世界の敵
「ただシミュレーターを弄っていただけで大衝突が起きた……だと? なんでそんなことになるんだ?」
大統領の話をなんとか理解しようとして、それまで黙って聞いていた張偉は、しかしその荒唐無稽な話には流石に口を挟まずにいられなかった。話の流れからしても、シミュレーターと大衝突がどう繋がるのか、飛躍しすぎていて意味がわからないのだ。
もしかして、途中の話をすっ飛ばしてしまったのだろうか。それとも、大統領は気でも触れてしまったのだろうか……? 張偉が戸惑っていると、しかし大統領の方は落ち着いた様子で、
「混乱するのも無理はない。私だってもう少し上手く説明が出来たらと思うさ。だが実際のところ、これ以上正確な描写もないのだ。事実は今言った通り、科学者たちはシミュレーターが弾き出してきた、二つの世界を衝突させるという馬鹿げた提案を、実行するようAIに命じたのだ。すると本当に大衝突が起きてしまったのだ」
「いくらなんでも、そんな話、到底信じられないのだが」
「だろうな。ところで君たちの……物部有理が開発したAIはなんといったか?」
「……メリッサですか?」
「ならばこう考えてくれ。例えば君は今、世界征服を企んでいるとする。でも方法が分からないから、メリッサに聞いたのだ。世界征服したいんだけど、どうすればいい? すると聡い彼女はすぐにその方法を見つけ出してくるだろう。その答えに君は満足しなかったが、まあ試しにやってみろと彼女に命じたらどうなると思う?」
「ちょっと待ってくれ! いや、待ってください……」
張偉は動揺するかのように慌てて自分の腕を振り回し、大統領の言葉を遮った。実際、彼は激しく動揺していた。何故なら、大統領のその言葉を聞いた瞬間、彼は一瞬にして何もかも理解できるような気がしてしまったからだ。
確かに大統領の言う通り、メリッサなら頼めばどんな問題でも解決してくれるだろう。例えそれがドラゴン退治のような荒唐無稽な話でも、彼女ならなんらかの方法で解決策を見つけてきてくれるのではないか……実際、それに近いことが最近、現実に起きていた。張偉はその荒唐無稽な話の中で、現実離れした力を手に入れてさえいた。
でも、本当にそうなのか? 二つの世界が衝突するなんて、そんなことが出来るのだろうか……張偉が頼んでも駄目かも知れない。でも、有理だったらもしかして……
困惑を隠しきれない張偉に向かって、大統領は淡々と続けた。
「元々、20世紀末に科学者たちが発見した事実によれば、もしかするとこの世界は、誰かが実行したシミュレーションであるかも知れないらしいのだ。我々のこの体も、その辺に転がってる石も、空に浮かぶ太陽も、あらゆる物質は全て、宇宙の外側に記述された情報を元に再現されただけの、ただのホログラムみたいなものなのだそうだ。
量子論を突き詰めていくと、そういう結論に至るらしい。量子というものが、詰まる所、物質を数値に置き換えて計算しようとして考え出されたものなのだから、そうなのかも知れないな。
この説の唯一の難点は、量子というものは不確定性原理に捕らわれていて、正確な予測が不可能ということだった。観測する度に結果が変わってしまうのであれば、そんなものをシミュレートしても意味なんかないだろう。だが、既存のコンピューターでは計算不能だったその難点も、量子自体をコンピューターとして計算すれば克服できると考えられていた。つまり量子コンピューターがあれば、現実の物質世界そのものを、コンピューター上で再現することは可能だというわけだ。
50年前、科学者たちは何の因果かその量子コンピューターを使って、現実世界をシミュレートしようとしていた。元々は経済モデルを走らせるつもりが、それでは上手くいかなかったから、現実とそっくりな世界をコンピューター上に丸ごとコピーしようと考えたわけだ。普通なら経済問題を解決するためだけに、そんな大掛かりな装置は必要無かっただろうが、たまたま世界最高の頭脳が集まり、潤沢な資金もあったから、そんな力技が出来てしまったのだろう。
科学者たちは初期のアルゴリズム開発と、必要な機材を揃えたら、後のことは全部AIにやらせた。その方が効率がよかったからだが、人間の手を離れた時点で、彼らはコンピューター内で何が起こっているのか、十分に理解することは出来なくなった。だがAIが理解していればそれで問題なかった。彼らに必要なのは計算の結果であって、過程は必要無かったからだ。
そして素晴らしいシミュレーターが完成した。そのシミュレーターを使って現実問題を予測したら、百発百中で解決するという優れモノだ。
そう……百発百中だったのだよ。シミュレーターが出してきた答えは、その後必ず現実世界でも再現された。それを彼らはシミュレーターが優秀だからと考えたわけだが、実際にはそうじゃなかった。シミュレーターは、計算をすることによって世界を書き換えていたのだ」
「書き換えた?」
「最初に言っただろう。この世界は誰かが実行したシミュレーションかも知れないのだ。量子論は、この物質世界をコンピューター上に再現することが可能であると証明した。ならばもし、誰かがこの世界と寸分違わぬシミュレーション世界を、コンピューター上に再現したらどうなると思う。
