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Worlds Collide -異世界人技能実習生の桜子さんとバベルの塔-  作者: 水月一人
第五章:俺のクラスに夏休みはない
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似て非なるもの

 有理たちがゲートをくぐって外に出ると、ドラゴンは謎のバリアーに阻まれそれ以上追いかけられなくなった。悔しそうな咆哮が背後から聞こえてくる。


 それでも恐怖心からアクセルをベタ踏みしていた南条は、数百メートル走った辺りで思い出したようにブレーキを踏み、後部座席の者が乾燥機みたいに転げ回っているのも構わず、角を曲がってアパートの影に滑り込んで、ドラゴンからの視線が切れたところでエンストを起こした。


 プスンプスンという間抜けなエンジン音と、ぜえぜえはあはあという荒い呼吸音だけが聞こえてくる。


 有理は伸し掛かるようにして気を失っている桜子さんを座席に下ろすと、後部ハッチを開けて外に転げ出た。音を立てないように曲がり角まで走っていって、頭だけ出して学校の方を見ると、ドラゴンはまだしつこくその場を旋回していたが、やがて諦めて奥へと引っ込んでいき、研究棟の屋上に降りて羽を休め始めた。


「ちょっと、物部。何なのよあれは?」

「俺に聞かないでくれ」


 有理の上の方から、同じように頭だけ突き出して見ていたマナが話しかけてくる。警戒のためか、その手には車に積んでおいたアーチェリーの弓が握られていた。取り敢えず、当面の危険は去ったことを確認した二人は、ずるずる後退すると、壁を背にして座り込んだ。額にはびっしょりと汗をかいており、生きているのが奇跡みたいに感じていた。


「まいったね。元の世界に帰るヒントを探しに来たつもりが、あんなのが居たんじゃ近づくことすら出来ないじゃないか」

「帰りたいなら、まずはあれを倒せってことかしら? ゲームらしくなってきたじゃないの」

「嫌な例えだけど、あながち間違いじゃないかも知れないな……にしても、どうしていきなりあんなもんが出てきたんだ?」

「どうする? やるの?」

「いや、さっきの見たでしょ? 今の俺達が挑んだところで絶対勝てないよ。それより、あれと戦ってた桜子さんのことが気になる」


 そう、ドラゴンが出てきたこともそうだが、桜子さんが出てきたのも唐突だった。もしも有理たちと一緒に異変に巻き込まれたのなら、とっくに合流してなくてはおかしいはずなのに、今までどこに隠れていたのだ?


 車に戻るとその桜子さんは、まだシートに横たわったままぐったりしていた。軍用だからフカフカとは言えず、硬い天板の上に寝る彼女は苦悶の表情をしていた。ルナリアンは頑丈なだけあって、見た感じ傷はどこにも見当たらなかったが、流石にあの高さから叩きつけられてはタダじゃすまなかったのだろう。なかなか目を覚まさない事実がそれを裏付けているようだった。


 このまま放置しておいても本当に大丈夫なのだろうか? しかし、この世界には医者も居ないのだから、病院に連れて行っても意味がない。彼女が自然と目を覚ますのを待つしか出来ることは何もなかった。


 そんな歯がゆい思いをしながら彼女の姿を見ている時、有理はふと違和感を覚えた。


 そこに居るのは本当に桜子さんなのだろうか? 違和感は、まずその格好に現われていた。周りに溶け込んでいたから気づかなかったが、よく見れば彼女はいつもの作業着やスーツ姿ではなく、魔法学校の制服を着ていたのだ。


 桜子さんは生徒じゃないので、学校指定のセーラー服なんて着たこともなければ、持っているとも思えなかった。なんでこんなのを着ているのだろうか? それに、なんだか彼女の姿を見ていると、もっと強い違和感を感じるのだが……それが何なのかが、どうも良く分からない。


「いたたたた……」


 と、眼の前に横たわっている同居人の姿に疑念を抱いていると、彼女とは反対側のシートに座っていた川路が腕を抑えて蹲っていた。見れば、彼女の腕はパンパンに腫れていて、内出血でもしているのか紫に変色していた。彼女の苦痛の声に気づいた里咲が驚きの声を上げる。


「わわっ! 川路さんどうしたの、その腕」

「多分……あの竜に襲われて、転んだ時にやっちゃったんだと思う……さっきまでは逃げるのに必死で気づかなかったけど、急に痛みだして……」


 相当痛むのだろうか、彼女の顔色は死人みたいに青くて額にはびっしりと汗をかいていた。そんな彼女の姿を見たマナが近寄っていくと、


「酷いわね……ちょっと触るわよ?」

「あいたああーーっ!! 痛いってば! 痛い痛い!」

「なら自分のペースでいいから、こう……シートに乗せる感じで、折れたとこをよく見せて」


 マナは多少、医療の知識があったのだろうか、テキパキと指示をしはじめた。川路は言われた通りに椅子から降りて地べたに座ると、たった今自分が座っていたシートに腕を乗せて彼女に見せた。有理もしゃがんで、その腕を水平方向から見てみれば、途中からおかしな方向に曲がっているのがはっきり見えた。少々エグいが、手首が2つに増えたみたいだった。


