いつまで経っても使えなくて、周りの奴らには馬鹿にされるし、本当にどうしてこんなところに居なきゃいけないんだって、ずっと苦しかったんだけどさ……
でもそれは結局、自分を過大評価していた傲慢さが生んだ苦しみだったんだよね。俺は自分が思ってるほど、出来る人間じゃないんだ。それを受け入れることで、ようやく落ち着くことが出来た。君もなにかそういう切っ掛けが、早く見つかるといいな」
「……あんたも大変だったんだな」
「ああ、お互い苦労するな」
「あーもう、あんたたち。若いんだからそんな辛気臭いことで同調しないでよ」
二人がお互いの傷を舐め合って場が暗くなってくると、それを横で見ていた桜子さんが、げんなりとした口調で空気をかき回してきた。
「どんなに藻掻いたところで、全ての苦しみは過去になるのだぜ。そんなことよりも若者は今を楽しんだ方がよろしい。ほら、花火やろうよ、花火。まだまだいっぱいあるんだからさ。あーあー、ビールが全部ぬるくなっちゃった。終わったら、部屋で飲み直しましょ」
桜子さんが山型遊具の中で火を付けると、あっという間に煙で充満してしまった。有理たちはゲホゲホ言いながら這い出してくると、それもそうだなと切り替えて、残りの花火に火を点けた。
最初は少し硬かった張は、自分のことを話したことで気が紛れたのか、いつの間にか普通に笑うようになっていた。そうしているとただの気の良い子供みたいで、今まで怖いと思っていた自分が馬鹿みたいだった。
***
翌朝。昨日買ったチュールをお土産に、ジェリーのところへ顔を出し、一遊びしたあとに登校した。猫の毛だらけになった制服をガムテでベタベタやっていたら、教室の隅の方から鋭い視線を感じた。なんとなく既視感を覚えて振り返ると、中国人グループの中心から張偉がこちらの様子を窺っていた。何か用事でもあるのかな? と思って見ていると、やがて彼は決心したように立ち上がり、教室を突っ切って有理の下へとやってきた。
「物部さん。おはよう」
「やあ、おはよう。昨日は良く眠れた?」
「はい」
張はこくりと頷いたあと、それ以上特に何も言わずに去っていった。何がしたかったのかちょっと分からなかったが……
そう言えば、今までも何度か彼の視線を感じていたが、もしかして単に挨拶をしたかっただけなんじゃないだろうか? 彼はものすごく良いとこの出なのだ。なんなら億万長者になっていたかも知れない、そんなセレブの元に生まれたのだ。だから年上の有理に挨拶をしないのは失礼だと思っていたのかも知れない。
そんなことを考えていると、遅刻ギリギリで関が教室に入ってきて、リアクション芸人みたいな動きで戸惑っていた。
「え!? なんで、パイセン!? なにやったのあんた!?」
「知らねえよ。おまえは話しかけてくるなよ」
その後、馴れ馴れしい男を追っ払うのに余計な神経を使う羽目になった。異世界の混血と言ってもやはり人間であるから、一人ひとり個性が違う。張もこれくらいいい加減ならもっと楽に生きられただろうに。ままならないものである。




