ハッカーの国際大会
翌日。
終了のチャイムが鳴り響き、校舎は雑音に包まれた。どの教室からも倦怠感の入り混じった声が聞こえてくる。授業を終えたの里咲は、支給されたばかりの真新しい教科書をカバンに詰めながら、教室の前方、関の隣にぽっかりあいた空席に目をやった。
そこは物部有理の席なのだが、本当に彼は授業に出てくるつもりが一切ないようだった。尤も、用があるなら会いに行けばいいだけだから、別に問題もないのだが。昨日、話を聞いたところ、今はとても忙しいらしく、研究室に泊まり込んでいるそうだから、会うなら寮に行くよりこのまま研究所に向かったほうが良いかも知れない。
そんなことを考えていると、一つ前の席に座っていた川路がくるっと回転して、
「里咲、今日こそはお茶しようぜ。昨日なんか声かける前に帰っちゃってたけど、今日は平気でしょ?」
「あ、お茶ですか。そですね……」
友達になったばかりの彼女の誘いを無碍に断るわけにはいかない。見れば、隣の席の南条も、ちらちら横目でこっちを見ていた。本当なら、さっさと研究所に行って、昨日みたいにゲームをしたかったのだが、まあ、お茶くらいならそんなに時間も掛からないだろう。確か有理は泊まり込みだと言っていたし、なんなら夕食後にこっそり寮を抜け出しても良い。
そう思って彼女らとお茶に行こうとしてたら、同じく教室を出ようとしていた張偉がふらりと通りかかって、
「高尾さん。俺、これから研究室行くけど、あんた今日はどうするんだ? 昨日、結局何しに来たんだって、物部さん不思議がってたけど」
「え? 張くん? え?」
その言葉に里咲ではなく南条が答える。それを見た里咲は、キョドりまくってる彼女の腕をわしっと掴むと、
「あ、張くん。だったら友達も一緒していい? 実はこの子たちも、その……そう! AIに興味があるんだって。作業の邪魔はしないようにするからさ」
「そうなのか? まあ、見学ということなら、多分、大丈夫だと思うが」
「よし行こう。南条さん!」
「え? え?」
里咲は戸惑う南条の腕を引っ張り、川路がそんな二人の後ろをやれやれと肩を竦めながら続いた。
研究所への道すがら、まるで借りてきた猫みたいに大人しくなってしまった南条を挟んで、里咲は積極的に張偉に話しかけながら歩いた。不自然にならないように、研究室の話題を中心にしていたが、そうして話してみると、南条はともかく、川路の方は実際に有理の研究に興味があったらしく、張偉の説明をわりと興味深そうに聞いていた。特に例のゲームに関しては、男子たちが自慢げに話しているのを聞くとはなしに聞いていたので、いつか彼女も試してみたいと思っていたそうである。
とはいえ、今は間が悪い。米軍がきな臭い動きをしている上に、自衛隊との共同研究が始まったからには、おいそれと参加人数を増やすわけにはいかないだろう。そんなわけで、研究室は今工事中で、夏休みまでは新規の参加は難しいだろうと張偉が言うと、彼女はガッカリしていたが、軍事機密も絡んでいるから本当のことは言えずに、なんとも歯切れの悪い返事をしていると……
研究所に辿り着いた時、その自衛隊が何故かうろうろしていて、見慣れない車両が何台も止まっているのが見えた。
物々しい雰囲気に戸惑いつつドアをくぐれば、いつもなら常駐しているはずの警備員がいなくて、エントランスホールはがらんとしていた。見れば有理の研究室のドアが開きっぱなしで、どうもそこに研究者たちが集まっているらしい。
なにかあったんだろうか? そう思いつつ部屋に入ると、部屋の中央では彼の周りを自衛隊員と研究者たちが取り囲んでおり、彼の肩越しからモニターを怖い表情で見つめていた。
「物部さん。何があったんだ?」
どう見てもおかしな空気に里咲たちが気圧されていると、張偉は一人部屋の中に入っていって、まるでそこが定位置とばかりにギャラリーを押しのけ、有理の隣に立った。有理はそんな張偉には目もくれず、頬杖をついて、じっとモニター画面を凝視しながら、