「これは……レントゲンを撮るまでもないわ。完全に骨折してるわね。このまま放置してたら、骨が曲がったままくっついちゃうから、引っ張って綺麗に伸ばしてから添え木を当てないと。物部、私が肘の方を持つから、あんたは手首の方を持って思いっきり引っ張ってくれない?」

「引っ張る!? 冗談はやめてよ、そんなことしたら死んじゃうわ!」

「でも、このままじゃ痛みが続くだけよ」

「嘘よ! ちょっと触れるだけでもメチャクチャ痛いのよ!? あんた医者じゃないでしょ? 本物の医者連れてきてよ、医者を!」

「そんなものいないって分かってるでしょう?」

「やだやだやだ、死にたくなーーい!!」

「czknltn? lgkgjgc... ktgannotlacie nondeco!!」


 あまりの痛みで半狂乱になってしまった川路が、子供みたいに泣きわめいていると、その時……不意に背後から人の気配がしたかと思えば、そんな意味不明な声が聞こえてきた。


 怪我人に気を取られていた有理は、ハッとして振り返った。するとさっきまでシートに横たわっていたはずの桜子さんがいつの間にか復活していて、川路に向かって手をかざしながら何やらブツブツ唱えていた。


 異世界人特有の不思議なイントネーションが車内に響き渡る。何を言ってるか分からなかったが、多分魔法を使ってるんだろうなと思った、次の瞬間、怪我をしていた川路の腕を包み込むように光の礫が集まってきたかと思ったら、驚いている彼女の眼の前で、まるでビデオを逆再生するみたいに、曲がっていた腕がみるみると元に戻り始めた。


 物理法則に逆らうようなその動きに、痛くないのか? と焦りもしたが、川路を見る限り大丈夫そうだった。やがて彼女の腕を包みこんでいたオーラが消えてなくなると、痛みが消えた自分の手首を確かめるようにクルクル回しながら、彼女は呆然と呟いた。


「嘘……治ってる」

「本当に? どこもおかしくない? 触るわよ」


 マナがペタペタ触ってみても、川路はさっきみたいな反応は見せず、本当に痛みは消えてしまったようだった。これはもしかして、回復魔法というやつだろうか?


 桜子さんの魔法が凄いのは知っていたが、そんなものまで使えたのか……と、有理は感心しかけたが、すぐ違和感を覚えた。確か以前、彼女は回復魔法を使えないと言ってた気がする。彼女どころか、回復魔法は異世界人の誰も使えない伝説級の魔法か何かじゃなかったっけか?


 彼女から感じる違和感はそれだけに留まらず、


「助かったわ、桜子さん。でもどうしてあなたがここに?」

「apecesttw lkcme wqzmjjitla wyt」

「え? なんて?」

「apecesttw kfkggiwqase oiope acc?」

「急に異世界語で喋られても……ちょっと待ってよ。apecesttwってなんだったっけ?」


 桜子さんは何故か異世界語でまくし立てている。彼女は日本語が堪能なはずなのに、どうしてそんな真似をしているのだろうか? もしかして、墜落した時、頭を打ったかどうかして、記憶喪失にでもなってしまったのだろうか……?


「……ここはどこ? ここはどこって言ってるの? どうしちゃったの、桜子さん?」

「どうしたの、椋露地さん。桜子さんはなんて?」

「それがおかしいのよ、彼女、自分がどうしてここにいるのか分からないらしくて……」


 桜子さんは割り込んできた有理の顔を、珍しい生き物でも見るような目つきで見ている。まるで初対面みたいなその態度に、本当に記憶を失ってしまったのかと一瞬焦りかけたが、こうして間近で見なければ気づかなかったかも知れないが、よく見ればその桜子さんの顔は有理の記憶とちょっと違っていた。


 ルナリアンは非常に整った顔立ちをしてるから、ともすればみんな同じに見えるが、流石に付き合いが長い桜子さんの顔なら見分けがついた。眼の前の彼女はとても桜子さんに似ていたが、別人であるとはっきり分かるくらいには違っていた。


 実年齢は分からないが、桜子さんは大体20代後半くらいに見える。目の前の彼女は、それより10歳くらい若返った感じだ。もしかすると彼女の姉妹や親戚なのかも知れない。


 そんなことを考えながら、改めて別人と意識して見てみれば、彼はそこに重大な違いを発見した。


「あ、椋露地さん! 耳だ! 耳を見て!」

「耳って……え?」


 なんと、そこにいた桜子さんのそっくりさんは、ルナリアンの特徴であるエルフのような横長の耳を持っておらず、地球人と同じ耳をしていたのだ。もちろん、本物の桜子さんはエルフ耳をしていたから、これで眼の前の彼女が桜子さんでないことが確定した。


