あー……死んだ死んだ
ガタンゴトン……ガタンゴトン……列車の音が聞こえる。徐々に脳が覚醒してきて、全身に血液が駆け巡るのを感じながら、彼は大あくびをかましながら口走った。
「あー……死んだ死んだ」
有理は背筋をぐいと伸ばすと、インディアンみたいに口元をアワアワやった後に、涙目を指で擦った。駅に差し掛かった列車が減速を始めたが、隣のおっさんが寄りかかってくることはなかった。リアクションが大きいから変なやつとでも思っているのだろうか。こいつにそう思われるのは癪である。
『中野坂上、中野坂上』
彼は伸び上がって席を立つと流れる乗客と共にホームへ降りた。そのまま乗っていても良かったのだが、今は家に帰るよりも先にやりたいことがあった。何しろ、今回のループでは前回までとは違って、強力な助っ人が呼べるかも知れないのだ。
乗り換え客がホームを行き来する中、有理は空いていたベンチに腰掛けると、スマホをポチポチしてチャットアプリを起動した。するとメイン画面の下の方にアイコンが並んでいて、その中に『宿院青葉』の名前が表示されていた。彼はそのアイコンを押して、フレンド登録リクエストを送った。
彼女がこれに気づいたら、多分、すぐ連絡を取ってくるだろう。いきなり知らないIDからリクエストが来ても普通なら無視するだろうが、全く知らないというわけじゃないのだ。有理は今、高尾メリッサのスマホから彼女にリクエストを送っているが、アプリのIDは有理(本物)のものだから、それを見た青葉は必ず不審に思うはずだ。
何しろ今現在、本物の有理は例のVRゲームの中に閉じ込められて、病院に運び込まれているはずなのだ。彼女はそれを助けようと奔走しているはずで、その相手から連絡が来たら不審に思うだろうし、少なくとも何者かと確かめようとするはずである。そこで、対応を間違えなければ、話くらいは聞いてくれるだろう。
まあ、なにはともあれ、まずは彼女がリクエストに気づくのを待たねばならないが……
待ち合わせの電車が発進し、ホームから人が居なくなった。ガランとした地下鉄構内に反響するアナウンスを聞きながら、有理は彼女からの返信を待った。
因みに、前回、徃見教授のゼミを出てからは、取り立てて語るようなことは起きなかった。もう何度も同じことを体験しているから、アフレコは滞り無く終わり、その後、インタビューが終わっても吉野からの連絡は来ず、スタジオから出なくてはならなくなったので、仕方なし、警察に通報して暴漢にご退場を願った後は、家に帰ってただ殺されるのも癪だったから、帰らずに逃げれるだけ逃げてみることにしたのだ。
取り敢えず、前みたいにビルのトイレの窓から路地裏に這い出て、出来るだけ人気の無い通りを進み、タクシーを捕まえたら今度は東京駅まで一直線に向かってもらって、出発が一番早い新幹線 (のぞみ)に乗った。それで行けるとこまで行ってみようと思っていたのだが、名古屋を出た辺りで気が変わり、新大阪で途中下車して、お好み焼きを食べた後、伊丹空港から沖縄へ飛ぼうとして、オンラインでチケットを予約しながら梅田駅をウロウロしていた時、いきなり通り魔に殺された。
あまりに想定外の動きをされて向こうも焦っていたのか、かなり雑な殺され方をしたので、あの世界線が続いているなら今頃大騒ぎになってるだろう。つまり、相手はそうまでして有理を殺したがっている上に、この日本国内で、そういう無茶が出来る組織であるようだ。
本当に、奴らは何者なのだろうか……? そして梅田駅から地上に出るにはどうすれば良かったのだろうか……? と反省していると、ブーブーっと携帯が震えてアプリの通知がリクエストを受諾したと返してきた。
『あ、どうも、宿院さん。まずは返信してくれてありがとうございます』
『どうしたんですか、物部さん? 用があるなら電話してくれればいいのに。私、いま学校にいますから、なんならすぐにお伺いしますよ』
『いや、宿院さん。そんなの出来るわけないでしょう。俺は今頃、意識不明で病院に担ぎ込まれてるはずじゃないですか。知ってるくせに』
