お高く止まってんじゃねえよ!
昨日、迷子になっていた子供がまた母親を探してどこかに行ってしまったらしい。ウダブからそう聞いたマナは、心当たりがあるからついてこいと言った。当然、有理も一緒に行こうとすると、釣りを切り上げて里咲もついてきた。子供たちは仲良くなった彼女を引き留めようとしていたが、早く釣果を大人たちに見せたいという欲求が勝ったらしく、結局ぶつくさ文句を垂れながら宿舎の方へと帰っていった。
「なんだかすみませんね。子供たちの邪魔しちゃったみたいで」
「いいえ、全然、今日は大物も釣れたし満足ですし」
案内役のマナが先頭を行き、その後ろに謝罪するウダブとルンルン気分の里咲が続き、有理が最後尾に続いた。相変わらず複雑に分岐する曲がりくねった狭い通路を、マナは一度も止まることなく自信満々に歩いていく。
「椋露地さん。心当たりがあるって言ってたけど、どういうこと?」
先頭の彼女に行き先について尋ねてみると、彼女は振り返らずに話し出した。
「……私も小さい頃、お母さんに会いに行こうとして、何度も宿舎を脱走したことがあるのよ。でも宇宙公社の職員は、みんな軌道エレベーターの仕事に従事しているでしょ。つまり一旦、地上に出なければ会いに行けないわけ。ところがあんたも見たでしょうけど、地上に出るエレベーターには税関があって、子供が乗ろうとしても追い返されちゃうの。となると、次に考えるのは、なんとかしてエレベーターに乗らないで上に行く方法を探すことじゃない」
「そんな方法があるの?」
「ええ、実はそういう抜け道は、結構いっぱいあるのよ。ただ、放っといてもそのうち塞がれちゃうし、怖い人達が悪いことに利用したりしてるのが大半だから、普通は近づかない。でも、子供は狭い隙間を通り抜けたり、パイプを伝って迂回したり出来るから、そういう道を使えば、なんとか地上に出られるのよね」
そう言えば、ここに来た当初、中国人に驚いてたらマフィアも居るとか言っていたっけ……上の世界のあの豪華さを一度見てしまえば、非合法な仕事がいくらでも成り立つだろうことは容易に想像がついた。
「そんなところに、俺たちみたいな堅気が近づいて平気なの?」
「近づくだけなら平気よ。それに子供を探してるって言えば事情を察してくれるわ。あとは……まあ、見れば分かるわよ」
なんか含みがある言い方だが、彼女がそう言うのなら、これ以上詮索してもしょうがないだろう。
若干の不安を残しつつ、その後は黙ってついていくと、そのうち段々と人通りが少なくなっていき、更にいくつかの曲がり角を曲がった先で、いきなり行き止まりにぶつかった。今まで、通路の先は必ず居住区に繋がっていたので、こうして何も無い行き止まりに辿り着いたのは初めてだった。
もしかして道を間違えたのかな? と有理は足を止めたが、マナはそのまま壁の前までずんずん突き進んでいく。そして、何をするつもりだろうと見守っている前で、おもむろに彼女は壁の前でジャンプすると、天井の上へよじ登ってしまった。
ビックリして壁際まで近づいていくと、天井にぽっかりと穴が開いていて、その先にかなり広めの空洞が見えた。続いて里咲がさっさと上に上がっていき、残った男二人も互いに顔を見合わせた後、順番に壁をよじ登った。
先に上がっていた里咲に腕を引っ張ってもらってよじ登ると、そこには巨大な空間が広がっていた。
高さは約10メートルくらい、幅も奥行きも最低100メートルはあるだろうか。他の場所とは違って照明がなくて薄暗く、端っこまではっきりと見通せなかった。そんな巨大空間のところどころに柱が立っていて、筋交いの鉄骨で補強されている。つまり、だだっ広い広場の天井を、ただ支えている柱があるだけの空間がそこにはあった。
メガフロートは要するに、海に浮かぶ船みたいなものだから、本来ならこういう空っぽの箱を並べて、その上に建造物を建てるのが普通の使い方だろう。だが、この島はあまりに特殊で巨大だったから、フロートの中に居住区や通路が設けられて、そこに人が住むようになった。
実は、あの居住区の外には、こんな風にスカスカな空間が広がっていたわけだ。
まるで手品の種明かしをされているような気分になったが、驚いたのはそれだけではなかった。その空間に入ったとき、まず真っ先に感じたのは、なんというか獣が発するような、特有の甘酸っぱい臭気だった。
うっと鼻を摘んで周囲を見渡せば、ブルーシートのテントがあちこちに並んでいた。まさかと思って目を凝らせば、いくつかのテントの周りには、暇そうにしているボロを纏った人々が見える。明らかにホームレスだ。ここは、ホームレスのテント村だったのだ。