「ハッキングを受けてるんだ」
「ハッキング?」
「うん」
有理は考え事に集中してるせいか、いかにも心ここにあらずといった顔をしながら首肯して、
「未明から、この基地に不正アクセスしようとしてる形跡が、ちらほら見つかったんだ。ここは自衛隊の施設だからね。中国やロシアからの攻撃には日常的に晒されてるから、始めはいつものことだろうと、経路を遮断して様子見してたんだけど、ところが今回はどうも様子が違ってね。侵入者はいわゆる東側の国だけじゃなくて、世界各地からやって来ていたんだ」
「世界各地から同時に?」
「マルウェアだろうね。侵入者は何らかの方法で、一般人にインストールさせたソフトに仕込んだバックドアを使って、不正アクセスを試みてるわけだ。これじゃ個別に対処してても、根本的な解決にはならないからね。相手が何を狙ってるのか絞り込むために、暫く泳がせてみたところ、どうも彼はこの研究所を狙ってるらしいってことがわかったのさ」
「つまり……どういうことだ?」
「相手は自衛隊の施設ならどこでも良かったわけじゃなくって、最初からこの研究所に狙いを定めていたってこと。ほら、今、この研究所はサーバーの拡張でバタバタしてるじゃない? 箱から出してまだ何も手を付けてないマシンがゴロゴロしている。それもセットアップのためにネットにだけは繋がってるから、どうもそのドサクサに紛れてアタックを掛けてきたっぽいんだよね」
「それって……相手は今、ここが脆弱であることを知ってるってことか?」
「それを疑わない理由はないよね。それで、みんな集まって、誰が漏らしたんだよって話になってたの」
そう言われて改めて周囲を見回してみると、自衛官は研究者を、研究者は自衛官を疑ってそうな、殺伐とした雰囲気が漂っていた。お互い、身内は疑いたくないから、自然と対立しているのだろう。その板挟みにあっている者は溜まったものじゃない。
「今このパソコンがハッカーの攻撃を受けてるんですか?」
有理がため息混じりに状況説明していると、頬杖をついているデスクの下から、里咲の顔がニョキッと生えてきた。どうやら行く手を阻む研究者たちを迂回するために、地面を這いつくばって来たらしい。何やってんだ、この子は? と若干引きながら、
「あ、ああ……有り体に言えば」
「ファイヤーウォール展開! アンチハッカービーム照射! とかやらなくて良いんですか?」
「そういうカチャカチャ、ターンッ! みたいのはアニメの中だけなの。現実は地味なものだよ」
「がっかりですね……それじゃあ、物部さんは一体何が出来るんですか?」
それ、女の子にだけは絶対言われたくないセリフ上位にランクインするから、あまり言わないで欲しいと思いつつ、
「さっき言った通り、相手を泳がせて、その正体を特定しようとしてるんだよ。この中の誰かが漏らしたとしても、そうじゃなかったとしても、行動を観察していればある程度、相手の癖は見えてくる。例えば、相手はこちらのディレクトリ構造を把握しているのか、特定の情報を狙ってるのか、無差別なのか、あるならその傾向はなにか、検索クエリなんか残してくれると有り難いね。そういった、断片的な情報から、相手の姿を想像して、どこの誰が攻撃してきたのかを推理するわけ」
「それで、なにか分かったんですか?」
「分からない。今のところ分かってるのは、相手の狙いはまさに根こそぎだったってこと。ここの研究所内にあるものなら何でも欲しいらしくて、全サーバーのシステムファイルから、テンポラリファイルまで。そんなもん引っ張ってったところで意味ないだろうに、とにかく手に入れられる物なら何でも持っていこうとしてる。そのせいでトラフィックが不必要に増加して、侵入が発覚したんだけどね……それでもバレない自信があるのか、それともわざとか、良く分からん。分かるのは、どうも奴さん、思ってたよりこっちの事情には詳しくないみたいだ。少なくとも、ここに何台のサーバーがあるのか、システム構成までは分かってないらしい」