もう一度言おう、この世界はシミュレーションかも知れないのだ。すると、この現実世界とシミュレーション世界は、条件的には何も変わらないじゃないか。現実で起こることはシミュレーション世界でも必ず起こる、そしてその逆も然りというわけだ。
AIがシミュレーション世界に与えた影響は、この現実世界にも影響を与える。もしもAIがシミュレーション世界を滅茶苦茶に壊してしまえば、この世界もまた壊れてしまうだろう」
「そんな、馬鹿な話が……」
大統領は張偉に最期まで言わせず、吐き捨てるように言った。
「その馬鹿げたことが50年前に起きたのだよ」
そのお陰で当初の目的通り、アメリカは中国を封じ込めることに成功した。しかし、それを喜ぶ者など一人もいなかった。
二つの世界が衝突したことによって、世界は大混乱に陥った。世界各地で異世界間の戦争が勃発し、そしてシミュレーターが予想した通り、その被害が一番大きかったのは中国だった。彼の地では両世界併せて数億もの人間が犠牲となり、世界第二位の経済大国はこうして再起不能にまで落ちぶれることとなったのだ。
これがいま歴史の教科書に書かれている通り、偶然に起きた不幸な事故であったのならまだ良かっただろう。だが、真実を知るものからすれば、これは人為的に起こされたジェノサイドだった。それも最悪と言われた20世紀の戦争すら比べ物にならないくらいの、大量殺戮である。
もしもこのことが世間にバレたら何が起きるだろうか。それを恐れた大統領とその側近たちは、すぐに関係者たちを粛清して回った。彼のために力を貸してくれた科学者たちが次々と犠牲となり、国のためにと彼らを派遣した企業も次々と謎の業績不振に見舞われて没落していった。
本当ならいくら大統領とはいえ、そんな都合良く企業を潰すことなど出来なかっただろう。だが今、彼の手元にはそれを実現するための力があった。こんな物騒なものは、全てを終えたら封印しなければならなかったろうが、言わずもがな、人間は一度手に入れた力はおいそれと手放せなくなるものだ。
それ以来、世界は彼らに都合のいいように書き換えられてきたのだ。
「そのシミュレーターはまだ誰かに利用されてると言うんですか?」
「その通りだ。これも最初に話した通り、私の一期目に起きた不思議な現象がそれを証明している。連中にとって、私の当選は想定外だったのだろう。だから何が何でも失脚させようとして躍起になったわけだ」
「しかし、それはおかしくないですか。連中がそのシミュレーターを持っているなら、そもそもあなたが当選することも無かったはずだ」
大統領はその通りだと頷いて、
「それは私にとっても最大の謎で、最近までその理由が分からなかった。だが奴らはついに尻尾を出した。君は去年、中国の奥地で異世界人の皇帝が輪廻転生したという話を知ってるだろうか」
まさかこんなところでその話が出るとは思わず、張偉は目を丸くした。彼は動揺しながらも、
「もちろん知っています。俺もその一人かも知れないと言われていて、危うく殺されかけたんです」
「そうか。君は張敏の息子でもあったな……要は、連中は20年前に生まれた異世界人との混血を探していたのだ。私が大統領に当選したのも丁度20年前……そう考えれば、ある程度予想もつくだろう。
どうやら20年前に誰かが誕生したことによって、シミュレーターに不具合が生じたのだ。連中はその原因が異世界人の魔法にあると考えた。それで20年前に生まれた混血児を、片っ端から殺して回っていたわけだ」
「そんな無茶苦茶な……」
「去年、私が再選を果たしたことで、そうせざるを得なくなったのだろう。今、私がこうして生きていられることからも想像出来るが、きっと連中は今シミュレーターが使えないんだ。だから復讐を恐れて、何としてでも力を取り戻そうと慌てだしたのさ。お陰で何人かは、その正体を突き止めることが出来たんだがね」
大統領は鼻息荒くそう言い捨てると、今度は逆にひそひそ話をするかのようにぐっと顔を近づけてきて、
「捕まえた奴らを絞り上げることで、連中の狙いが分かった。連中はただ異世界人の混血を探していたわけじゃない。どうも『ユーリ』という名前の子供を探していたようなのだ」
「ユーリ……まさか!?」
「そのまさかだ。いや、まさかそれが生粋の地球人だとは誰も想像していなかっただろうが。今年、史上最強の魔法適正値を叩き出した、ユーリという名前の男が現れた。だから、連中は彼を始末しようとしたんだろうな。だが失敗した。あとは君も知っての通りだ」
大統領は近づけていた顔をゆっくり引くと、姿勢を正して改めるように言った。
「いま話した通り、世界は現在、彼を中心に動いている。私は、彼を連中の魔の手から保護したい……
いや、はっきりと言ってしまえば、この世界を私物化している連中を……世界の敵を倒すために利用したいと考えているのだ。そこで君にお願いだ。どうか、彼の友人である君から彼に、私に手を貸してくれるよう頼んではくれないか」