そして更に信じられないことに、その大半はルナリアンだった。耳長の見目麗しいエルフたちが……ファンタジー世界の住人たちがボロをまとい、生きる気力を失ったかのような瞳でボーっと座っているのだ。
そりゃ、どんな社会にも適応できずにドロップアウトする人はいるだろう。だが、ここの光景は筆舌に尽くし難かった。なんというか、幼い頃に好きだった絵本を汚されたような、そんな気分だ。
「あの子はここには来なかったみたいね」
有理が尻込みしている間に、マナがその辺のホームレスに聞き込みをして情報を仕入れてきたようだ。となるとこんな場所に長居は無用だ。一行はそそくさと元きた道を戻り始めた。
ウダブが何度も振り返りながら、マナに尋ねていた。
「……あんな場所もあるんですね。あの人達を助けてあげる人はいないんですか?」
「炊き出しのボランティアがいるらしいわよ。少なくとも、食べるには困ってないんじゃないかしら」
「桜子さんたち王家は彼らに仕事を斡旋したりしないんですか」
「仕事ならあるのよ。それでもこの世界に馴染めない人たちが、最終的に行き着く場所があそこなのよ。要するに、世界が衝突なんかしなければよかったんでしょうよ」
「難しい問題ですねえ」
彼らもまったく仕事をしないわけではなく、ホームレス特有の仕事はしているようだ。それを牛耳ってるのが中国系マフィアで、彼らがいなければ下の世界が成り立たないという例がまたありありと見て取れた。
なにはともあれ、今回は外れを引いたが、こういった抜け道は他にもあるらしく、このあとは手分けして回ろうということになり、マナとウダブ、里咲と有理の二手に別れることになった。
「物部だけじゃ迷子になるのが落ちだから仕方ないけど、あんたたち二人きりだからってサボって遊んだりしないでよね」
「信用ないなあ……そんなに言うならペアを変えてもいいけど」
「別にいいわよ。私も道すがらこのお坊さんに聞きたいことがあるの」
「私にですか?」
「ええ、あなたって、テンジン11世と仲良かったのよね?」
マナは眉間に皺を寄せ、なんだか険しい顔をしながらウダブを引き連れていった。なんとなくだ、彼女の方こそ二人きりになる瞬間を待っていたかのようだった。もしかして、手伝わない方が良かったんだろうか。
「それじゃ、私たちもいこっか?」
しかし人手が多いに越したことはないだろう。二人は彼らの背中が見えなくなった後、どちらからともなく歩き出した。
と言っても、有理は方向感覚がさっぱりなので、暫くすると里咲が先を歩いて有理が後を追いかける格好になった。並んで歩いてると人にぶつかる狭さなので、そうなるのが自然だったろう。ところが、そうやって有理が一人で歩いてると、やたらと露店の客引きや立ちんぼに声を掛けられて、鬱陶しくて仕方がなかった。
何故かは分からないが、彼らには有理が日本から来た観光客だと見分けがついてるようだった。歩き方が覚束ないとか、顔つきが擦れてないとか、そういうところで判断しているのだろうか。ぶっちゃけ、そこら中に同じ顔をした中国人も歩いているのだが、正確に有理だけを狙って話しかけてきた。もしかして彼らには相当カモに見えているのかも知れない……
「ねえ、お兄さん、遊んでかない?」
そんなことを考えながら、先を行く里咲を必死に追いかけていたら、いきなり抱きしめるように腕をギュッと掴まれて引き止められてしまった。
ビックリして掴まれた腕を見ると、ヒラヒラしたドレスを着たケバケバしい女の子がセミみたいにくっついていた。ひと目見て娼婦だと分かったが、驚くのはこんな形をしていても、見た目は日本にいたらアイドルでもやってそうなくらい綺麗なことだった。
考えてもみれば、ここに居るのは中国人を除けば、ルナリアンかその混血児なのだ。有理のクラスメートたちがみんなそうであるように、彼らの容貌は非常に整っていた。もし里咲が居なければ、有理も心が揺れていたかも知れない。目の前の娼婦もそれくらい可愛いかった。
「ごめんなさい、急いでるんです」
「そんなこと言わずにさあ、安くしとくから」
「連れがいるんだ。このままじゃ置いてかれちゃうから」
「私は二人でも構わないけど?」
いや、連れは女の子なんだ、という言葉と、え、3Pオーケーなの? という言葉が同時に出かかって、結果的に声に詰まった。そうやって有理がまごついてると、
「悪いんだけど、その人、私んだから」
いつの間にか里咲がやって来て、反対側から有理の腕を引っ張った。彼女が怖い顔をして睨みつけると、娼婦は苦笑いしながら降参とばかりに手を上げて、
「おっと、彼女連れか。悪かったわね」
と、すぐ引いてくれた。まあ、どんな商売も揉め事を起こさないのが長く続ける秘訣だろう。有理が、ごめんねと軽く会釈してから歩き出すと、彼の手を引っ張っていた里咲が怖い顔をして、
