結婚式を挙げました
ため息が出るくらい青い空を、いくつもの綿雲が魚の群れみたいに泳いでいく。絶え間なく吹き続ける貿易風は飽和した海水を大量に含んで重く、肌に当たるとべたりと貼り付くような粘性を帯びていた。
どこか遠くからうみねこの鳴き声と、防波堤にちゃぷちゃぷ当たる海水の音が響いててくる。小さなモーター音を立ててキックボードが追い越していったと思えば、その先でゾウガメがゆっくり道路を横断していた。
正面にはまるで世界を分断するかのような塔がまっすぐ空の上へと続いてて、行く先を確かめようとどんなに顔を上げても、目を凝らしてもその先端は見えなかった。仰角のせいか、なんだかこっちに倒れてきそうな感じがする。
これが軌道エレベーターか……スケールが大きすぎて、目の前にあっても実感がまるで沸かなかった。
「有理くーーんっ!!」
その声に我に返り、視線を下に戻すと、海の上でバナナボートに跨る里咲が手を振っていた。頭に昇った血がシュワシュワして、日に焼けた首の後ろがジンジン痛んだ。
弾けるような笑顔をこっちに向けている彼女に対し、有理は手を振り返そうとした瞬間に両手が塞がってることに気づいて、コーンから落ちそうになるアイスクリームを追いかけてつんのめった。
「きゃあーーっ!」
辛うじてアイスの落下は防げたが、すると海の方から悲鳴が聞こえてきて、見れば里咲がボートから海へと落っこちていた。どうやら有理が転びそうなのを見た弾みで、自分もボートから身を乗り出してしまったらしい。水しぶきを上げて転落した少女を他の乗客が笑っている。ライフジャケットを着てるから平気だと思うけれど、有理は慌てて駆け出した。
「あはは! ひどい目に遭っちゃったよ」
バナナボートの係員に救助され、モーターボートに乗って一足先に帰ってきた彼女は、まだ沖の方で遊覧を続けている同乗者たちに手を振りながら、有理の方へと歩いて来た。照れ笑いする彼女の手を取り、予め陣取っていたビーチパラソルまで案内する。
白いセパレートの水着が眩しくて、どこに視線を置けばいいか判断に困る。有理のそんな気持ちを知ってか知らずか、彼女は買ってきたアイスをありがとうと受け取って、ぺろりと真っ赤な舌で掬いとった。
「あれ? 一つだけ?」
頼まれていたジュースを差し出すと、彼女は有理の飲み物がないことに気づいて目をパチパチした。
「ああ、両手が塞がっちゃっててさ。自分のは今から買ってくるよ」
彼がそう言って立ち上がろうとすると、里咲は慌てて止めて、
「それなら、こうすればいいんじゃない?」
彼女はそう言うなりグラスに2本のストローを差した。そして片方を口に加えて、んっと唇を突き出すように、もう片方を有理に向けた。
グラスの中で炭酸が弾けている。その振動でグラスの側面に付着した水がポタリと落っこちる。いつの間に掻いていたのか、有理の顎からもポタリと汗が滴り落ちた。きめ細かい彼女の肌の上には、玉のような水滴が浮かんでいた。それはUVのせいだけではなく、彼女の若さも関係しているだろう。そんなどうでもいいことを考えていないと間が持たなかった。いや、理性と言ったほうが正しいだろうか……
有理はゴクリとつばを飲み込むと、意を決してもう片方のストローに口をつけた。
キスしたらこんな感じなんだろうか。信じられないくらい近くに彼女の顔がある。いくら見ても見飽きないほど整った顔が、息がかかるくらいそばにある。吸い上げる液体からは何の味も感じない。体は宙に浮いてしまったかのようにふわふわしている。その時、彼女が不意に目を覗き込んできて、瞬間、顔が熱くなった。
『OH, cute』
たまたま通りがかった老齢の男女がそんな言葉を残していった。それは彼女に対してだろうか、それとも自分に対してだろうか。
「もう、有理くん、周りの目を気にしすぎだよ」
「ご、ごめん! こう……り、里咲ちゃん」
里咲は優しく笑って言った。
「ねえねえ、午後はどうする?」
「そ、そうだね。カジノなんてどうかな」
「いいね! ガイドさんは水着のまま入れるって言ってたっけ」
島のビーチには海水浴場とカジノが併設されていて、滞在する旅行者は誰でも遊べるようになっていた。ここはどの国にも属さない公海上にあるから、本当にお金を賭けても誰にも罰せられることはない。初めての経験に、二人でドキドキしながらカジノのドアをくぐると、入口で案内をしていた黒服が近づいてきた。
『We apologize for the inconvenience』
優雅な佇まいの男が二人の前に立ちはだかる。何を言っているか分からない里咲がオロオロとしている。有理はそんな彼女を庇うように前へ進み出ると、男と二言三言会話を交わした。
「……なんて言ってるの?」
里咲が恐る恐る尋ねてくる。有理は苦笑いしながら、
「えーと、こ……里咲ちゃんのこと、何歳かって聞いてる。ここのカジノ、年齢制限があるみたいだ」
「どうしよう。私のせいで入れないの? ごめんね……」
大概どの国でも違法なくせして、未成年は入れないとはこれ如何に。有理は呆れながらも、自分のせいだと悄気てしまった里咲を慰めるように、
「大丈夫、君は心配しないで」
「でも……」
「HEY!」
有理は謝ろうとする里咲を制すると、男に向かって英語で言った。
『We had our wedding on this island yesterday(俺たち、昨日この島で式を挙げたんだけど)』
ウェディングという言葉に反応したのか、里咲が有理の腕にしがみついてくる。二の腕に当たってくる柔らかな感触を必死に神経から遮断しながら、男のことを睨みつけるように見つめていると、彼は二人の顔を交互に確認してから、やがて芝居がかったように恭しくお辞儀をすると、
『Thank you for your cooperation, please take your time』
有理はそんな男に対し、分かればいいんだよと言わんばかりに鷹揚に頷くと、まだよく分かっていない里咲を引っ張って奥へと進んだ。
狭い廊下を抜けてフロアに躍り出ると、赤絨毯の上にスロットマシーンやルーレットの数々が立ち並び、テーブル席ではブラックジャックやポーカーを楽しむ人々がカード相手ににらめっこしている、そんな映画の一シーンみたいな光景が広がっていた。
ジャラジャラとコインが落ちる音が鳴り響き、あちこちから悲喜こもごもの声が聞こえてくる。どのテーブルも男女随伴で、見た限り、一人でギャンブルを楽しんでる者はどこにも居なかった。
それもそのはず、ここは新婚旅行先として世界でも名高いリゾート地で、今まさに二人は新婚旅行の最中だった。
クイクイと腕を引っ張られ傍らに視線を戻すと、里咲がキラキラとした視線を向けてきた。有理はそんな彼女に優しく微笑みかけると、何から遊ぼうか? と話しながら、二人はカップルだらけのその空間にあっという間に溶け込んでいった。




