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そんなの君には言われたくないよ!

 有理の前に突如現れた世界一の大富豪アレックス・ローニン。こんな偶然があるものだろうか?


 彼が大統領の手のものでないかと恐れた有理は、思い切って探りを入れてみたのだが……その結果、どうやら大統領と彼の仲違いは本当で間違いなさそうだった。それどころか、ただの金持ちの道楽だと思われていたローニンは、思った以上にアメリカの将来を憂えて真摯に政治に取り組んでいたようである。


 それを知った有理は、科学の発展を促したかったという彼の主張に共感するとともに、不快な質問をしたことを心の中で詫びつつ、さっさと話題を変えることにした。


「そうだったんですか……ところで、アレックスさんは日本語が凄く上手ですよね」

「ん……そう?」


 その瞬間まで怒りで煮えたぎっていたローニンは、突然の話題変更に一瞬戸惑うような顔を見せたが、すぐまたリラックスした表情に戻った。やはり世界一ともなると、気持ちの切り替えが早いようである。有理はコクコク頷きながら、


「ええ、殆ど日本人と変わらないですよ。どうしてそんな上手なんです?」


 すると彼は上の方を指さしながら、


「ここの公用語は異世界語と日本語だろ。上で商売をするとなると、これがどうしても必須なんだよ」

「え? そうだったんですか?」


 こっちに来てから桜子さんだけでなく、みんな日本語が通じて助かると思っていたが、それは個人レベルではなく公用語レベルだったらしい。


「ああ。来年開港する宇宙港に、いくらか投資しててね。商談をまとめるために必死で勉強したのさ。君は、軌道エレベーターの建設に関しては、ほとんど日本企業が受注していることを知ってるかな」


 それは特に日本の土木技術が優れているからではなく、言葉が通じるというのが大きいようだ。彼はそんな日本一強の中から仕事を掻っ攫うために、自ら勉強をしたらしい。普通は誰かに通訳を任せるだろうに……成功者は、その辺からしてすでに意識が違うようだ。有理は感嘆の息をつきながら続けた。


「はあ~……それにしても、本当にお上手ですよ。俺も英語を喋れるようになりたいんですが、どうしたらそこまでになれるんですかね……?」


 するとローニンは腕組みしながら、


「そうだな、僕の場合は日本のアニメをとにかくたくさん見たな」

「え? アレックスさんもアニメなんか見るんですか?」

「ああ、アニメも見るしゲームもやるよ。アイドルのプロデュースだってするさ」

「マジかよ……」


 有理が驚いていると、彼はマジマジと二度頷いてから、


「アニメってどちらかといえば子供向けだろう。だから難しい言葉は使わないし、聞き取りやすいんだ。大袈裟なリアクションもありがたい。視覚的にも意味が取れるからね」

「なるほど」

「あと、これが一番大事だが、息子と一緒に見れるのがいい。共通の話題があった方が、より仲良くなれるからね」


 そう言ったときの彼の表情は、実業家から完全に一人の父親の顔へと変わっていた。彼には溺愛している一人息子が居るらしくて、メディアで度々紹介もされていた。どこにでも連れて行くそうだが、残念ながら今日は一緒じゃないようだ。代わりに見慣れぬ女を連れていたが、彼にも色々あるのだろう。有理はそっちには触れないように、


「息子さんとは、どんな番組を見るんです?」

「彼は最近、あのアニメに夢中だよ。ほら……アンパンの化け物がいっぱい出てくるのがあっただろう」

「アンパンマンですね。化け物じゃないですよ。ヒーローですよ」

「よっぽど好きらしくて、途中で話しかけても気づかないくらいだ。同じストーリーを何度も見せられるから、僕は飽きてきてしまったが」

「あー、あれ、不思議と子供に大人気なんですよね」

「そうだね。だけど僕はあれにはちょっと納得がいってなくてね」

「何がですか?」


 するとローニンは、真顔でしょうもないことを言い出した。


「何がって、僕がバイキンマンだったら、まず真っ先にジャムを始末するね。新しい頭が作れなかったら、あんな奴ら怖くないだろう」


 有理は苦笑いしながら、


「そりゃそうですけど。そんな卑怯な真似、子供には見せられないでしょう」

「そうなんだよ。息子にも卑怯だって怒られてしまったよ。でも、これくらいのことはすぐ思いつかなきゃ、過酷なビジネスの世界では生き残っていけないだろ? そう言ったら、彼はお父さんみたいな仕事はしないからいいって言うんだ。僕はビックリして、じゃあ、何になるんだよ? って聞いたよ。息子はなんて答えたと思う?」

