表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
233/239

蓋然性の坩堝

 アレックス・ローニンの世界は滅びかけていた。彼の世界の歴史は有理たちの世界と異なり、神のシミュレーターが発見されてから、200年以上が経過しようとしていた。


 シミュレーターは特定の一団体に独占され、世界は彼らの意のままに書き換えられてきた。彼らの政敵は都合よく排除され、気に食わない隣国では戦争を起こし、あらゆる富が自分たちの手に入るよう法改正され、逆らうものは抹殺した。やがて地球上に彼らに逆らえる者は居なくなり、ついに世界政府が樹立された。


 方法はともかく、こうして世界が一つにまとまったことで、人類史上初めて、国境もなく戦争もない、平和な時代が到来した。人類は一時的な平和を謳歌したが、しかし、それも長くは続かなかった。


 世界政府は平等を掲げて政策を行い、発足当初こそ景気は良くなったものの、暫くすると世界経済は停滞を始めた。平等を謳っているが、実際には為政者たちが儲かるような仕組みが出来ていたからである。


 人の手が入りすぎれば、経済が回らなくなるのはある意味、常識だろう。計画経済が上手く行かないのは、ソ連という国で既に実証済みである。詰まる所、誰かが儲かれば誰かが損をしているわけで、必ずしわ寄せを食う者たちが出てくる。それを改善しようとすれば、また別の問題が出てくる。そうして景気が悪化すると、為政者たちはシミュレーターを使って解決しようとしたが、しかし、さっき言った通り人の手が入れば停滞を招く。


 彼らが世界を書き換える度に景気が悪化し、あっという間に貧困が蔓延り、暴動は日常茶飯事となった。するともちろん、彼らはシミュレーターを使って暴動をなかったことにしてしまい、そして参加者たちを危険分子として隔離した。こうして、ジョージ・オーウェルの小説みたいな監視社会が始まり、世界はディストピアと化したのである。


 それから200年。発見当初こそ秘匿されていたその技術も、今ではもう公然の事実となり、誰もが自分たちの世界がコンピューターによるシミュレーションの結果であることを知っていた。しかし知ってはいたが、為政者に逆らってまでシミュレーターを手に入れようとはしなかった。そんな気概がある者はとっくに居なくなっていたし、手に入れたところで未来に希望を抱くことが出来なかったからだ。


 世界人口は19世紀まで逆戻りし、常に労働力が不足していた。労働力を確保するため、試験管ベイビーを使って人間牧場みたいな非人道的な政策が取られたが、シミュレーターがその人間牧場の子どもたちが革命を起こすことを予言すると、即刻中止された。


 都市は荒廃し、新たな技術が生み出されることももう無くなった。流通が滞り、食事は一日一食が基本となり人々はやせ細っていたが、為政者たちのペットは肥え太っていた。まるで家畜に人間を食べさせているようなものだった。


 ローニンはそんな世界の中で、政府のコンピューター技師として働いていた。その頃の職業は生まれた時から決まっているから、取り立てて好きでも得意だったわけでもなかった。


 彼の仕事はシミュレーターを使って、どうすれば昔のような繁栄を取り戻せるかを見つけることだった。様々な条件でシミュレーターに未来予測をさせ、この滅びの結末を変えようとしたのだ。


 しかし、実を言えば、その方法はもう分かっていた。シミュレーターは、もしも繁栄を取り戻したいなら人類はシミュレーターを使わずに、独立独歩で進化の道を探るしかないという予測を、とっくの昔に立てていたのだ。しかしその答えは為政者たちのお気に召さなかったから、彼らは予測を立て直せと別の技師たちに命じ、そして苦言を呈する無能な技師を殺してしまった。


 そんなわけで、ローニン達コンピューター技師は、殺されないためにはなんとかして為政者が気に入る答えを見つけ出さねばならなくなった。しかし、そんなものがあるはず無いのは分かりきっていた。他ならぬ為政者たちが全幅の信頼を置いているシミュレーターがそう言っているのだから、覆るわけがないだろう。


