Dungeon Explorer
里咲の裏垢のせいで居所がバレてしまった有理たちは、島の警官隊に追いかけられて、慌てて空へと逃れた。いきなりのことに最初は大騒ぎしていた藤沢は、そのうち疲れてしまったのか硬直して静かになった。空を飛ぶのは慣れてきたが、今度は落ちたりしないか気が気でないのだろう。
リゾート島から本島までは結構あったが、仮想世界でもそれくらいの距離は飛んでいたから、途中で力尽きることはないと思うが、肝心なのは本島にたどり着いた後のことだ。
「椋露地さん。島を飛び出しのはいいけど、これからどうするつもり? あの警官たちが通報で来たなら、メガフロートに戻ったところでやっぱ現地の警察に追われるだけじゃないか」
「きっと待ち構えてるでしょうね」
「なら他のリゾート島に向かったほうがいいんじゃないかな」
「太平洋を渡るんでも無い限り、どこに行っても同じよ。寧ろそんな狭い島の中では見つかるのは時間の問題だわ」
「じゃあ、どうすんだよ?」
「このまま本島へ戻ればいいわよ。あそこなら身を隠す場所なんていくらでもあるから」
「そうかあ? 区画整理された人工的な街が整然と広がってるだけで、とてもじゃないが、すぐ見つかっちゃいそうだけど……」
「それはあんたが観光地しか見てないからよ。メガフロートの本質はあそこじゃないの。私がこっち出身だって知ってるでしょ。いいから黙ってついてらっしゃい」
そう言われてはぐうの音も出ない。有理は黙って運ばれていった。
それから一時間弱、海の上を飛んでいると、前方にメガフロートが見えてきた。リゾートに行く船で初めて気づいたが、あの島は実は巨大なメガフロートの上に覆いかぶさるように構築された人工島で、周囲はすべて断崖絶壁に囲まれていた。マナたちは島に到着すると、上陸するのではなく、海スレスレを断崖絶壁に沿って飛んでいった。
そうやって外からじっくり眺めてみて分かったことだが、メガフロートの外周は低いところで30メートルから、高いところで最大100メートルくらいあって、実は海に浮かぶ島どころか、立ちはだかる巨大な壁のような構造をしていた。
上にそびえ立つ軌道エレベーターと広大な島を支えるために、ここまで巨大なフロートが必要だったのだろうが、これが全部、地面の上に建っているのではなく、海に浮かんでいるのだとはとても信じられなかった。
アルキメデスの原理を考えれば不可能ではないのだろうが、それにしたって、これだけの大きさともなると、よほど軽量化を図らねば浮力との釣り合いは取れないだろう。中は相当スカスカなんじゃないか? ……と思ったところで、すぐその可能性に気がついた。
そうだ、中は空洞なのだ。それでいてこの重量を支えているのだから、きっと発泡スチロールみたいな構造をしているに違いない。そう考えると、マナが今からどこへ向かおうとしているのか薄々分かってきた。
よく見れば、壁のところどころにマンホールくらいの穴が開いていて、そこから湯気のように、何か気体が漏れ出ている様子が見えた。なんとなくだがゴミ置き場にある臭突のような感じがする。そしてまた暫く進むと、今度は人が通れるくらいの大きさの穴が開いていて、そこからは汚水が海に向かって垂れ流されていた。
マナはその穴にスーッと近づいていくと、メンテナンス用のキャットウォークみたいな通路に降り立った。鼻が曲がりそうな臭いに耐えきれずに藤沢がゲホゲホと咳き込んでいる。マナはそんな彼女に、あと少しだから我慢してと慰めると、
「いつまでもここに居ちゃ病気になるから先を急ぎましょ」
と言って歩き出した。そのすぐ後に里咲が続き、遅れて有理と最後尾に藤沢が続いた。
「なんか二人とも慣れてる感じだけど」
洞窟みたいに、奥に進むに連れてだんだんと暗くなっていく通路を進みながら有理が尋ねると、マナは振り返らずに返事した。
「子供の頃は街全体が遊び場だったから、誰だってこういう抜け道の一つや二つ知ってるものなのよ。懐かしいわ。あの頃は、なんとかして上に行けないかって、こんなところまで来てたのよね」
「上に行くって?」
「見れば分かるわよ。そろそろ出口よ。狭いから頭をぶつけないように気をつけてちょうだい」
そこから少し歩くと、壁から突き出すタラップがあって、見上げればその先に薄っすらと丸い光のシルエットが見えた。どうやら本当にマンホールの蓋だったらしく、先に登ったマナが蓋をずらせば、途端に上から光と、それから都会の喧騒のような話し声が響いてきた。早く上がって来いとマナに急かされ、続いて有理が上っていくと、するとそこには本当に1000人からが雑然と歩き回る広場があった。
そこは直径2~300メートルくらいのドーム状の広場で、天井の高さは外周で見た時と同じくらい、つまり100メートルはありそうだった。中央には巨大な円柱が建っていて、それが天井を支えているように見えたが、よく見るとその地上部分は横穴が開いていて、リフトが数台並んでいたから、どうやらそれはエレベーターだと分かった。あまりに巨大な空間に唖然とする。
エレベーターの周りには無数の人の群れが混沌と蠢いていて、リフトが降りてくる度にどこかのスピーカーから『A社、1番』『B社、2番』みたいなアナウンスが聞こえてきて、するとエレベーター前の人々がゾロゾロと動き出す。あれはなんだ? と眺めていたら、
「通勤用のエレベーターよ。上に仕事がある人は、毎朝ここから上がっていくわけ。他にも日雇いの人が仕事を探しに来るから、ここはいつでも混雑してるの」
マナがそんな説明をしてくれた。つまりあれは日本でいう通勤列車みたいなものなのだろう。そう言えば上の歓楽街を観光していた時、トラムに住宅街らしき駅がないことを疑問に思ったが、実際に上に住宅街は一つもなかったのだ。
あそこの従業員たちはみんな、こうやって毎日地上まで通っていたのか……
さっきマナはメガフロートの本質は上の観光地じゃないと言っていたが、その理由が分かった。地上は本当に観光客のためだけにある玄関みたいなもので、島の人々はみんな地下に暮らしていたのだ。
それにしても、どれだけの人々がここで暮らしているのだろうか? 確か歴史の教科書では、中国との戦争に敗れた鳳麟帝国の難民、1億人の大半がここへ逃れてきたと聞いている。流石にその全員がこの島に留まっているとは思わないが、それでも数千万人はいるはずだ。あまりにも数字がデカすぎるから、ふーんそうなんだ……くらいに思って、真面目に想像したことも無かったが、本当にそれだけの人数がここにいるのだろうか?
