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お寛ぎのところ失礼します

 役員室の扉に貼り付けられていたメモには、張偉が一人で指定した場所に来るように、との指示が書かれてあった。普通に考えれば、こんな罠みたいな誘いに乗るわけには行かなかったが、差出人の名前が引っかかった。それはメモが貼り付けられていた部屋の主であり、張偉の叔父に当たる人物だったからだ。


 たった一枚のメモ書きだけで、本当に叔父が呼んでいると断定するのも難しかったが、ただその内容から少なくとも、このメモを貼り付けた人物はオフィスに張偉が潜んでいることを知っていたと考えられた。誰にも気づかれていないつもりだったが、自分たちはどうやら泳がされていたらしい。三人はそれに気づくと家探しを中断して、慌ててビルから外へ出た。


 天穹のビルの外には相変わらずFBIだか何だか分からない黒服がうろついていたが、黒の不可視の魔法がちゃんと効いてるお陰か、追いかけられることはなかった。三人は車まで取って返すと、モーテルには戻らずにそのまま街を出て、暫く砂漠のハイウェイを道なりに飛ばした。


 小一時間ほどそうやって流してみたものの、追跡されている気配はなかった。どうやら、あのメモを貼り付けた人物は、彼らに危害を加えるつもりはないと考えて良さそうである。となると今度は、差出人が本当に張偉の叔父であるかどうかが気になってくる。


「どうするつもりだ?」


 暗い砂漠のハイウェイを飛ばしていると、後部座席から黒が訊いてきた。助手席に座っていた張偉は少し考えてから、


「俺は指示された通り、その場所に行くべきだと思う」

「でも一人では危険じゃありませんか?」


 その決断に、運転席の青葉がすかさず止めてきたが、


「いや、虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。ここは敵のホームグラウンドなんだから、大統領を出し抜くには、よほど覚悟を決めなきゃならないだろう」

「かも知れませんが、呼び出しの理由も良く分かっていないんですよ? 案外、探るのはやめろという警告のつもりなのかも知れません」

「でも、差出人が叔父であるなら、少なくともあのオフィスで何が起きたのかを聞くことは出来るだろう。それだけでも十分な収穫と言えないか?」

「そう……ですねえ……」


 このままでは何の収穫もなく日本に帰らざるを得なくなる。有理の指名手配はもちろん取り下げられないだろうし、桜子さんの立場も危ういままで、青葉としても出来ればなんでもいいから情報が欲しいところであった。


 彼女が黙っていると、黒が言った。


「俺が一緒について行ってやろうか? 俺が能力を使えば、相手に気づかれず忍んでいることも出来るだろうよ」

「いや、こうして気づかれている以上、相手にこっちの手の内がバレてるのは間違いない。それに、一人の方がいざと言うとき対処もしやすい。最悪、空を飛んで逃げればいいんだからな」

「なるほど。それもそうですね。空飛ぶ人間なんて、あっちからすれば一番追跡がし難いでしょうから、案外、適任なのかも知れません。では、頼めますか?」

「ああ、任せてくれ」


 方針が決まると、一行はまた新しい安モーテルを探して入った。既に深夜に近い時間帯だったがチェックインを済ませると、張偉は一人単独で外に出て、そのまま月明かりを避けるように移動した彼は、誰にも見られていないことを確認してから空へと飛び上がった。


 メモの指定場所は、天穹のオフィスがある街から少し離れた別の街のホテルだった。目的地のすぐ隣に空港があったため、土地勘がなくてもすぐ見つけることが出来た。張偉は暫くのあいだ上空で様子を確かめた後、少し離れた人気のない場所に着地すると、警戒しながらホテルへと歩いて向かった。


 ホテルはこんな何も無い土地に不釣り合いなほど豪華で、特にカジノなどが有るわけでもなく、何故こんな場所に建てられているのか不思議でしょうがなかった。実際、ここを利用する人々はよっぽど特殊な事情がある人種ばかりなのだろう。玄関前に停まっている黒塗りの車の数からそれを察した。