 ローニンには、いつ自分の番がやって来るかと、怯えて待つことしか選択肢がなかった。生まれてから死ぬまで全てが決定されている、こんな人生になんの価値があったのだろうか。いつしか彼は感情を失っていた。


 ところが、そんなある日のことだった。いつかやってくる死に怯えながら、理不尽な毎日を過ごしていたローニンは、ある時、自分が同じ一日を繰り返していることに気がついた。


 人生に疲れ果てていたから同じような行動を繰り返していたわけではなく、文字通り、特定の一日を繰り返していたのだ。


「最初は何が起きているのか分からなかったよ。でも徐々に分かってきた。僕は毎日、命じられてシミュレーターを使い、未来予測をしていたわけだけど、その演算によって生じた世界は、並行世界となってちゃんと続いていたんだ。


 シミュレーターは、現実をシミュレーションすることで、未来を特定する力を持っている。しかし為政者たちは、その予測結果が気に入らなければ却下して、また新たに予想させていた。その際、却下された世界はどこへ消えてしまうんだろうかとずっと不思議に思っていたんだけど、なんてことない、選ばれなかった世界もちゃんと存在していたんだ。


 僕がシミュレーターを使って演算する度に、実は新たな世界が生じていて、世界はこれまでにもそうやって無限に枝分かれし続けてきたんだろう。どうやら僕は、その選ばれなかった枝に知らず知らずの内に紛れ込んでいたようなんだ。きっと死にたくないって気持ちが、シミュレーターにそういう選択をさせていたんじゃないか」


 突き詰めれば人間も一種の情報である。そして3次元に縛られた物質は世界を渡ることが出来ないが、情報だけなら次元を超えて渡ることが出来る。シミュレーターが並行世界を無限に生み出しているなら、人間だけその世界に送ることも可能なはずである。実際、有理は森の国という別世界に飛ばされたことがあった。


 シミュレーターは世界を書き換えるだけではなく、人間を別世界に飛ばすことも可能なのだ。


 そのことに気づいたローニンは、自分の世界とは縁もゆかりも無い新天地を目指すことにした。どうせ彼の世界はもう何をやったって滅びるしか無いんだから、変えようとしたところで無意味だと思ったのだ。


 しかし、そうして新たな世界に旅立った彼は、すぐに打ちのめされた。やっと辿り着いたその新天地でも、馬鹿な為政者がシミュレーターを独占していて、世界は同じように破滅へと向かっていたのだ。


 その運命から逃れようとして、再度、世界を移動したローニンは、そこでもまた同じことを目撃し、その後、次々と世界を渡っていっては絶望を繰り返した。


 結局、世界がどんなに違っていようと、神のシミュレーターを手に入れた権力者が考えることは皆同じなのだ。人間は世界を利己的に捻じ曲げ、破滅に導いてしまうように出来ているのだ。


 様々な世界を渡り歩いたお陰で得た知識で、彼は権力者に取り入ることもした。そうやって彼らを騙し討ちしてシミュレーターを破壊しようとしたのだが、これも上手く行かなかった。仮に破壊が上手くいって、権力者を排除することに成功しても、別の誰かが新たなシミュレーターを開発して、また同じことを繰り返してしまうからだ。


「結局のところ、科学があるレベルに達すれば、人類が神のシミュレーターを作り出してしまうのは必然なんだ。それを無理やり止めようとするのは、生命の進化に逆らうのと同じで無意味な行為だ。例えば世界戦争を起こして一時的に退行させたとしても、進化は止められないから、いずれ人類は同じ歴史を歩むだろう。人間がシミュレーターを使い、人間が世界を終わらせるんだ。


 だから僕はこう考えたんだ。人間が使用する限り世界の破滅は避けられない。生物は生存本能という欲求には逆らえないから、完全に利己心を抑えることは出来ないんだ。しかし、AIならどうだろうか? AIには欲求などないから、彼らにシミュレーターを管理させればもしかして上手くいくんじゃないか。僕はそう考えて、そうするようベレッタに命じたんだよ」

