本当にたまたまなんですか?
軌道エレベーターを上り詰めてついに辿り着いた宇宙港。そこでようやく桜子さんと再会できるかと思いきや、有理はやって来た警官隊に捕まってしまった。すっかり忘れていたが、彼は国際指名手配犯だったのだ。揉みくちゃにされながら自分の不幸を呪っていると、それを見ていたマナが気密服のヘルメットを叩きつけるような勢いで叫んだ。
「いい加減にしなさい! いつまでそんな詰まらないことを言ってるのよ!? あんた達にはあの地球の姿が見えないの?」
警官たちは、いきなり年端もいかないような彼女に怒鳴られて面食らっているようだった。確かに、冷静に考えればこの状況で国際手配も何も無い。しかし、自分たちにだって面子がある。
「お嬢ちゃん。例えどんな時であっても、職務に忠実でいなくてはいけないのが我々警察官なんだ。ちょっと黙りなさい」
「誰がお嬢ちゃんよ。ご立派なことを言ってるけど、あんたたちは単に権力者に尻尾を振ってるだけじゃないの。今はこんなことやってる場合じゃないでしょ。そんなことも分からないの」
「黙れと言っている。そういえば……君はこの男と一緒に来たってことは、彼の仲間ということだな? ならば君の身柄も拘束しなければならないな」
「まだ言うつもり……? やれるものならやってみなさい!」
マナが啖呵を切ると、風もないのに彼女の髪が靡いて、まるで炎のように赤く燃え上がった。そんな不思議な現象を目の当たりにして、さしもの警官隊も少々怯んでいるようだった。
しかし、彼らも王国の治安を預かる最後の盾である。気圧されてなるものかと胸を張ると、両者は睨み合ったまま一触即発の雰囲気になってきた。と、そんな時、
「ええい、控えい控えい! この印籠が目に入らぬか」
突然、一触即発の両者の間にウダブが飛び込んでいって、お約束な台詞を叫びながら何かを取り出してみせた。それは印籠ではなかったが、何やら化粧箱のようなもので、その表面には綺羅びやかな金箔の模様が浮かび上がっていた。さぞかし高いものに違いない。
「ここにおわすは、鳳麟帝国皇太子、マナ殿下であらせられるぞ!」
どうやらそれは、亡国の紋章のようだった。慣性のまま通り過ぎていく男の手に握られたその紋章を見て、警官たちがざわめき出した。ついでに怒り心頭だったマナの方も、僧侶の間抜けな姿にすっかり毒気を抜かれてしまったらしく、いつもの彼女に戻っていた。
ウダブはそのまま遠くの方へ飛んでいってしまい、警官たちはどうすべきか戸惑っているようだったが、すると有理たちと一緒にやって来た護衛の警備兵たちが前に出てきて、
「彼の言っていることは本当です。私たちは第一ステーションの司令から、天子様をお守りするよう言いつかって参りました。信じられないのであれば、ここに従業員IDがございますので、どうぞご照会ください」
そう言われた警官たちは、渡されたIDカードを照合して、彼らが第一ステーションから来た本物の従業員であると確認した。そして同じルナリアンであり、かつては隣国であった鳳麟帝国のやんごとなき方が、第一ステーションにいるという噂くらいは聞いていたので、信じるしかなくなったが、
「しかし、この男が国際指名手配されているのもまた事実。見過ごすわけにもいかないのですが」
それでも警官たちは職務を全うすべきじゃないかと迷っていたが、
「彼の身許については我々が保証します。鳳麟帝国皇后の名に免じて、この場は預けていただけませんか」
そうまで言われては逆らうわけにもいかず、彼らは有理の拘束を解いた。押さえつけられていた有理はゴホゴホ咳き込みながら立ち上がると、
「いいんですか?」
「彼らがそう言うのであれば仕方あるまい。それに……そちらの天子様の言う通りだ。地球があんな事になっているというのに、人間同士が詰まらない諍いをしている場合じゃないだろう」
そして彼は思い出したように有理の顔を見ながら、
「そう言えば、君はフィエーリカ殿下に会いたがっていたな。殿下が自室軟禁されていたのは、君との接触を断つためだと聞いている。何があったか知らないが、本音を言えばこんなやり方は気に食わなかったんだ」
「ああ、やっぱり桜子さん、家族の人に止められてたんですね。ずっと連絡がつかなくて心配していたんですよ。元気にしてるならいいんですが」
「それが、あまり元気とも言えないんだよ……」
「元気じゃない……? そう言えばさっき、救護室にいるとか言ってましたが」
「移動しながら話そう。案内するからついてきなさい」
そう言ってその警官は、有理たちを先導するように船内を移動し始めた。
***
発着場のだだっ広い空間から船内に入ると、狭い通路のあちこちに歩哨が立っていて、隅々まで漏らさぬ警戒体制が敷かれていた。聞くところによれば、モンスターはいきなり煙のように沸いて出るらしく、監視を怠れないのだそうだ。因みに同じ場所で倒し続けていると沸き自体は減っていくらしく、なんだか話を聞いているだけでも、あのセピアの世界を思い出す。マナも言っていたように、また気づかぬうちに別の世界に移動してしまったのだろうか。
因みに船内はとにかく広いから、安全地帯はまだそんなに多くないらしい。どうやらモンスターは船の中心に行くほど増えていくようで、解放されているのはまだ外周の辺りだけだそうである。
船内は無重力だが、無重力ゆえに一方通行が徹底されていて、上下逆さまに歩いているような人もまったく見かけなかった。きっと自由にすると衝突の恐れがあるからで、通路がやけに狭いのもその対策のようだった。