 ドアボーイが開けてくれた自動ドアをくぐって行くと、深夜にも係わらずフロントにちゃんと人が居て、張偉を見るなり恭しくお辞儀してきた。どう見ても待ち構えていたらしきそのフロントマンに近づいていくと、横からベルボーイがやって来て、どうぞこちらへと案内してくれた。


 鬼が出るか蛇が出るか。緊張しながら男の後についていくと、通路の先のエレベーターホールに行き当たった。賓客が疲れないようにとの配慮だろうか、こんな場所にも関わらず豪勢なシャンデリアが吊り下げられ、床にはペルシャ絨毯が敷かれて、壁際にはふかふかのソファまで置いてあった。もうここがロビーで良いんじゃないかとその豪華な部屋を眺めていると、張偉はソファに見知った人物が座っていることに気がついた。


「チャンウェイ、来たね」


 それはメモが貼られていた役員室の主『張星』で間違いなかった。一族はとにかく人数が多くて、父の弟と言えども冠婚葬祭くらいでしか会うことがなかったが、流石に顔くらいは覚えていた。


「叔父さん!? てっきり俺を呼び出す口実に使われたのかと思ったが、本当に叔父さんが俺を呼んでいたのか……?」


 張偉がそれでも警戒しながら叔父に近づいていくと、彼はソファからゆっくり立ち上がりながら歓迎するように握手を求めてきて、


「兄さんが死んだあと、本家からこっちを任されててね。私はゲームのことはさっぱりだから、まあ役員とは名ばかりで、あのオフィスには殆ど顔も見せたことがないんだが」

「その叔父さんが、どうして俺がアメリカに居ることを知っているんだ? いや、それより、どうして俺を呼び出した?」

「呼び出したのは私じゃないよ。私はただの……そう、仲介役だ。君にはこれから会って欲しい人がいるんだ」

「会って欲しい……? 一体、誰のことだ?」


 張偉が一向に警戒を解かないので、叔父は差し出した手を引っ込めてから言った。


「会えば分かるよ。ついて来なさい」


 その言葉と同時にエレベーターの到着音が鳴り響いた。


 エレベーターに乗ったあとは、二人はもう会話を交わすこともなく、黙って文字盤を見上げていた。最上階に到着するとドアが開いて、その先にもベルボーイが恭しくお辞儀しながら待っており、二人が降りるなりこちらですと言って先導し始めた。


 最上階の通路は何故か人でごった返していて、そこここの曲がり角やドアの前に、黒服に黒いサングラスの明らかに堅気じゃない男たちが立っており、通り過ぎる張偉のことを値踏みするように眺めていた。その胸元が膨らんで見えるのは、おそらくそこに拳銃が吊り下げられているからだろう。この至近距離で撃たれたら、今の張偉がスーパーマンでも助からないだろう。


 そんなことを考えながら、通路の様子を窺いつつ歩いていくと、目的地に到着したらしく、黒服がガッチリと塞いでいるドアの前でベルボーイがまた恭しくお辞儀したあと、来た道を戻っていった。それを見届けてから、入口を守っていた黒服がドアを開ける。


 部屋に入るとそこはホテルのスイートルームで、そのロビーに当たる部屋にもまた黒服たちが大勢詰めていた。ここまで来るともう、相手はそんじょそこらのマフィアじゃないのは間違いなかった。


 一体、誰が出てくるというのか……これは、いざという時の逃走経路も考えておいた方が良いかも知れない。ここからなら窓から外に飛び出すのが一番だろうか。


 そんなことを考えながら黒服たちの横を通り過ぎて豪奢なドアをくぐり抜け、続きのリビングルームに入って行くと、こっちに背を向けてソファで寛いでいる老齢の男が見えた。


 あれが張偉を呼び出した男だろうか? その背中を凝視していると、それまでずっと隣を黙って歩き続けてきた叔父が、少し震えるような声で、こんな言葉を口走った。


「お寛ぎのところ失礼します、大統領。ご希望通り甥を連れてまいりました」


 張偉はその言葉にぎょっとし、目を見開いた。


 今、叔父はなんて言った? あまりに想定外な言葉に動揺して思考が麻痺し、彼は完全にフリーズ状態に陥っていた。いざとなったら逃げ出すどころか、今なら小さな子供だって彼を殺すのは容易いだろう。