「メチャクチャ似てるけど、この人、桜子さんじゃないよ」

「そう、みたいね……信じられないくらいよく似てるけど」

「ルナリアンじゃないから耳も普通なのかな? あ、でも異世界語を話すんだっけ? 魔法も使ってたし、やっぱり異世界人なのか。どっちなんだ?」


 一体全体、この少女は何者なのだろうか。桜子さんだと思えば違うし、学校の制服を着ているし、無人と思ってた世界に唐突に現われたと思ったらドラゴンと戦っているし、わけがわからない。


 こんな得体の知れない人間を車に乗せて危険じゃないのか……? と思いもしたが、それなら川路を助けてくれる理由もないから、その辺は信じてもいいだろう。


 取り敢えず、彼女が何者かも分からなければ話にならないので、


「誰か、異世界語話せる人っている? ……いないよね」


 そもそも普通の人間には発音が出来ないんだから当然だ。メリッサが居れば通訳は可能なのだが、今はカタコトのマナしかいない。


「まいったなあ……あー、俺の言ってること分かる?」


 こんなんじゃ意思疎通出来るとも思えなかったが、何もしないよりマシだと、身振り手振りを交えて話してみたら、彼女はコクコクと頷いた。おや? っと思って別の質問をしてみたら、また適切な反応が返ってきた。どうやら喋れないけど、こっちの言ってることは分かるらしい。


「それじゃあ……君は誰? どこから来たの?」


 と聞いてみたが、彼女は悲しそうに首を振るだけだった。そういえばさっき、ここがどこかと言っているとマナが教えてくれた。


 こうなると、最初に危惧していた記憶喪失というのが現実味を帯びてくる。まあ、彼女は桜子さんでは無かったわけだが。しかし、名前も分からないんじゃ話もしづらいと困っていたら、彼女もジェスチャーを交えながら、こちらになにか伝えたげに声を発した。


「laoqlgrgl アースートーリーア kilo」

「……え?」


 相変わらず何を言っているのか分からなかったし、殆ど聞き取れもしなかったのだが、そんな中でも有理にも聞き取れる単語が混じっていて、彼はもしかしてと思い、慌てて聞き返した。


「いま、なんて言ったの? えーっと……俺の名前は物部有理です。君は?」

「アストリア」


 アストリア。彼女は確かにそう言った。


 その名前にはもちろん聞き覚えがあった。それは異世界人の神様の名前で、だからルナリアンは自分たちの言語を異世界語とは呼ばずに、アストリア語と呼んでいるのだ。


 彼女は、自分がそのアストリアだと言ってるのだろうか?


 いや、この世界にだって、自分の子供にマリア様とかミカエルとか名付ける親はたくさんいる。だから彼女が神様と同じ名前でもおかしくはないのだが……


 しかし、有理はどうしてもその名前が引っ掛かった。多分、他の誰かがアストリアと名乗っても、そこまで気にしなかったろう。だが、眼の前の彼女なら話は違う。彼女は桜子さんにそっくりなのだ。そしてそれは、あの森の国の中央都市で見た、神使アストリアを彷彿とさせた。


 神使アストリア。あの森の国のどこからでも見える中央の塔の中で見掛けた彼女も、また桜子さんにそっくりだった。同一人物かどうか確かめる間もなく追っ手に追われて、最後はさらし首にされてしまったわけだが……眼の前の彼女は、あの神使アストリアなのだろうか?


 そう言えば、あのときも今も、ゲームの世界に閉じ込められている状況は一緒だった。だから有理はそれを確かめようとしたのだが、


「ねえ、もしかして以前、君は俺と会ったことがないか? えーっと、確か、ヒパルコって名前の森の国で……」

「……laouxeow!? lklieqlzaa! delocuewajde!!」


 彼がそう訪ねようとした時だった。突然、彼女は驚愕に目を見開くと、そんな奇声を発して車から飛び出していった。


 あまりに唐突な出来事で、脳の処理が追いつかず、有理も他のみんなも動き出すのに数秒を要したが、


「おい、どうしたんだよ、突然!」


 どうにかフリーズから回復した有理が慌てて彼女を追いかければ、彼女は車から降りてすぐの路上にまだ立っていた。有理は、どうしたんだろうと近づいていったが、しかし数歩も行ったところで足を止めざるを得なくなった。


 どうやら彼女は逃げ出そうとしたわけではない。危険を察知したのだ。


 見れば、路上に佇む彼女の向こう側には複数の赤い目をした小人が居て、棍棒や弓を構えながら邪悪な目つきでこちらを見ていた。その奇妙な生物は現実には存在しないが、有理自身は嫌と言うほど知っていた。


 それはあのVRゲーム登場するゴブリンだった。ゲームのモンスターが、こっちの世界にまで現われたのだ。


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