僕でお役に立てるなら
家族会議によって自室に監禁されてしまった桜子さんは、なんとかして有理と連絡する方法を探していた。そんな時に宇宙港で通信障害が起きたらしく、電気屋が桜子さんの部屋の点検をさせてくれと言ってきたので、これ幸いと招き入れれば、やって来た作業員は名刺を差し出しミハイロビッチと名乗った。
「ミハイロビッチさん……どこかでお会いしたことがあったかしら?」
桜子さんはその男の顔に見覚えがあるような気がしたが、名前の方には聞き覚えがなかった。
「いいえ、初対面のはずですが。もしかすると、どこかですれ違ったくらいはあるかも知れません。ここへは何度も出入りしていますから」
「そう……なら気のせいかも」
桜子さんは自分の意見を引っ込めた。しかし、言うまでもなくそれは彼女の記憶違いではなかった。もしも目の前の男がミハイロビッチではなく、アレックス・ローニンと名乗っていたら、彼女は世界一の大富豪の顔を思い出していたかも知れない。
だが今、作業着を着て工具箱を抱えている彼を見ても、桜子さんは気づくことが出来なかった。彼女はなんとなくしっくりこない気持ちを抱えたまま、やって来た作業員に尋ねた。
「それで、電気屋さん。なにかトラブルがあったんですって? 私の部屋を調べたいそうだけど」
「はい。実は障害の復旧作業をしていたところ、どうも宇宙港の中でもこの部屋の使用電力だけが飛び抜けていることに気づきまして。漏電でも起きてないか確かめた方が良いだろうと、こうして伺ったのですが……」
ローニンはチラチラと部屋の隅に鎮座しているサーバーに目をやった。桜子さんはそれを見るなり、有理がブレーカーを落とした時のことを思い出し、
「ああ~……もしかするとこれのせいかも知れない。ちょっと事情があってここに置かせて貰ってるんだけど、確かとんでもない電気食いなのよね」
「なるほど、これでしたか」
「止めたほうがいいのかしら?」
「いえ、漏電でないなら構いません。あくまで障害がないか確かめに来ただけですから。それにしても、凄い機械ですね。一応、点検させてもらっても良いですか?」
「ええ、いいわよ」
「では失礼して……これは凄い! 核兵器の弾道計算でもするつもりですか?」
許可を得たローニンは、モニターに齧り付くようにしてキーボードをカチャカチャやりながら、感心したように何度もため息を吐いている。漏電のチェックと言うよりは、このサーバー自体に興味がありそうな感じである。桜子さんは彼のそんな姿を見て、さっき思いついたことを相談してみるのはどうかと思い、
「ちょっといいかしら? あんたってパソコンには詳しいほう?」
「ええ、大学では専門で学びましたから」
「それは好都合ね。なら、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いいかしら」
「僕でお役に立てるなら」
桜子さんは有り難いと安堵のため息を吐くと、
「実はそれはとあるAIを稼働するために用意したものなのよ。開発者は、この宇宙港にある量子コンピューターを利用していたはずなんだけど」
「これで生成AIをですか? へえ……これだけのマシンならきっと凄いことが出来そうですね」
「そうなのよ。それでなんとか動かしたいんだけど、私じゃちんぷんかんぷんでね。あなたならそのAIを動かすことは出来るかしら?」
「ふーむ……生成AIならうちが開発したのがあって、すぐお使い出来るように手配も出来ますが?」
ローニンの提案に、桜子さんはぶんぶん首を振って、
「それじゃ駄目なのよ。私にはあくまでこの子が必要なの。既に必要なデータは揃っていて、あとは稼働させるだけで済むはずなんだけど……やり方が分からなくって」
「なるほど……わかりました。なら、サーバーの中をもう少し詳しく調べる必要がありますから、少々お時間をいただけますか?」
「ええ、お願いするわ」
桜子さんがOKすると、ローニンは持ってきたカバンからノートパソコンを取り出し、サーバーに繋いで何やらカチャカチャやりだした。サーバーとノーパソのキーボードを交互に操作しながら、真剣な表情でモニターを見つめる彼の姿は腕利きのハッカーに見えたが、実際のところ、桜子さんには何をやっているか分からなかったから、もしかして壊してしまったりしないだろうかと不安に思っていると、
「……この、メリッサってプログラムを動かせばいいんですね?」
「そう! それよ!」
彼の口から説明もしていないメリッサの名前が出てきてホッとした。どうやら、この男はちゃんと分かってて作業してくれてるようだ。桜子さんは安心すると、リラックスして彼の作業を見守ることにした。なにか手伝えることがあればいいのだが、残念ながら自分ではかえって足手まといになるだけだろう。
そんな風に無言のまま作業を見続けていると、やがてローニンが誰ともなしに呟くように話しかけてきた。
「……このAIはよほど大事にされていたようですね。いつでもバックアップ出来るよう、あらゆるデータが保護されている。プログラムを起動したら、すぐまたいつも通り動き始めることでしょう」
「え? ええ、そうね。そのはずよ」
そりゃ機械なんだからそうだろう。桜子さんはそう思ったが、作業を頼んだ手前、黙っていた。