もう一度、島の全景を思い返してみる。上空から見た島の広さは日本の首都圏くらい。そして島全体が住居だと思えば、それくらいの人数を収容することも不可能ではなさそうだが……都心をも凌駕する過密な住環境なのは間違いないだろう。どこにどうやって詰め込まれているんだろうか? いや、それより、地上にその人数を養えるほどの雇用があったとも思えなかった。彼らはどうやって暮らしているのだろうか?
そんなことを考えていたら、どこからか中国語のイントネーションが聞こえてきた。なんだろうと目を向ければ、広場の端っこの方には屋台村が形成されていて、そこで中国人の女の子が呼び込みをしていた。周囲には日雇い労働者らしき男たちが屯していたが、これまた中国人に見える。
有理が気にしていると、マナが教えてくれた。
「この島が出来て間もない頃は、まだどんな産業もなくて、人々は各国から送られてくる支援に頼るしかなかったの。でも、人はそれだけで生きてくことは出来ないでしょう? 例えば下着とか歯ブラシとか生理用品とか、そういった細々とした日用品は中々手に入らなかった。それから支援物資を公平に分配する人や、それを届ける人も必要だし、他にも日常の様々なニーズに応える必要があったわけ」
すると、どこからともなく中国人たちがやってきて商売を始めた。もちろん、自分たちと戦争した相手なんだから最初は嫌がられた。でも彼らは支援だけでは絶対に手に入らないような品々を扱っていたから、結局は取引せざるを得なかった。
そうして、なし崩しに共生が始まり、今では正式に市民権を得ているらしい。中には入国審査をちゃんと受けずにどこかから入り込み、違法に金儲けをしている連中……いわゆるマフィアもいるようだが、彼らを排除しようとすると、途端にメガフロート内の経済が回らなくなるから、王家も見て見ぬふりをするしかないそうだ。桜子さんの中国人嫌いはここに極まれりというわけである。
「うわーっ! なにこれーっ!? ここ、地上じゃないの??」
そんな逞しい連中を眺めていたら、自分の足元の方から声が聞こえてきた。最後に上がってきた藤沢が、この光景に度肝を抜かれたらしい。目をパチクリさせているマネージャーのことを、里咲が大根みたいに引っこ抜いている。
それにしても、さっきから地面から人間がにょっきり生えてきているのに、通行人は誰も気にする素振りを見せなかった。つまりここでは、日常的にこういうことが起こり得るのだ。なるほど、マナが本島ならいくらでも隠れられると言ったわけである。
あそこの日雇い中国人なんて、いかにも就労ビザとか持ってなさそうだもんな……そんなことを考えていると、里咲がおずおずとやって来た。
「あの……有理くん。ごめんね?」
「なにが?」
急にどうしたんだろうか。有理が首を傾げていると、里咲は視線をあっちこっちに飛ばしながら、実に気まずそうに、
「その……私のせいで居所がバレちゃって」
「ん? ああ、ホントだよ。あはは」
しかもその理由がまたしょうもない。有理はそれを思い出して、思わず吹き出してしまった。そんな彼がクスクス笑っていると、しかし里咲の方はまるでこの世の終わりみたいな表情で、
「止められてたのに、聞かなくって、こんなことになっちゃって……でもバレてるなんて思ってなかったんだよ! だって、バレてたらあんなこと書けなかったし……」
「そうだね。今度からは気をつけなきゃね」
「もうあんなことしないよ! その……私があんなことしてるって知って……幻滅した?」
里咲は恐る恐るといった感じに上目遣いに聞いてくる。有理はまさかと、大慌てで手を振り振り否定して、
「全然! 嫌ったりなんかしないよ。人間、誰だってそういう一面はあると思うし。俺だって、君には見せてない情けないとこがいっぱいあるんだ」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……」
有理は本当に気にしていなかったのだが、そんな慰めの言葉が届いてないかのように、里咲はずっと俯いている。
「ちょっと! ぐずぐずしてると置いていくわよ!」
二人がそんなやり取りをしていると、少し離れたところからマナが声を掛けてきた。見つからないだろうとは思うが、流石にこんな人目につく場所でグズグズしているのは得策ではないだろう。
しかし、里咲には声が届いていないのか、未だに地面を見てモジモジしている。有理はどうしたものかと迷ったが、きっと彼女には口で言っても仕方ないと思い、パッと彼女の手を取ると、それをギュッと握りしめて、
「行こう、里咲」
と、ちょっと強引に彼女の手を引いた。鏡で見たわけじゃないが、きっと表情筋が相当歪んでいただろう。
すると里咲は、今まで散々自分から握っていたくせに、その時、初めて有理の方から手を握られたことに少し驚いていたが、すぐホッとするように手を握り返すと、
「うん」
そして二人は仲良く歩き出した。




