流れ流れて
偶然、遭遇してしまった里咲の昔の知り合いは、売春婦に身をやつしていた。そんな彼女に罵声を浴びせられながら逃げてきた二人は、互いに言葉を交わすこともなく、沈黙のまま狭い通路を歩いていた。慣れない有理が通行人とぶつかりながら、必死に追いかける先を、里咲は振り返ることなくスタスタ進んでいく。
やがて目的地の抜け道までたどり着いた彼らは、そこに探している子供が居ないことを確認すると、また来た道を戻り始めて、暫くすると足を止めた。次の目的地に行くにはさっきの場所を通らなければならないから、すぐには引き返したくなかった。
迂回しようにも、有理はどうすればいいか分からないから黙っていると、やがて里咲が思い出したように歩き出し、今度は考え事をしながら亀みたいにノロノロと歩く彼女の後についていったら、いきなり、前方からまばゆい光が溢れてきて、海の香りがしてきた。
通路を抜けると手すりに囲まれたテラスになっていて、そこから眼下に広がる大海原を一望できた。どうやら抜け道は思ったよりも島の端っこにあったらしい。地下に入ってから自分がどこにいるのか分からなくて、またゲーム世界に閉じ込められたような気がしていたから、こうしてちゃんと外の世界が広がっているのを見ると、なんとなくホッとした。
里咲は手すりに両肘を乗っけて腕組みをし、その上に顎を乗っけてぼんやり空を見上げていた。有理はその横の手すりにもたれかかって、彼女の頭越しに海を眺めた。強い風が吹き抜け、彼女の長い前髪がパタパタと揺れ動く。彼女はその前髪を鬱陶しそうにかき分けて、
「……引いた?」
と聞いてきた。
「なにが?」
「私があんな子と暮らしてたってことに」
「いや」
あの汚い部屋を見た時から、あまりいい育ちはしてないだろうと思っていた。だから別段気にしてはいなかったのだが、違うと言っても彼女は納得しないだろうし、実際、全然気にならないわけでもなかった。
「まあ、若干……」
だから有理がそう返すと、彼女は暫く沈黙した後に、ぼつぼつと話し始めた。それは彼女がこの島にいた頃の話だった。
そう言えば、故郷に帰ってきたというのに、彼女からは一度も昔話は聞いていなかった。
「私は両親のことは知らずに育ったんだ。その……早死したってわけじゃなくてね? 最初からいなかったのよ」
物心ついた頃にはもう両親はいなかった。気がついたら売春を生業にしているような、立ちんぼの女に育てられていた。そこには似たような子供たちが大勢居て、混血の子も、ルナリアンの子も、そして地球人の子も分け隔てなく育てられていた。子供たちも多ければ、育ててくれる大人もたくさん居て、いつも誰かしら面倒を見てくれる人がいたから、寂しいなんてことは一度もなかった。
子供たちはとても可愛がられていて、暴力を振るわれることなどは決してなかった。売春婦たちにとって、か弱い子供を保護することが、彼女たち自身の慰めになっていたのだろう。それに、異世界人は妊娠すること自体が稀だから、子供が出来たら寧ろ喜んですらいた。例え、それが過ちだったとしても。
日ごろ子供たちの面倒をみいていたのは、いつも大体そういった妊婦たちだった。多分、里咲も、他の子達も、そうやって生まれてきたのだろう。そしてある日突然、母は居なくなったのだ。
そこは一生抜け出せないか、二度と帰らないような場所だった。
本当に小さい子供だった頃は、里咲は自分を育ててくれる女性たちの仕事が分からなかった。でも、成長するうちに段々分かってくると、いつか自分もそういう仕事につくんだろうと漠然とそう思うようになった。
ところで、売春婦と一口に言っても、そこにはヒエラルキーがあった。ある人は公認売春婦といって、夜になるとエレベーターに乗って上の歓楽街まで仕事に行くのに対し、その他の殆どは、下層の街角で道行く労働者に声を掛ける、いわゆる立ちんぼを生業にしていた。
もちろん、後者は違法で、稼ぎは雲泥の差だった。しかし、上に行くのも下に行くのも、見た目も年齢もそんなに変わらなかった。なんなら、街一番の美人で、子供たちからすれば、とても優しくて気立ての良いお姉さんが下層なのは不思議ですらあった。
だから里咲は、何が違うのかが気になった。自分もいつかそういう仕事をするのが避けられないのであれば、こんな掃き溜めではなく上に行きたいと、そう思った。だから彼女は必死に考えた。そしてたどり着いた結論は、偏に演技力だということだった。
誰だって、こんな仕事をするのは嫌に決まってる。自分の気持ちを押し殺して、客である男をいかに喜ばせられるか、あれはそういう演技力が試される仕事なのだ。演技力さえあれば道は開ける。それ以来、彼女にとって演技は神聖なものとなった。
そんな彼女に転機が訪れた。
「14の時だったかな。技能実習生として日本に行くチャンスを与えられたの。知ってる? 日本政府が異世界人や混血の子たちが貧困から抜け出せるように、日本で職を斡旋してくれる制度なんだけど」
