石化の魔法
人が居なくなったこの世界が、ゲームであると気づいた有理は、その原因を探るべく学校へ戻ることに決めた。前回もそうだったように、メリッサが鍵を握っているのは間違いなかった。他に手掛かりがないこともそうだが、そもそも、このフルダイブみたいな現象を起こせるのは、今のところ世界でメリッサだけなのだ。
しかし、ここがゲームの中だとして、どうしてこんなに現実世界にそっくりなのだろうか? あのゲームには、森の国しかマップデータはなかったはずだ。また、フルダイブをするにはヘルメット型の脳波コントローラーが必要なのだが、そんなもの誰もつけていたはずがないのに、どうしてみんな同時にゲームに入り込んでしまったのだろうか?
そして今現在、メリッサはアメリカの攻撃を受けたせいで、いつもの調子を取り戻せていないはずだ。それなのに、何故こんなことになっているのか。その点も含めて、研究所を隈なく調べる必要があるだろう。
そうと決まればさっさと学校に戻るまでだが、それには足が必要である。来る時は装甲車で来たわけだが、しかし有理は教習を受けなかったので運転の仕方が分からなかった。なので優等生のマナに頼んでみたのだが、
「私だって教習受けたことないわよ、あんたたちとは学年が違うんだから」
免許が取得できない年齢なのだから当たり前だ。困っていたら里咲が手を挙げてくれたが、
「いや、君も転校してきたばかりで教習受けたことないでしょ」
「でもレースゲームは得意ですよ?」
「ゲームと一緒にするなゲームと……いや、ゲームなんだけどさ。まいったなあ、誰か他にいませんか?」
そうして運転できない三人が困っていたら、
「もう、仕方ないですわねえ……鴻ノ目さん、感謝なさい」
と里咲の友達である金髪の南条が運転手を買って出てくれ、その流れで眼鏡の川路もついてくることになり、気がつけば女4人に囲まれながらドライブする羽目になっていた。こういうのをハーレム展開と喜べるメンタルが欲しい。
親切に名乗り出てはくれたが、別に南条は運転が得意というわけでもなく、途中で何度もエンストを繰り返しながら、20分ほどかけて学校まで戻ってきた時には、もう精神的に疲弊していた。道路から車が消えていたから良かったものの、もしも普段通りの交通量があったら、今頃大惨事を招いていたことだろう。
そんなヒヤヒヤもののドライブを終えて、開け放しておいたゲートを潜ると、すぐ眼の前に目的の研究棟が見えてきた。やはり見慣れている建物があると落ち着くものである。見たところ研究棟に変わったところは無く、出てきた時のままだと思っていたが……
ところが建物が徐々に近づいてくると、5人はそこに思いがけないものを見つけた。
「あ! 見て! あそこに誰か居ますわ!?」
そんな南条の驚きの声に前方を覗き込むと、研究棟の玄関の前に誰かが立っているのが見えた。
自分たち以外に学校へ帰ってきている者はいないはずだから、もしかして生存者か? と期待もしたが、車が近づいてきてるのにこっちを見向きもしないその人影に、さすがに変だと目を凝らしてみれば、どうもそれは生きている人間ではなく、石像であると判明した。
なんだ……とがっかりもしたが、と同時に、どうしてそんなものがあるのかが気になった。そこは目的地でもある研究棟の真ん前で、通行の邪魔であるのもさることながら、米軍の装甲車が停まっていた時にそんなものがあったのなら、気づかないわけがないのだ。
この石像は昨日今日現われたとしか思えない。なんでこんなものが? と警戒しながら車を降りると、有理はその石像を間近で見て、更に驚きの声をあげた。
「張くん?」
その石像は、なんと張偉の姿をしていたのだ。
それも下手糞の彫刻なんてレベルではなく、名匠が誇りをかけた傑作と言っていいほど精巧な代物だった。顔も姿形も身長まで完全に彼そのもので、その表情はなんというか、驚愕と言おうか苦悶に満ちた顔をしている。目尻の皺まで再現されていて、まるで生きているみたいだった。
「なんでこんなものがありますの?」
南条が、本当に石で出来ているのか確かめるように、ぺちぺち叩いたり撫でたりしては顔を赤らめている。
有理はどちらかと言えばその表情の方が気がかりだった。昔のアニメ映画でこんな場面があった気がする。自分そっくりな石像が庭に現われたと思ったら、それは未来で石化の魔法をかけられた自分自身だったのだ。他にも、世界にとって都合が悪いことに気づいた登場人物が次々石化させられていったりとか、そういう作品もあったはずだ。
なんとなくだが、張偉の顔は、そういう場面を彷彿とさせた。これは張偉を模した石像ではなく、今現在、危機的状況にある彼自身なのではないか……?