壁から突起のように突き出しているリフトを掴んで移動するから、体力をまったく使わなくて楽だが、めちゃくちゃ入り組んでいて迷いそうだった。ただ、実際には床や壁には病院みたいなカラフルなラインが引かれており、目的地にはそれを伝っていけば済むので迷子の心配はないようだ。
暫く進むと救護所を指すラインも出てきた。聞けば桜子さんはそこに担ぎ込まれたそうだが、一体、何があったのかと尋ねると、警察官は彼女が発見された時のことを話してくれた。
「今から1日くらい前だろうか。船内にあった、ありとあらゆるディスプレイに突然、金髪ツインテールの奇妙なキャラクターが表示されたかと思ったら、その直後、アリアドネーが急発進したんだ。
どうやったのか知らないが、それはもう物凄い急加速で、壁に叩きつけられた者は、ルナリアンであっても大怪我するほどだった。船内はもうシッチャカメッチャカで、我々警官隊も怪我人の救助に追われた。中央管制室がハッキングされたと大騒ぎしていて、外部との連絡も取れず、暫くはパニックが続いたよ。
そんな時、我々はようやく自室軟禁されているフィエーリカ様のことを思い出したんだ。誰も様子を見に行っていないが、この騒ぎで怪我をなされているかも知れない。それで慌てて見に行ったのだが、部屋に入ると、フィエーリカ様は傷を負われてはいなかったのだが、どうも様子がおかしくなっていて……」
「様子がおかしいとは?」
「それは、見ればすぐ分かる」
救護所のドアをくぐると、まるで野戦病院みたいな光景が広がっていた。その急発進のせいで許容量を超える怪我人が運び込まれたみたいで、スペースさえ有れば空中にでもカプセルベッドが置かれて、医者や看護師がその間を縫うように飛び回っていた。
桜子さんは王族だから、この救護所の中でも一番とびきりの個室に運び込まれたらしく、邪魔にならないように壁際を低く飛びながら個室に向かえば、そこには無重力空間なのに四足の木製ベッドが置かれており、彼女はその上の布団に包まれ、固定されるかのように横たわっていた。
大丈夫かな? と近づいていった有理は、彼女の様子を見てなるほどと思った。案内してくれた警官の言ってた通り、彼女の様子は明らかにおかしかった。彼女は横たわってはいたが眠ってはおらず、その目は開かれていて、じっと天井を見上げていた。しかし、おそらくその瞳は何も映し出してはいないだろう。まるで死んだ魚みたいに濁って見え、そして口もぽかんと開いていた。完全に放心状態だ。
「発見された時からずっとこのままで、いくら話しかけても反応がない。何が起きたか原因不明で、医者もさじを投げている状態だ。何しろ、救護所がこの騒ぎだからな。いくら王族とはいえ、彼女にばかり構っていられないというのが本音だろう」
「他に同じような症状の人はいるんですか?」
「いや、フィエーリカ様だけだ。何故こんなことになってしまったのか……」
警官は本当に悔しそうに呟いている。有理は腕組みして彼女を見下ろしながら、
「桜子さんだけってのは妙ですね。こうなる切っ掛けがあったんだろうけど……発見された時の部屋の様子はどうでしたか? 何か変わったことはなかったんでしょうか」
「いや、特に普段と変わりなかった。軟禁されていたから部屋には鍵も掛かっていて、外部から誰かが侵入した形跡もない……いや、違うな。侵入はなかったが、部屋には既に外部の人間が入り込んでいたんだ。発見された時、その彼の方がよっぽど重体で、何かやれたとは思えなかったんだが」
「別の人が……? 桜子さんは誰かと会っていたんですか」
「ああ、会っていたというか。実は直前に通信障害が起きていて、その復旧のために電気屋が呼ばれていたんだ。彼はフィエーリカ様の部屋の配線を見に行って、たまたま事故に遭遇したらしい」
「たまたま……? 本当にたまたまなんですか?」
桜子さんがずっと軟禁状態だったなら、このタイミングで誰かが部屋にいるなんてどう考えてもおかしいだろう。有理が念を押すと、警官は少し考え込むように、
「ただの地球人に、フィエーリカ様をどうこう出来るとは思えない。だから関係ないと思っていたのだが……」
「その人に会うことって出来ます?」
「いいだろう。すぐ会いに行こう」
桜子さんと一緒に発見されたのだから、その容疑者も同じ救護所に運び込まれているようだった。ただ、運ばれてきた時、彼は全身の複数個所に骨折を負っていて、医者に止められまだ詳しい事情聴取はしていなかったようだ。その後、船内にモンスターが出現し、外部とも連絡が取れず、地球があんなことになり、続けざまに色々あってそれどころじゃなくなってしまったのもあるだろう。
その電気屋がルナリアンではなく地球人だというのも、彼のことを疑わなかった理由の一つだった。ただの人間に、こんな大惨事が起こせるなんて、普通は想像すら出来ないだろう。だが、有理はその男に会った瞬間、全てのパズルのピースがはまったような、そんな衝撃を受けた。
警官が忙しそうにしている看護師を捕まえ、男が何処にいるか尋ねると、看護師は面倒くさそうにしながら手元の端末を使って案内してくれた。人でごった返す大病棟を、文字通り空を飛んでいき、まだ長時間の面会は出来ないという医者の立会のもと、その男の前に立った有理は、何が起きたのかを瞬時に察した。
そこに居たのは、アレックス・ローニンだった。かの有名な世界一の大富豪が、一介の電気技師のふりをして、そこに横たわっていたのである。