「有理くん、さっきから何度も捕まっててさあ……油断しすぎなんじゃない」
「ごめん。気をつけてはいるんだけどね? なんでか話しかけられちゃって」
「そんなんじゃここでは暮らしてけないよ」
「そりゃ、里咲は慣れてるんだろうけど……」
そんな風に二人で会話しながらその場を離れようとしていた時だった。
「リサ……? あんた、もしかしてリサじゃない!?」
二人の背後から、さっきの娼婦が大声で話しかけてきた。その声に振り返ると、彼女はやっぱりと言った感じに顔を輝かせながら、
「ほら! あたしあたし! 覚えてるでしょ? 子供の頃、同じハウスにちょっとだけいた。日本への研修の時も一緒だったじゃない!」
なんと、二人は知り合いだったのか……有理が驚いて里咲の顔を横目で見たら、彼女は今までに見たことがないような表情で、目の前の娼婦を見つめていた。それは真顔というよりか、嫌なものを凝視してる時のような、表情を失っていると表現した方が良さそうな、そんな表情だった。
「ああ……」
「いつこっち帰ってきたのよ! っていうか、帰ってきたんなら声くらい掛けてよ。姉さんのこと覚えてる? あの人あんたの心配してたよ。もう会った?」
「ううん、会ってない……行くつもり無いから」
「はあ? なんで?」
娼婦は少しムッとした表情をしてみせたかと思うと、急に有理に媚を売るような視線を向けてきて、
「これ、あんたの旦那? 日本で知り合ったの? ホント、上手くやったわよね。そっかそっか、あっちで上手くいったから、もうあたしらに関わりたくないわけ」
「違う! 彼はそんなんじゃないから」
「はあ? じゃあなんなのよ? ねえ、彼氏さん、知ってる? この子がここでどんな生活していたか」
「やめて! どうだっていいでしょ……有理くん、もう行こう」
「あ、ああ……」
里咲が掴んでいる腕にギュッと力が入る。彼女は本気で嫌がっているようだった。有理は彼女に頷き返すと、もう女の方は見向きもせずに歩き出した。娼婦は無視されているのも構わず、暫くの間そんな二人の背中にいろいろ話しかけていたが、
「お高く止まってんじゃねえよ!」
最終的にそんな捨て台詞を残して、どっかに行ってしまった。たまたまその場にいた通行人がぎょっとした表情でこちらを見ている。有理たちは逃げるようにその場を後にした。
***
すごすごと逃げていく里咲の背中に怒りをぶつけると、娼婦はフーフーと荒い息を吐きながら壁を蹴っ飛ばした。ゴンッと音が響き渡って、つま先に痛みが走ったが、そんなのは気にならないくらい彼女は興奮していた。
里咲とは子供の頃、同じ街で育った。同い年で同じ年に日本へ渡ったが、彼女は首尾よく日本男を誑かしたというのに、自分は今じゃこんなところで体を売っている。昔なじみに差を見せつけられたような気がして、腹が立って仕方なかった。子供の頃はあいつなんかより、自分の方がもてたはずなのにどうしてなんだろう……
「おい、何を騒いでるんだ」
そんなことを考えていたら、騒ぎを聞きつけてここの元締めの男がやってきた。上でも下でも、ここで商売をするにはマフィアの後ろ盾が必要だ。逆に言えば、彼らに逆らってはここでは生きていけない。女は真っ青になると、
「ごめん、ちょっと昔の知り合いに会っちゃって」
「騒ぎを起こすなといつも言ってるだろう。次はないからな」
男はギロリと睨むと、舌打ちをして去っていた。女は男の姿が見えなくなるまで息を殺して見守った後、ため息をついて脱力した。
まったく、今日は散々だ。朝から客が取れずにずっと立ちっぱなしで、ようやっといい感じのカモがやって来たと思えば、昔なじみの男だったなんて……本当についてない。
「でも、あの男……どこかで見たような……」
彼女は嫌なことはさっさと忘れてしまおうと歩きかけたが、その時ふと、さっき会ったばかりの男の顔が脳裏をよぎった。
昔なじみの男だからというわけじゃない。なんとなくだが、その顔に見覚えがある気がしたのだ。でも、そんなはずはないし、それがどこだったかも分からない。
まあ、わからないことをいつまでも考えてても仕方ないだろう。早く持ち場に戻らなければ、またあのマフィアの男にどやされてしまう。
「そうだ……あの男!」
ところが、そう思って歩きかけた瞬間、彼女は思い出した。それはつい昨日のことだった。一日の稼ぎを元締めのところへ持っていった時、中国マフィアたちが何かのチラシを見せて尋ねてきたのだ。なんでも賞金首がどうとか言っていて、自分には関係ないと思ってチラ見した後、知らないと言ってさっさと帰ってしまったのだが……
その時に見せられたチラシの写真と、さっきの男が似ていたような気がする。彼女はごくりとつばを飲み込むと慌てて駆け出した。