そんなことを考えている時だった。
ドンッッッッ!!!!
突然、大きな音が鳴り響いて、ズシンと衝撃波のようなものがビリビリと体を駆け巡った。足元がグラグラ揺れて、眼の前にある研究棟の上の方からパラパラと破片が落ちてくる。
「危ない!」
と誰かが叫ぶ声に、慌てて頭の上に手をかざしながら逃げるように走り出したら、見上げる空を、何かが通過していくのに気づいた。
彼らは目を疑った。
信じられないことに、それは巨大な爬虫類に翼が生えたような、いわゆる西洋風のドラゴンだった。正確な大きさは分からなかったが、恐らく10メートル近くはある巨体が、大きな翼を広げてバッサバッサと空を飛んでいたのだ。
その時、上空を飛ぶドラゴンが、大きな口を開いてギャアーっと声を上げたと思ったら、次の瞬間、その口から炎のブレスが吐き出されて、その高温が地上にいる有理たちにも届いた。
その熱さに女子たちから悲鳴が上がったが、有理はそんなことよりもその姿の方に驚いていた。というのも、そこにいたのはあのレイドボスだったのだ。ここへ至る数日前、開発チームが実装し、張偉と里咲の三人で挑んだ……その後、ニューヨークに現われて大惨事を招いた、あのドラゴンだったのである。
「高尾さん!」
有理がそれを確かめるように里咲に目を向けると、言わんとしてることに気づいた彼女もぶんぶんと首を振って肯定した。何度もゾンビアタックを繰り返して戦ったのだから、もはや見間違えようもない。なんで、そいつがこの無人の世界に出現したんだ?
ドドドンッッ!! ドドドドドンッッ!!!
そんな具合に有理が混乱していると、上空でまた爆発音が轟いた。それはドラゴンのブレスではなく、今度はそのドラゴンに向かって放たれた火球が彼にぶつかって弾けた音だった。不意打ちを食らったドラゴンの体がふらりとよろける。
何が起きたんだ!? と驚いて火球が来た方を見れば、上空にもう一つ人影が見えた。
遠すぎてその顔は確認出来なかったが、しかし有理にはそれが誰だかすぐに分かった。毎日、自分の部屋の窓から出入りし、隣のビルの上を飛び回る姿を見ていたから間違いない。
「桜子さん!?」
上空をドラゴンと並走する彼女は、入れ代わり立ち代わり、螺旋を描くようにくるくると回って、お互いに炎のブレスと火の魔法をぶつけ合いながら縦横無尽に飛び回っていた。その攻撃がどこかにヒットする度に、ズシンと地面が揺れるような震動が空気を通じて伝わってきた。三半規管が揺さぶられるような爆音の中で、有理たちはそれを成すすべもなく地上から見上げていることしか出来なかった。
桜子さんは自分の数倍以上ある巨大な敵を相手に一歩も引けを取ることなく、くるくると器用に躱しながら攻撃を繰り出していた。彼女が小回りと手数で押すのに対し、ドラゴンの方は一撃の重さで勝負するといった感じで、そのブレスが地上を掠めれば、跡には溶岩みたいに灼熱した地面が残されていた。
あんなのが直撃したら一溜りもないだろう。そう思っていた矢先、その最悪の事態が目の前で起きてしまった。
フェイントを掛けて器用に攻撃を当てていた桜子さんは、いつの間にかパターンが構築されていたのか、不意に動きを変えたドラゴンについていけずに、うっかり彼の眼の前に飛び出てしまった。ドラゴンはその隙を見逃さず、巨大な口を大きく開いて轟音と共にブレスを吐いた。
その直撃を受けた桜子さんは、まるで空中でダンプカーに跳ね飛ばされたかのように、ものすごい速度で落下を始め、ドンッ!! っと大砲でも撃ったかのような音を立てて地面に落っこちた。
いくらルナリアンが頑丈とはいえ、あの速度では助からないのではないか? 慌てて彼女が落ちたところへと駆けつけたら、もうもうと土煙が舞う中で、言い方は悪いが、彼女は本当にヤムチャみたいに抉れた地面に倒れ伏していた。
「桜子さん!!」
