灰色の枢機卿
中国チベットが欧州革命派によって占拠されてから、世界はいつ爆発してもおかしくない火薬庫と化していた。戦争という可視化された暴力が、人々の鬱屈したストレスを刺激し、他者を攻撃することで解消しようとする欲求へと変換される。いつの時代でも見られるそんな憎悪がSNSという拡声器によって拡散されることにより、それは第2世代への攻撃に留まらず、移民排斥運動へと繋がっていった。
続く混迷の影響によって各国はより保守的となり、特にそれまで開放的だった欧米社会の手のひら返しは顕著であった。米国はこれを機とばかりに、かねてからの問題であった不法移民問題を一気に解決すべく、彼らが正規に手に入れた在留資格までをも取り消し、いきなり犯罪者と呼称して追放しはじめた。自由博愛の精神が失われた欧州でも国粋主義者の横暴な態度が目立つようになり、それは一定以上の支持を得て議席を確保し、各地で排他的な集会が毎週のように行われるようになった。
第2世代への襲撃に端を発したそれらの運動は、異世界人のみならず、全ての移民へと向けられていった。そうして行き場を失った人々の目がどこに向けられたかと言えば、思いがけずと言うか、案の定と言おうか、渦中のチベットであった。
特に大陸に住んでいた異世界人と第2世代には、それまでの共存姿勢から転じて革命派に呼応し、武力による独立を標榜する者が増えていた。中にはすべてを捨てて欧州を飛び出し、チベットを目指す者までいた。もしくは謂れのない差別を受け、職を失い、仕方なく国境を越える者もいた。そんな異世界人が困窮する姿を、地球人たちはいい気味だと笑っていたが、しかしそれが何を意味するか正確なところはよく分かっていなかった。
異世界人たちは少数者ではあるが、弱者ではないのだ。
中国チベットの占拠を受けて、先日行われた緊急国際会議では、結局これといった打開策は見いだせず、各国はチベットの動きをこれまで以上に注視するという声明を共同で出すに留まった。国連は中国への支援を表明はしたが、具体的な内容には触れず、実質、多国籍軍を受け入れる以外の選択肢を与えなかった。
しかし、それは中国には絶対に飲めない条件だった。仮に受け入れて、首尾よく異世界人を追い出せたとしても、一度他国の軍隊に入られた土地が返ってくる保証はない。なにせそこは前世紀からの係争地であり、そして多国籍軍とはお人好しの集団ではなく、各国の思惑が入り乱れる伏魔殿だ。
だから、自力で取り戻すしかない。中国は会議終了を待たずして、失地奪還を目指す再軍備を進めていた。ところがそんな中、事態は思いがけない急展開を見せた。
中国軍が再軍備を整えていたまさにその時、何の前触れもなくミサイル攻撃が行われたのである。
この、誰も予想だにしなかった攻撃によって、完全に無防備であった中国軍は開戦以来最大の打撃を蒙った。多数の死傷者が出るに留まらず、世界一厳しい情報統制で、秘密裏に建てられたはずの軍事施設の数々が、瞬く間に失われていった。まるで初めからそれを狙っていたかのような手際の良さであった。
中国政府が泡を食ったのは言うまでもないが、それは物理的な損害よりも精神的なショックの方が大きかった。このミサイルがどこから飛んできたのかは、検証するまでもなくチベットだろうが、しかしこんなもの、彼らはどこから持ち込んだというのだろうか?
欧州革命派は、ただのテロリストのはずである。50年前とは違って近代的な装備をしてはいたが、でもそれはせいぜいアサルトライフルとロケット弾程度のもので、ミサイルなんて物があるはずがない。簡単に持ち運びが出来るような代物ではないのだ。
少なくとも、最初にチベットで衝突した際には所持していなかったはずだ。あったら使っていただろうし、だから彼らはチベットを占拠した後にこれを持ち込んだとしか思えない。しかし、どこからどうやって調達したのだろうか? 中国政府は周辺諸国を疑った。
一番怪しいのは、同じ異世界人国家であるインド・テラミス王国である。やはり彼らは、中国に対する領土的野心を燃やしていたのだ。会議では多国籍軍を受け入れろとしつこく要求していたし、間違いないだろう。
中国政府は彼らを名指しで非難したが、しかし、結論を言えば実際の出どころは違った。衛星写真と国安の地道な捜査の結果判明したのは、テロリストはそのミサイルを周辺諸国から持ち込んだのではなく、なんと現地調達していたのである。
それは軍部が横流しをしていたというわけではなく、もっと意外かつシンプルな方法だった。テロリストは、中国国内でミサイルの部品を買い集めて、チベットで組み立てていたのだ。
考えても見れば当たり前のことだった。中国は世界の工場であることを自負しており、あらゆる資材が豊富に取り揃えられている。中古の工作機械を買うことも出来るし、改造することだって可能だろう。作ろうと思えば、ミサイルだって作れるのではないか。なにも核弾頭を積もうとしているわけじゃないのだ。
しかし、そのためには想像以上に豊富な資金と、経験を積んだ技術者が必要のはずである。そんなものを一体、どこから連れてきたというのだろうか? そしてこれだけのことを、この短期間で実現するためには、長期的な事前準備が必要である。そんな計画が、いつから立てられていたというのだろうか……
そもそも、彼らの軍資金はどこから出ているのだろうか。はじめから何もかも揃いすぎている、あの装備はどうやって調達したのだろうか。そろそろ、その出どころを真剣に探し始めるべきではないだろうか。彼らが、単独であれだけの装備と技術を持てるわけがないのだ。あるとするなら、つまるところ……テロリストの背後に誰かがいるに違いないのだ。
(四章・了)




