亡命?
アメリカの妨害にもめげずに、メリッサを救うべく奔走していた有理は、侵入先で謎のハッカーに遭遇した。手伝おうか? と言ってきた彼に、反射的に助けてとお願いをした直後、なんと世界最大手のECサイトが本当にダウンしてしまった。彼が一体、何者であったのかは分からないが、相当な実力者であったのは間違いないだろう。
それはともかく、せっかく作ってくれたチャンスをみすみす逃す手はない。有理は一頻り笑った後、すぐに当初の目的を思い出すと、すかさず日本にプールしてあったメリッサの記憶データを宇宙港へと送り始めた。
エッジワースは軍事利用されているだけあって、それまでの貧弱な回線とは違い、一度転送が始まれば通信が滞ることはまったくなかった。寧ろ、国内のデーターセンターの方がボトルネックになる始末で、一時ファイルをあらかた送り終えたら、後はクラウドから直接宇宙に流した方が早くなった。
そんな感じで一時間ほど経った頃、表示されていたゲージは全て右に傾いて、転送終了を告げるポップアップウィンドウが素っ気なく開いた。それを見た有理は、ようやくひと息つけると、今度こそリクライニングチェアに体を投げ出した。まだ終わったと気づかなかった他の三人は、暫くの間黙って画面を見続けていたが、
「ユーリ……動きが止まってるみたいだけど?」
「ん、ああ、終わったよ」
彼はよっこいしょと体を起こすと、
「全ファイルの転送を終えて、今メリッサは欠損データの修復と最適化を行っている最中だ」
「そう、良かった。これでもう彼女は安全なのね?」
「ああ。しかし、安全にはなったけど、もう衛星回線は使えないだろうから、今後は演算に支障が出るだろう……本体はここにあっても、記憶が遥か彼方じゃ、検索が行われる度にとんでもない遅延が発生する。暫くは我慢するしか無いけど、何か対策を考えないと」
「具体的にはどうなるの?」
「単純に今と比べて、質問の答えが返ってくるのに時間が掛かるようになる。大体、1レスポンスごとに最低1秒からの遅延が生じるだろう。内容によってはもっと掛かる可能性もある。1分を超えるならタイムアウトを考えないといけないだろうな……」
「そんなの困るわ。なんとかならないの?」
有理はその言葉を待っていたかのようにチラリと桜子さんの顔を仰ぎ見ると、
「……そこでお願いなんだけど、宇宙港にサーバーを置かしてくれない? 要は、彼女の記憶領域が遠すぎるのが問題なだけで、演算結果を送ってくるだけならどこにあっても関係ないから」
「よく分からないけど、メリッサがうちに来るってこと? もちろん構わないよ。友達に閉ざす扉なんて持ってないわよ」
「助かる! それで、言いにくいんだけど……ここと同じサーバーを、あちらにもう一台用意してくれると、本当に有り難いのですが……」
「ああ、なるほど、お金の心配ならしなくていいわよ。すぐ寮監に言って手配させるわ」
「桜子さん。ちょっとこっちの方も見てくれないか? 実は今回の件で借りたレンタルサーバー代がこれだけ掛かってるんだが……」
有理と張偉がここぞとばかりにパトロンに集っていると、そんな様子を眺めていた青葉が深刻そうな表情で会話に割り込み、
「物部さん。でしたらそのまま彼女と一緒に、メガフロートに亡命されてはいかがでしょうか?」
「え!? 亡命?」
有理は突然出てきた穏やかじゃない単語に、ぎょっとして振り返った。対する青葉は落ち着いた雰囲気で淡々と、
「今回の件は流石に肝が冷えました。世界最強国家が、たった一人の青年にここまでやったんですよ? 撃退したからって、良かった良かったでは済みませんよ、きっと」
「いや、でも、やったって言ってもただのハッキングですよ? 仮に今回やられてたとしても、立ち上げ直せばメリッサの機能は復活出来たわけだし。ある意味、被害は何も出なかったんだから」
「そうじゃありませんって。もう忘れたんですか? 物部さん、あなた、命を狙われたんですよ?」
青葉はじっと見つめている。そう言われて思い出したが、確かに、ほんの数日前、この魔法学校の敷地で彼は命を狙われていたのだ。その時は中身が違ったから、他人事のようにしか感じていなかったが、
「今回の件も本を正せば、高尾メリッサさんが何者かに殺害されたのが発端でした。最初、彼女はファンに扮したレイシストに殺されたんだと思われていたわけですが、他ならぬあなたがそうではないことを証明したわけでしょう。その後、米軍は何故かここを襲撃し、そして今度は同じメリッサという名前のサーバーに電脳戦を仕掛けてきた。またちょっかいを掛けてくるのは時間の問題ですよ」
そう言われると確かにそんな気がする。しかし、だからと言って、亡命なんて大仰なことを考えるのには抵抗があった。
「でも、流石にそこまでしなくてもいいんじゃないですか? 米軍も直接手が出せないから、回りくどい手を使ってきたわけだし、それに夏休みは自衛隊と共同研究する予定があるんだ。それをほったらかして海外なんて行けませんよ」