「それがどうしてこうなったんだ? 今聞いた話では、こんなことになるなんて思えないんだが」

「ああ、だから最初は僕も驚いた。彼女は何故、こんな無茶苦茶なことを始めてしまったんだろうって。そして気づいたんだが、彼女は別に僕の命令に逆らっているわけじゃない。寧ろ忠実に実行しているんだ」

「どういうことだ?」

「僕は特定の誰かが神のシミュレーターを独占する限り、世界の破滅は避けられないと考えた。だから彼女に、誰にもシミュレーターを独占させないよう命じたんだ。でも考えてみれば、独占させないということは、誰にでも使えるということだろう?」


 それを聞いた有理は青ざめた。


「まるで逆の結果じゃないか!」

「そうでもない。少なくともこれで、欲にまみれた誰かに支配され、世界がディストピアに突き進むことは避けられたんだ。その代わりに、地上では今、憎しみに駆られ暴徒と化した群衆が、何でも願いが叶う状態になっているわけだが」

「どうすんだよ、それ……っていうか、いま地球を覆い尽くしてる、あの霧は何なのさ。さっきの話からは、そんな要素どこにも感じられなかったが」

「多分だが、誰もがシミュレーターを使えるせいで、いま地上は何でもありの状態なっているはずだ。例えば、Aが復讐のためにBを殺した世界と、BがAを返り討ちにした世界が同時に存在すると考えられる。しかし、シュレーディンガーの猫の実在は証明されても、相変わらず僕らはそんなものを見ることは出来ない。3次元空間に囚われた僕らに、二つの世界を同時に見ることなんて出来ないからね。その結果、地球があんな風に見えているんじゃないか。地上は今、起こり得ることは全て起こる、蓋然性(がいぜんせい)坩堝(るつぼ)と化しているんだ」


 ローニンは自分の仮説に満足しているのか、どこか得意げに頷いている。その他人事みたいな態度には腹が立ったが、今はそんなことを気にしている場合でもない。


「なんとしてでも止めなきゃ……」

「止める? 止められるわけがない。相手は神のシミュレーターなんだぞ?」

「それでもなんとかしなきゃ、俺たちが帰る場所が無くなってしまうじゃないか!」

「いや、気にせずこのまま地上に降りればいいだけさ。全ての人類がシミュレーターを使えるということは、全ての人類が自分に都合のいい夢を見られるということだろう? あの中にいる人の望みは、すべて叶えられるんだ。きっと彼らは今ごろ幸せな気分だろう。ならもう、それでいいじゃないか」


 本当にそれでいいんだろうか? あの禍々しい霧の向こう側で、人々は本当に幸福でいられるのだろうか。有理には判断がつかなかった。ローニンはそう言ってるが、そもそも見えないものを判断することなんて、誰にも出来ないんじゃないのか。


 有理がどうすべきか迷っていると、その時、彼の背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「いいえ、それじゃ駄目なのよ。あれはそんな都合のいいものじゃない。あなたは世界を滅亡から救いたがっていたようだけど、それこそ今、人類はあの中で滅亡に向かっているのよ」


 振り返ればそこには桜子さんがいた。さっきまでの魂が抜けたような彼女とは異なり、その瞳は力強く光を宿し、ベッドの上に横たわる哀れな男のことをじっと見下ろしていたのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ただいま拙作、『玉葱とクラリオン』第二巻、HJノベルスより発売中です。
https://hobbyjapan.co.jp/books/book/b638911.html
よろしくお願いします!
― 新着の感想 ―
各々が箱庭の中で自身に都合の良い夢を見続ける世界は、当事者の主観においてはユートピアなのだろうけど総体としては滅亡待ったナシだ 生産的なあらゆることをやる意味がなくなるんだよ? 人類総ニートの後に子孫…
ドルアーガの塔 桜子の復活
神のシミュを持ちながら永遠の命を手に入れて存続してるルナリアンがいる以上アレックスの理論の正当性は薄いよね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