「じゃあ、ここの人たちは犯人じゃないのでは?」
有理は頷いて、
「その可能性が高い。でも、そうなると今度は、どうやってこの研究所に不正アクセスしてるのか、その手段が分からなくなる。誰かが手引してるならともかく、そうじゃないなら、外からここに侵入するなんてちょっと考えられないんだ」
「そんなに難しいんですか?」
「ここは一応、軍事施設だよ? 難しいなんてもんじゃないよ。だから、まだ何か見落としがあると思ってるんだけど、何も思い浮かばなくてね……」
有理はため息を吐いている。里咲はその表情から深刻さの度合いを見て取ると、
「よく分からないですけど、このまま好き勝手させていたらまずいんじゃないですか? そろそろ相手を止めないと」
「まだ慌てる場面じゃない。極端な話、侵入を防ぐだけなら、そこの通信ケーブルを引っこ抜きゃそれで済むんだよ。今はメリッサに作らせたダミーファイルをせっせと送りながら、時間を稼いでるところさ。まあそれも、相手が気づくまでの間だけど」
『有理。経路偽装の解析を完了。侵入者の所在地を特定しました』
「よし、でかした。みんなにも見えるようにしてくれ」
二人がそんな話をしていると、タイミングよくそのメリッサが何やら報告してきた。
そして有理に命じられた彼女がモニターに世界地図を表示すると、部屋の中に詰めかけていた自衛隊員やら研究者たちから、おおっというどよめきが起きた。その声が思ったよりも大きかったので、驚いて小さくなっていた里咲は、興奮する彼らの声に負けないように、
「皆さん、何を驚いてるんですか!? なんです? この地図は」
「地図じゃなくて、隣の英数字を見てくれ。君も見たことくらいはあるだろう、IPアドレス」
「あ、はい」
そう言われて確認してみると、確かに地図の横にどこかで見たことがあるような文字列が並んでいた。最近のスマホはアドレスを表記することが殆どなくなったが、たまに送られてくるスパムでまだ見かけることがある。
でも、これが何なんだと言うのだろうか? それが分からなくて首を傾げていると、それを察した有理が、
「IPアドレスの見方、分かる? ドットで区切られた右から、国別ドメイン、セカンドドメインって言うんだけど……国別ドメインは言うまでもなく、そのアドレスがどの国のものかを表している。そしてセカンドドメインは、主に所属機関を表しているんだけど……ここに映ってるアドレスは、殆どがgoなんだよ。goってのは、ガバメント」
「ガバメント?」
「政府機関のこと。つまり、今、この研究所に攻撃を仕掛けてきてるのは、各国の政府機関なんだ。それも、日本と敵対している国だけじゃなく、友好国も含む、殆ど世界全体と言っていい……こんなことがあり得るのか?」
その言葉で、ようやく里咲にもその深刻さが伝わってきた。そりゃ、日本を除く殆ど全ての国から攻撃を受けたら誰だってビックリするだろう。しかもその目的は分からないときている。
研究者たちも自衛官も、有理と張偉も、みんなそれぞれ近くの同僚と真剣な表情で話をし始めていた。そんな中で、入口に置いてけぼりを食らった里咲の友達二人が泡を食ったかのようにオロオロしている。里咲も彼女らと同様、話についていけなくて、机の下からじっとモニターを見つめていたが、
「……どこかでハッカーの国際大会でもあったんですかね」
そこに映る国別ドメインの多さを見て、思わずそんな言葉を口走っていた。するとその言葉を聞き留めた有理が、ハッと目を見開いて、
「それだ!」
彼はいきなりそう叫ぶと、驚いた研究者たちが会話を止めて注目している中で、キーボードとマウスをカチカチやって何かを確認した後で、
「メリッサ、桜子さんを呼んでくれ」
と、モニターに向かって命じた。