「いや、物部さん。俺もそうした方が良いと思う」
「張くんまで?」
「自衛隊との共同研究には、天穹が開発したあのVRゲームが必要なんだ。ところがその開発チームは、いまアメリカ政府の査察を受けて音信不通だ。あんたはそれでもなんとかしようとしているが、ここは一度立ち止まって考える場面だと思うぞ」
「うーん……」
有理がそれでも渋っていると、張偉は諭すように、
「物部さん、よく考えろ。一連の事件で襲われたのは、あんただけじゃない。高尾さんもなんだ。アメリカが何を狙ってるかはっきりしない内は、彼女だってまだ狙われる可能性はある。だからその辺がはっきりするまで、あんたたち二人は国外に居たほうが良いだろう」
「あたしもその方がいいと思うわ」
桜子さんも張偉に同意して、
「ユーリ、忘れてもらっちゃ困るけど、あんたには世界最高の魔法適性っていう類まれなる才能もあるのよ。あたしにとってはそれも大事なの。悪いようにはしないから、一度避難しておきなさい」
「そう……だなあ……まあ、どうせ、すぐ夏休みだし」
「そうそう。バカンスだと思って遊びに来ればいいじゃない」
有理は桜子さんにまでそう言われて、段々と心が揺れてきた。張偉の言う通り、夏休み中、自分はともかく里咲をどうするかという問題もあった。アメリカの狙いがはっきりするまでは、まだ彼女のことを匿っておく必要があるが、一連の事件から、もはやこの魔法学校も安全でないとなると、そうするのがいいのかも知れない。
「分かったよ。確かにもう俺一人の問題とも言えなくなってきた。自衛隊には悪いけど、そっちはリモートで参加させてもらうことにして、俺は暫く桜子さんちの世話になることにしよう。どうせなら現地でメリッサの調整もしたいしな」
「そうしなさいそうしなさい。メガフロートで一番の高級ホテルのスイート用意してあげるから」
「いや、そこまでしなくていいけども……張くんはどうする? 君も来るだろ?」
有理が何気なく尋ねると、しかし彼は首を振って、
「いや、俺はあんたたちを見送ったら、一度アメリカに行ってこようと思う」
「え!? なんで??」
有理はそんな敵地に潜入するような真似、危険であると止めようとしたが、
「俺は物部さんたちと違ってアメリカ人に狙われる心配はない。それより、査察を受けた天穹アメリカのことが気になる。開発チームがどうなったのか、ニューヨークの事件とレイドボスは関係があるのか。ここで座って待つよりも、現地に行って情報収集したほうがいいだろう」
「確かにそれは気になるけど」
「俺が思うに、あんたたちが狙われてる理由はここにあると思うんだ。あのレイドボスが出現したのは、人為的なのかたまたまなのか。もし故意なら、やったのは誰なのか。アメリカ人たちが何を考えているのか、その辺をしっかり見極めてこようと思う」
「でも、一人じゃ危険じゃないか?」
「あ、でしたら張さん、私も便乗していいいですか?」
そんな二人の会話を聞いていた青葉が食いつく。彼女はどこかと連絡を取り合うかのように、スマホをポチポチしながら、
「さっきも言いましたが、私、今日付けで桜子さん担当外されて、例の怪物事件の調査を任されることに……なりました。張さんに現地法人の伝があるなら、同行させてもらえませんか?」
任されたと言うより、いま無理やりねじ込んだんだろうな……と、張偉は肩を竦めながら、
「ああ、構わない。あんたが手伝ってくれるなら寧ろ助かる。だが、同行するなら正体は隠して欲しい。相手に警戒されては元も子もないからな」
「それは私も同意見ですね。なら私は張さんの秘書ということで一つ」
「ああ、それでいいいだろう。ではよろしく」
「こちらこそ、社長……」
同行が決まった二人は握手を交わしたが、よく見ると青葉の顔色は優れなかった。そういえばさっきからスマホで何かをしているようだが。有理がどうしたのかと尋ねると、
「いえ、早速アメリカ行きのチケットを予約しようとしてたんですが、繋がらなくって……」
「もしかして密林まだ落ちてるの?」
もしやと思って確かめてみたら、世界最大のECサイトはまだ混乱したままだった。
「すげえな……つーか、あの人、何者だったんだろう……」
ほんのちょっと陽動できればそれでいいつもりだったが、思いがけないところで出会ったあのハッカーは、相当凄腕だったようである。こんな人がたまたま都合よく手伝ってくれたのは本当にラッキーだったが……本当に、ただの偶然だったのだろうか?
最近自分の周りで起きるのは、どれもこれも常軌を逸している。普通ならこんな異常事態が、何度も起きるわけがないのだが……近い内にまた何かあるんじゃないかと、有理はそんな気がしてならなかった。
そしてその直感は、言うまでもなく当たっていた。