 そんな張偉が固まってる目の前で、ソファの男がゆっくり立ち上がると、くるりと軽快に振り返り、外国人特有の大袈裟な身振りで歓迎の意を示すかのように両手を差し伸べてきた。


「おお、君がチャンウェイか! 良く来てくれた。こんな夜更けに、いきなり呼び出して悪かったね。何しろこの身分だから、中々自由が効かないんだ。さあさあ、そんなところで立ち話もなんだから、こっちに来て座ってくれたまえ!」


 そのビリビリと鼓膜を震わすようなバリトンは、テレビで何度も見た人のそれだった。歴戦の老兵のような眼差しも、歳の割にしゃんと伸びた背筋も、テレビで見たものと寸分違わず同じだった。


 もしこれが夢でないなら、いま張偉の目の前に、アメリカ合衆国第60代大統領マグナム・スミスが立っていた。張偉に好意の目を向けて、実に嬉しそうに手を差し伸べて。


 そんな有名人の歓迎ぶりに、張偉も思わず自分の顔が綻んでいることに気がついた。別に嬉しくもないはずが、自分が完全にミーハーみたいに目を輝かせていることに驚いた彼は、ハッと気を引き締めた。


 目の前の男は確かに世界一の有名人ではあるが、自分の友人を殺そうとしている張本人でもあるのだ。そんな男に尻尾を振るわけにはいかない。そうやって張偉が警戒していると、大統領もその空気を察したのか、


「そんなに警戒しないでくれ。誰も取って食おうとしてるわけじゃないんだ。そうだ、飲み物なんかどうだ。ここには様々なビンテージワインが取り揃えられている。良ければ私が選んでやろう」

「……チャンウェイ」


 大統領は気さくにワインを勧めてくる。張偉がどう返事しようか迷っていると、隣の叔父が小さな声で彼の名前を呼んだ。叔父の顔を横目で見れば、額にびっしりと汗をかいて実に気まずそうだった。これ以上、大統領に失礼なことはしないでくれと、顔に書いてあるようだ。


 張偉はその顔を見て、仕方なくほんの少しだけ警戒を解いた。


「いいえ、大統領。自分はまだ未成年なので、酒は飲めません。よろしければ、別のものをいただけませんか」

「ん、そうか。別に私は構わないのだが、そういうことなら仕方ないな。君は父親そっくりで固い男だな」

「……父をご存知なのですか?」


 その口ぶりがいかにも父を知ってそうだったので意外に思い、張偉が尋ねると、大統領は頷いて、


「ああ、彼とは20年来の付き合いがあった。なんなら、私たちは同志だったと言っても過言じゃない。そう言えば、彼が逝ってまだ間もなかったな……いや、すまなかった、君の気持ちも考えずに」


 父と大統領が知人だった? そんな話は聞いたことがない……流石に額面通りに受け取ることは出来ずに黙っていると、大統領はそんな張偉の気持ちを見透かすかのように、


「君が不思議がるのも無理はない。私たちは、表立って交流があったわけじゃないからな。だが間違いなく私たちは志を共にしていた。そうせざるを得なかったんだよ」

「……そうせざるを得ない?」

「何から話そう。君の父親、張敏と会った20年前から話そうか。昔話をするつもりはなかったのだが、丁度いい。さあ、警戒するのも無理はないが、そろそろこっちへ来て話を聞いてくれないか?」


 大統領はそう言って自分の前のソファを指さした。張偉はそれでも少し迷ったが、いざとなったら飛び出すつもりの窓を視界に入れながら、言われた通りソファに腰掛けた。


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