「人間と違って、機械はこうして記憶を永久に保存できるから羨ましいですよ。それに対して、人間の記憶の如何にいい加減なことか……知ってます? 老人が昔を懐かしがるのは、実際には殆どがその場の思いつきなんだそうですよ」
「……そうなの?」
「ええ。自分の脳に刻まれている色々な記憶の断片を繋げて、ただそれっぽいストーリーをその場で作り出してるだけなんだそうですよ。もちろん全部が全部ウソじゃありませんが、かなり曖昧だそうです。どうもそうらしいって、科学が発達して脳の動きが解明されてきたら、見えてきたみたいです。考えても見ればそうですよね。我々はいつも現状に不満を抱えているくせに、何故か昔は良かった昔は良かったと言い続けてるんだから」
作業の合間の暇つぶしのつもりだろうか、ローニンはそんなことを呟いている。桜子さんは、なんで急にそんなことを言いだしたのか、おかしなやつだなと思いはしたが、その話に乗ることにした。
「あなたの言う通りかもね。実際、私は長生きだからそれを実感することがあるわ。ほら、私たちは不死と言われているでしょう。でも本当にそうなのかは誰にも分からないの。何故って、私たちは誰も老衰で死んだ人を見たことがないからよ。いえ、もしかしたら、あるのかも知れない。でも誰も覚えてないから分からないってのが本当のとこなの。
ルナリアンは不死だから、まるで永久になんでも覚えていると思われがちだけど、実際には私たちは何百年も前のことなんて、何も覚えてはいないのよ。覚えてるのはせいぜいここ数十年くらいのことだけだわ。人によっては、もっと短いかも知れない。細かいことなんて、それこそ毎日忘れちゃう。あまりにも忘れっぽいから、そのせいで友達が離れていくなんてこともあるくらいよ……」
桜子さんはどこかアンニュイな表情で、何も無い虚空を見つめている。ローニンはそんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、淡々と目の前の作業をしながら話し続けた。
「仰る通り、それが当たり前なんですよ。人間が生物である限り、脳の記憶容量には限界がある。今はどんなに長くても100年くらいしか生きられないから、使い切ることがなくてそれに気付けないんです。でも、このまま技術が進んでいったらどうなるでしょうか。医療技術が発達して寿命が延びれば?
20世紀頃から私たちの科学は急激に発達してきて、それに伴い寿命も伸びてきた。そのお陰で長生き出来るようになりましたが、同時にこの高度な社会に適応するために、学習しなくてはならないことも増えてしまった。今でもパンクしそうですけど、このまま科学が発達し続けていけば、更に覚えなくてはいけないことが増えていって、やがて人類は脳の記憶容量の少なさに悩まされるようになっていくでしょう。
じゃあ、そうなった時、私たちは記憶を諦めるのかと言えば、そうはならないでしょう。脳内に記憶するのには限界があるかも知れないが、脳の外ならそれはない。やがて我々は外部の記憶装置に自分の記憶を保存するようになって、必要に応じてそれを取り出すように進化するのではないでしょうか。
実は今がその過渡期なんじゃないかと言われてもいます。世界中の人々が、毎日せっせとSNSに書き込んでるのは、その前触れではないかと。我々は生物としての遺伝子を捨て去り、情報遺伝子によって進化する生物へと変貌を遂げようとしているのかも知れない。
そしてこうも思うんです。不死と言われるルナリアンは、実はそうして進化した人類の成れの果てだったのではないかと」
淡々と紡がれるローニンのつぶやきはここに至った。桜子さんはそれを聞いて、なるほどなと思った。と同時に、そんな話をいつかどこかで聞いたことがあるなと思った。それは彼の言うその場の思いつきではなく、せいぜい20年くらい前の確かな記憶だった。彼女は言った。
「あんたみたいなことを言う人に、私は心当たりがあるわ。良かったら今度紹介してあげましょうか?」
「徃見教授ですか?」
するとローニンから間髪入れずにその答えがかえってきて、彼女は言葉に詰まった。もしかして彼は、二人の関係を知っていてこんなことを言ったのだろうか。桜子さんが黙っていると彼は続けて、
「その通り、これは彼の受け売りです。ルナリアンは、実は地球文明よりもずっと高度な社会を築いていたのではないか。我々の科学ではまだ解明することが出来ない魔法という力。そして不死と言われる肉体。これらの事実が、あなた方の優位性を示している」
しかし桜子さんは馬鹿らしいと首を振って、
「面白い仮説だとは思うわ。でも、それなら何故、私たちルナリアンは地球文明に敗れたのよ。あなた達の言う通り、私たちの方が優れてるなら、やられる道理なんてなかったんじゃない?」
「それは、あなた方が記憶を置き忘れて来たからですよ」
「記憶……? 私たちの記憶がどこにあるっていうのよ」
「もちろん、月ですよ」
月……? その言葉を聞いた瞬間、桜子さんは何故か急に目眩を覚えた。急激に目の前が薄暗くなってきて、クラクラと視界が揺れ始める。彼女は何かに掴まろうと手を伸ばしたが、無重力ではどうとも出来ず、その手は空を切った。そんな彼女のことなどお構い無しに、ローニンは淡々と話し続けた。