『おかしなことを言う人ですね。だったら、このチャットはどうやってるっていうんです?』
『ええ、そのことについて話がありますから、出来れば今から会えませんかね?』
すると青葉はすぐには返事を寄越さず、妙な間が空いた。多分、上司か同僚かに相談しているのだろう。辛抱強く待っていると、やがてたっぷり時間を掛けてから、
『デートのお誘いは嬉しいんですけど、でも物部さん、あなた学校の敷地内から外には出られないですよね? どこで会うっていうんです?』
『都内で会えませんか? 実は俺いま中野にいるんですよ』
『中野? やけに具体的ですけど、どうしてそんな場所にいるんです?』
『それについても会ってからお話します。会っていただければ、それが一番早いから』
そう言うと、青葉はまた黙ってしまった。怪しさ満点なのは自分でも分かっているので仕方ないが、有理は今度は返事を待たずに考えていた提案を相手に送った。
『警戒するのは分かります。では、こういうのはどうでしょうか? 俺はこれから、あなたが指定した場所に、どこにでも伺います。あなたはやってきた俺の姿を遠くから見て、危険が無いと判断したら話しかけてきてください。これでどうですか?』
『まずはあなたから姿を晒すってことですね?』
『はい、そうです』
『なら、いいでしょう。場所はすぐには決められないので、追って連絡します』
『あ、その前に1つ符丁を決めておきませんか?』
『符丁?』
『その符丁があれば、あなたは確実に俺が俺だと分かるはずなんですよ』
青葉はまた警戒するように少し間を置いたが、今度は割と早めに返事してきた。
『いいでしょう。おっしゃってください』
『えっと、宿院さん。俺が神奈川県内の電子機器をあらかた飛ばしちゃった後、病院に迎えに来てくれたことがありましたよね?』
『そんなこともご存知なのですか?』
『本人ですから。それで、その時に張くんが俺のためにポッドキャストを持ってきてくれたんですけど。そのパーソナリティの声優の名前って覚えていますか? あ、名前はまだ言わないでください』
『覚えていますよ。割とガチで気持ち悪かったから』
『ああ、それは良かった。良くねえけど良かった。それじゃ、その名前を覚えておいてください』
『それだけですか? そんなの、私じゃなくても知っていそうなんですけど』
『会えばその意味が分かりますよ』
『そうですか。分かりました』
青葉とのチャットは、それで一旦途切れた。
***
その後、彼女から場所指定のメッセージが送られて来るまで、有理は新宿に出てファストフード店で時間を潰した。中野にいると言ったので、多分、新宿に出て来いと言ってくるだろうと予想したのだが、案の定、彼女の指定先は新宿にある高層ビルの展望レストランだった。
歌舞伎町とは違って少し寂しい西新宿を歩いて行くと、都庁舎から数ブロック離れた場所にそのビルはあった。地上46階建ての40階にあるその展望レストランは、東京の街を一望できるように壁がガラス張りになっていて、見晴らす先には宝石箱を散りばめたような夜景が広がっていた。逆に言えば、そこから見えればどこからでも店内が覗けるわけで、この場所を指定するのは非常に理にかなっていると思った。
ただ問題は、今の有理は未成年だということだ。この展望レストランは10時を回るとバーになるらしく、年がバレたら入店をお断りされる可能性があった。下手に格好つけないで、ちゃんと事情を説明しておけば良かったと後悔しながら店に近づいていくと、レセプショニストが近づいてきた。
「ご来店ありがとうございます。お一人様でしょうか?」
「いえ、人と待ち合わせてるんですけど……宿院さんという方は来てますでしょうか?」
最悪の場合、店内を探してるフリをしながら窓の外に手でも振ろうかと思っていたら、彼女は恭しくお辞儀をして、
「宿院様でございますね。ご予約を承っております。どうぞこちらに」