「さあ……なんて言ったんですか?」

「パン屋になるって言ったんだよ。その発想は無かったね。天才かと思った」


 彼は腕組みしながらもっともらしく頷いている。その姿は完全に一人の親ばかにしか見えなかった。彼の言う通り、生き馬の目を抜くビジネスの世界で生きてきた彼にとって、息子の存在が一服の清涼剤になっていることがよく分かるような光景だった。


 そして、そんな風に気持ちよく喋っていたからだろうか、彼はほんの少し口を滑らしたようだ。


「そうそう、アニメと言えば、昨日、君たちカジノに居たらしいけど……」


 彼はそこまで言ってから急に口ごもった。外国人の表情は読みづらくて何を考えているかは分からなかったが、明らかに気まずそうな雰囲気にどうしたんだろうと思って尋ねてみると、彼は少々バツが悪そうに、


「……君も聞きにくいことを聞いてきたし、僕も少しくらいなら言っていいだろうか。昨日、君は凄い綺麗な女の子を連れてたみたいだけど、新婚旅行でこの島に来たってのは本当かい?」

「ええ、はい……それが?」

「あー……僕じゃないぞ? 僕の彼女が言ってたんだが、君たち二人はまるで夫婦には見えないし、恋人同士にも見えなかったって言うんだ。それが凄い目を引いたって」


 それを聞いた瞬間、有理の心臓は口から飛び出るんじゃないかと言うくらい跳ね上がった。ドキドキとまるで耳朶を打つように心臓の音が聞こえてきて、額からは汗が吹き出してきた。


 しまった……いや、やはりというべきか、昨日、有理がまごついていたせいで、周囲から二人の関係を怪しまれてしまっていたようだ。


 あんなに里咲に指摘されたというのに、どうしても恥ずかしくって役に入りきれなかった。だからって、自分のせいで彼女まで危険に晒してどうするのだ。これ以上ボロを出さないようにしなければならない。有理は動揺を悟られないように、必死に冷静を装いながら言った。


「い、いや、心外だな。僕たちは本当に結婚していますよ。でもまだ結婚したばかりで慣れてなくって、その、よそよそしく見えたんならそうかも知れませんが……」


 慌ててそんな風に言い訳をしたが、やはり焦りが表情に出ていたのだろうか、ローニンはそんな彼をフォローするように身振り手振りをしながら、


「もちろん、もちろん、君がその子のことを愛しているのは分かってるよ。僕の彼女もそう言っていた。そうじゃなくって彼女のほうがさ……」

「え?」

「……君の彼女、家の中にいるの?」


 ローニンはコテージの方を覗き込むような仕草を見せてから、小声で続けた。


「その……君が彼女のことを好きなのは、誰の目にも明らかだったけど、彼女の方はそうじゃないだろうなって。さっき、僕の彼女がそう言ってたんだよ。実は、それが気になって、様子を探りに来たってのもちょっとある」

「……俺じゃなくって、彼女の方が不自然だって言うんですか?」

「ああ、何を喋ってるかは日本語だから分からなかったけど、君は彼女のことを割れ物みたいに大事に扱っていたのに、彼女の方はいちいち芝居がかって見えて不快だったって……まるでアニメを見てるみたいだって」


 その言葉は、まるで鈍器で殴りつけられたような衝撃を伴っていた。有理は本当に叩かれたわけじゃないのに、酷くクラクラして本当に目眩までしてきた。実際、立っているのも難しくなって、彼は二歩三歩とよろけてしまった。


 ローニンはそんな有理が倒れないよう、両肩を支えるようにガシッと掴んで、


「すまない。君を傷つけるつもりはもちろんないんだ。ただ……僕も若い頃は色々あってね。この世には、僕自身に興味を抱いて寄ってくる女だけが居るわけじゃないんだ。僕の地位や名声、特にお金目当てで近づいてくる女もいる。そういう子たちは、付き合ってる時は凄く魅力的に見えるものだよ。でもだからって気を許してしまうと、トラブルの種になりやすいんだ。君は見た感じ、とても若くて優秀そうに見えるから……それに女慣れもしてなさそうだし、もしかして騙されてるんじゃないかと思ってね」

「い、いや、そんなことありません。俺と高尾さんは……いや、里咲ちゃんは本当に愛し合ってるんです……」

「もちろんそうだろう。僕もそう思う。だが僕の経験を踏まえて敢えて忠告させてもらうけど、一度彼女と話し合ってみるのもいいんじゃないかな。その方が、お互いスッキリするかも知れない」