「もちろん」
「ならこれも知ってるかな。実習生を5年同じ職場で働かせたら、会社は正社員として雇わなければならない。だから殆どの雇用主は、それまでに彼らのことをクビにするって」
それも聞いたことがあった。たまにニュースで話題になって、みんなけしからんと言いはするが、誰も真剣に考えることはなかった。みんな、心の何処かでは、彼らに居なくなって欲しいと思っているのだ。無論、有理もその一人だった。
「それを真に受けて、低賃金で5年頑張ろうなんて考える人は、もちろん私たちの方にもいなかった。ただ、船に乗る私たちの間には、日本の農村は嫁不足で、そこで気に入られたら永久就職もあり得るって、そういう噂があったから、みんな目の色を変えてた」
里咲ももちろんその気になって、持ち前の演技力で男を手籠めにする気満々だった。でも現実はそう上手く行くはずもなく、現地に到着した彼らは思い知らされた。
日本の農村には結婚適齢期の男性など居らず、居るのは老人と、自分たちと同じ技能実習生ばかりだった。みんな農業を嫌って都会へ出ていくからだ。そしてめちゃくちゃ働かされた。嫁不足の前に人手不足なんだから当たり前だ。
あてが外れて不満タラタラの連中はすぐに脱走した。農村で働くより、都会で立ちんぼをしたほうがよっぽど稼げるからだ。里咲も誘われたが断った。船に乗った時から、もうあそこには帰らないつもりだった。だからなんとかして日本に留まる方法を探そうと彼女は考えた。
そうして農村で働き出してから数ヶ月が経過した。仕事にもだんだん慣れてきて、持ち前の愛想の良さで可愛がれていた彼女に、ある日、同じ寮に住んでいる先輩が乙女ゲーを貸してくれた。
農場で何年か働いている子たちはそれくらいの余裕があったから、中にはリビングで乙女ゲーを遊んでる腐女子なんかもいたのだ。彼女たちはいつも同志を求めていたから、里咲も沼に引きずり込んでやろうと思ったらしい。因みに、そうして初めてプレイしたゲームの攻略対象に一里塚がいたらしい。
「イッチさんみたいなイケボがオホゴエで喘いでいるのは衝撃的でした……」
「あ、乙女ゲーてそっち?」
こんな世界もあるんだと興味を抱いた里咲は、先輩たちと情報共有するようになり、まんまと泥沼へとはまり込んでいった。彼女たちはあらゆる乙女ゲーをプレイし語り合うようになり、気がつけば里咲も立派な腐女子となっていた。
そんな里咲はいつしか自分もこれなら出来るんじゃないかと考えるようになっていった。子供の頃から必死に考えてきて、演技力には自信があった。それである日、彼女は休日を利用して思い切って上京し、瀬戸際プロへ行ってみることにしたのだった。
「あの頃は、養成所とかアナウンス学校とか、そういうのが有るなんて知らなかったんだ。ただ、イッチさんが所属してるからって理由だけで事務所を訪ねていって……今考えると、我ながらとんでもないことしたなあって」
事務所に乗り込んだ里咲は、普通なら門前払いを食らうところ、たまたまオフィスにいた社長に雇ってくれと迫った。それを面白がった社長は、それじゃ試しになにか演技してよと彼女に持ちかけ、言われた里咲はその場でアハンウフンと喘ぎだしたらしい。そういう演技を練習していたから自信があったらしいが……
事務員たちが唖然とする中、社長はひとしきり笑った後、暫く真剣に彼女の演技を聞いてから、なるほどと頷いて、
「あんたいくつ? って言われたから、14ですって答えたら、18禁ゲームやっちゃ駄目でしょって怒られました」
「そりゃ怒られるだろうねえ」
そうしてこんこんと説教を食らった彼女は、もっと大人になってからまた来なさいと帰されそうになったが、何しろ必死だったから、このまま島に帰ったら売春婦になるしかないんだと社長に縋り付いたらしい。
社長もそこまで粘られるとは思ってなかっただろうが、事情を察した彼は話してみなさいと言い、彼女が自分の生い立ちのことを話すと考え直してくれたそうだ。ただし、
「あんたのこと雇ってもいいけど、うちも貧乏所帯だから、自分で仕事を取ってこれる子じゃないと駄目って言われて、今日たまたま事務所の子が受けてるオーディションあるから、君も行ってちょっと受けてきなさいって……それが探偵ウォーズのオーディションでした。今にして思えば、あれが最終面接だったんだなって」
それが今でも語り草となっている彼女のデビュー作だった。その映画の中で彼女は主人公の娘を演じ、ド下手くそだけど何故か人を惹きつけてやまない演技をしてみせ、一躍人気声優の仲間入りを果たした……
それは両親を知らない彼女だからこそ出来た演技だったのだ。
その後、約束通り事務所に雇ってもらった彼女は、鴻ノ目社長の養子として引き取られ、高尾メリッサとして本格的に活動を始めて現在に至るらしい。
育ちが悪いだろうとは思っていたが、思った以上に過酷な人生に、有理は何も言うことが出来ず、じっと耳を傾けるばかりだった。