どうやら青葉は予め席を予約していたらしい。考えても見れば、座席を指定しなければ向こうも外から確認し辛いだろう。そんなことを考えつつ、店員に案内されて店内を歩いていくと、窓際の一番見晴らしの良い席に、彼女がもう座っていた。
外から確認してくれと言ったはずだが、どうやら彼女は先に姿を晒すことを選択したらしい。多分、イニシアチブを取られることを嫌ったのだろうが、大胆というか、結構無謀なところがあると思いながら席に近づいていくと、始めは余裕綽々といった表情をしていた彼女の顔が、徐々に驚愕に崩れていった。
「え……っと? あなたは……高尾メリッサさん。ですよね??」
あまりに想定外だったのか、青葉は席に座ったままポカンと有理のこと見上げている。有理はそんな彼女の対面の席に座ると、
「いや、宿院さん。俺おれ。物部有理。驚いた? だから先に確認してよって言ったのに。あ、店員さん取り敢えずビール……はマズイから、コーヒーください」
有理がヘラヘラしながらそんなことを口走っても、彼女はまだ呆けた顔をしていたが、暫くして表情を引き締めると、
「驚いた……あの符丁はこういう意味だったんですね。それで、どうしてあなたがここに現れたんですか? 物部さんと知り合いだったとは気づきませんでしたけど」
「いやだから宿院さん、俺は高尾メリッサじゃなくって物部有理なんだってば」
「失礼ですが、物部さんの身辺については、我々は調べられるだけ調べ尽くしていました。ですが、そこにあなたの名前が上がることは一度もなかった。せいぜい、何気ない会話の中で登場するくらいで、物部さんがファンとしてあなたのことを一方的に知っているだけだと思っていました。それなのに……二人はどこで知り合ったんです?」
「だから、それについてこれから話そうとしていたんだけど、そんな警戒しないで欲しいって言いますか……つか、俺のプライバシーってマジどうなってんの?」
有理はその聞き捨てならないセリフも気になったが、それ以上に彼女と話していると妙な違和感を感じると言うか、頭の中身がかゆいと言うか、嫌な感覚がするので、ブルンブルンと水浴びをする犬みたいに頭を振りながら、
「あー……宿院さん。あんた、今なんかやってるね? 多分、俺にはもう効かないから、それ止めてくんないかな。あなたの第二世代魔法は、種を知ってる人には効きづらいはずだって、あなた自身が言ってましたよね。あの病院からの帰り道に」
有理がそんな不快感を表明すると、青葉は暫くの間睨むような顔で沈黙していたが、やがて誰かに合図するかのように手を振って、いつもの柔和で、それでいてどこか人を食ったような表情に戻った。
背後を振り返って確かめれば、少し離れた席で立ち上がりかけていた屈強な男たちが、ビデオを巻き戻すみたいに席に戻った。その胸のあたりがちょっと膨らんで見えるのは、多分おっぱいじゃないんだろうな……そんなことを考えながら冷や汗をかいていると青葉が話しかけてきた。
「正直、まだちょっと驚いているんですけど……あなたは本当に物部さんなんですね?」
「あ、信じてくれるんですか? もうちょっと手間取るかなって思ってたんだけど」
「あなたに関しては、いま現在進行系でおかしなことになってますからね。その物部さんが別人になって現れたところで、不審に思うよりも、またかと思えてしまうんですよ。あと、その、ちょっと軽薄そうな感じが本人ぽいっていうか」
「出会った当初から思ってたんですけどね。あんた俺に対して割と失礼ですよね」
どうせフラグは立たない相手だと思ってディスってきやがる……有理が不貞腐れていると青葉は相好を崩し、
「逆を言えばそれだけ信頼してるってことですよ。ほら、気のおけない仲って言うじゃないですか」
「物は言いようですよね。まあ、いいですけど……それじゃ、そろそろ本題に入りたいんですけど、いいですか?」
「あ、はい」
青葉は姿勢を正すと真面目な顔に戻り、
「一体、何があったんです? どうしてそんなことになってるのか、出来るだけ詳しく話してくれますか」
有理はそんな彼女に頷いて、今までに起きた出来事を話し始めた。