「ええ、ええ、もちろん、そうするつもりです。でも、何も無いと思いますよ」

「そうだね。そう願うよ」


 ローニンは少し後ろめたそうに言葉を区切った。有理はそんな彼から目を逸らすと、


「あの、もう行っていいですか? ちょっと、彼女に会いたくて」

「ああ、悪かったな。つまんないことを言って」

「いえ……」


 有理はペコリとお辞儀すると、曲がれ右をして逃げるようにその場を去った。


「あ、おい、君! パソコンを置きっぱなしだぞ!」


 ローニンはそんな有理に忘れ物だと慌てて声を掛けたが、もう何も聞こえていないのか、彼はそそくさと窓を開けてコテージの中へと入っていってしまった。


 世界一の大富豪はそんな青年の後ろ姿を見送ると、暫くの間悪いことをしたといった感じにしかめっ面で無精髭を撫でていたが、やがて外国人らしい大きなリアクションで肩を竦めて両手を上げると、デッキチェアの方を振り返って、そこにあるノートパソコンに目をやった。


「これが……神のシミュレーターね……」


 彼は誰にも聞こえないように呟くと、慎重に家の方を窺いながらパソコンを閉じて、スリープモードにしたそれを掴んで、来たときと同じように垣根を乗り越えそのまま自分のコテージの中へと入っていった。


***


 ガラガラと後ろ手に窓を閉めて家の中に入った有理は、自分が全身汗でびっしょりになってることに気がついた。別に激しい運動をしたわけでもないのに、心臓はバクバク音を立てて息切れさえしていた。それは世界一の大富豪を相手にした気疲れだけじゃなく、彼から指摘された事実の方が大きかった。


 ローニンに言わせれば、それなりに上手くやれていたと思っていた有理と里咲の芝居は、とっくに見抜かれていたし逆に目立ってさえいたというのだ。その結果、有理は悪い女に騙されているどこかのボンボンみたいに思われていたらしい。ある意味、勘違いしてくれてラッキーではあったが、悪目立ちするのは逆効果であった。何故なら自分たちはカップルを演じるのが目的ではなく、目立たなくするのが目的なのだから。このままではマズイ……有理は呼吸を整えながら転がるように家の中へと足を踏み入れた。


 リビングに行くとちょうど里咲が起きてきており、昨日、有理が寝床にしていたソファにもたれかかるように床に座り込んでいた。起きたばかりなのだろうか、目は虚ろでどこかぼんやりして見える。しかし彼はそんな彼女の様子には気づかずに、彼女を見つけるなりすぐ駆け寄っていって、


「高尾さん、ちょっといい? 実はさっきそこの庭で隣の人に言われたんだけど……昨日の俺たち、どうも悪目立ちしてたみたいなんだ。それが、俺の演技が悪いんじゃなくって、高尾さんの方が気になったって言われてビックリしちゃったんだけど」


 有理のその言葉に、里咲の肩がピクリと動いた。よく見れば彼女の顔は蒼白だったが、明るい庭から入ってきたばかりの彼はそれに気づかなかった。


「考えてみれば当たり前なんだよ。俺たち、日本語で演技してたけど、この島に来てる人たちの大半は外国人なんだから、会話の中身なんて聞いちゃいないんだ。俺たちが何をしてるか雰囲気だけで判断するから、高尾さんみたいに完璧に演技してしまうと、寧ろ芝居がかって見えるんだって。迂闊だった……これからは会話の中身よりも、相手にどう見えるか動作の方を意識しながら芝居したほうがいい」


 有理は純粋にたった今気づいたばかりの自分たちの誤りを指摘しただけで、彼女の芝居を否定する気はもちろんなかった。だけど、タイミングが悪かった。


 その無邪気な言葉は、里咲の心をポッキリ折った。


「そんなの……」


 里咲はゆらりと立ち上がると、きょとんとしている有理に向かっていきなり拳を振り上げ、


「そんなの君には言われたくないよ! なんで有理くんにそんなこと言われなきゃならないわけ!? プロでもないくせに! 素人のくせに!」


 彼女はポカポカと両の拳で彼のことを滅茶苦茶に叩き始めた。ぺちぺちと音を立てて衝撃が走る。その攻撃は全然痛くなくて、その気になれば手を掴んでやめさせることも出来たのだが、寧ろ彼女のほうが痛いみたいに、ボロボロ涙を流しながら叩き続けているのを前に、有理はどうすることも出来ずにただ好きなように叩かれ続けた。


 そのまま前のめりになった彼女に押し倒されるようにして床に尻もちをつくと、はあはあと肩で息をしている彼女が、殺伐とした目つきで有理のことを見下ろしていた。その顔を呆然と見上げていると、彼女は目尻の涙を拭ってクルッと振り返り、


「もうヤダ、おうち帰る!」


 と言い残してコテージから飛び出していってしまった。


 玄関のドアがバタンと大きな音をたてて、床にへたり込んでる有理のところまで振動が伝わってきた。彼は出ていった彼女の背中を見送りながら、


「……なんで?」


 ただ呆けたように呟くことしか出来なかった。


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