ボロ布のように打ち捨てられたその姿を見て、背筋が凍りつくような衝撃を受けた有理は、彼女の側へ駆け寄ってぐったりとした体を抱き起こした。目を閉じて力なく横たわっている彼女は意識がなくて、いくら呼びかけても目を開ける気配がなかった。
そうして彼女の方にばかり気を取られていた有理は、軽率であったと言わざるを得ない。墜落した彼女はたった今まで交戦していたわけだから、落ちたからってその敵が見逃してくれるわけがなかった。
気がつけば、桜子さんを抱き起こす有理の眼の前に、ドラゴンの巨体が迫ってきていた。それに気づいた時にはもう手遅れで、彼女を抱きかかえて逃げることはおろか、自分ひとりでも逃げるのは不可能だった。
そしてドラゴンは巨大な口を開き、その喉奥から白い閃光が走る……
「プロテクトゥ グルンド! ハルディ グルンド!」
その時、ヤバい……と目を閉じて衝撃に備える有理の前に、里咲が飛び出し障壁を展開した。
ドラゴンのブレスは彼女の作る障壁に弾かれ、有理たちは直撃を免れた。しかし熱だけは通したらしく、
「あちちっ! あちちっ!」
と、身悶える彼女の頭上スレスレを通過し、ドラゴンは速度を保ったまま180度回転するインメルマンターンで背後に回り込むと、邪魔な障壁の反対側から更にブレスを飛ばそうとした。
「巨神兵がドーーーン!!」
その時、戦場に似つかわしくない間抜けな声が聞こえてきたと思ったら、虹色のエグい光線が空飛ぶドラゴンを貫いた。
原理はさっぱり分からなかったが、ものすごい威力を誇るらしきその攻撃を受けたドラゴンは空中で仰け反り、「ギャアアア!」と苦しそうな悲鳴をあげて、地面を滑るように転がっていった。
お陰で有理たちは攻撃を免れたが、横槍を入れられたドラゴンのヘイトは、完全に川路の方に向いてしまったようである。
摩擦でアスファルトの地面を毛羽立たせながらようやく止まったドラゴンは、のろのろと巨体を持ち上げると、怒りに満ちた目を攻撃者に向けた。その迫力に気圧されてしまった川路が硬直していると、ドラゴンは一羽ばたきで彼女へと迫り、鋭利な爪で彼女のことを薙ぎ払った。
「きゃあーーーっ!!」
辛うじて身を捩り、咄嗟にその攻撃を避けた川路であったが、それによって起きた風圧に押されて結局吹き飛ばされていった。ラグドールみたいにおかしな姿勢で転がっていく彼女に、ドラゴンは執拗に攻撃を仕掛けようと迫るが、と、その時、キキーーーッ! っとブレーキ音を立てて、装甲車が両者の間にドリフトして割り込んできた。
「乗って!! 早く!!」
運転席から金髪の南条が叫ぶ。その言葉に我を取り戻した有理は、ぐったりしている桜子さんを引きずるように車に押し込み、なだれ込んでくる川路と共に後部ハッチから中へ飛び込んだ。
「プロテクトゥ グルンド!」
獲物を逃がすまいとドラゴンは装甲車もろとも攻撃してきたが、里咲の魔法によって弾かれる。キキっとアスファルトを蹴って車が走り出す。
南条は、エンストを繰り返していたのが嘘みたいなハンドルさばきで、右に左にカウンターステアを当てながらドリフトを繰り返し、巧みな運転で追跡の手を掻い潜った。やがて車は速度に乗ったが、それは相手の方も同じだった。
上空で羽ばたいたドラゴンが、滑空をしながら速度を増して迫ってくる。今は里咲の魔法で食い止めているが、それもいつまで持つか分からない。というか、速度は明らかに相手の方が上で、どこまで行けば逃げ切れるのか見当もつかなかった。
だが、その時だった。
丁度、基地の敷地の境界であるゲートをくぐり抜けた時、背後に迫っていたドラゴンがボボンボボボンと鈍い音を立てて、急に何かにぶつかったかのように静止した。ゲートに引っ掛かったわけではなく、明らかに見えない何かに行く手を阻まれているようだった。
どうやら基地の敷地に沿って、何かバリアのようなものが張られているらしく、ドラゴンはそこから出られないようだ。速度を増していく装甲車の狭い窓からそれを確認した有理は、悔しそうに基地の上空を旋回するドラゴンの姿を見て、ほっと安堵のため息を漏らした。




