なんでだろうね? 不思議な話だ。
藁にも縋る思いで徃見教授のゼミへやって来た有理であったが、残念ながら教授は留守であったが、代わりにゼミ生の女の子が話を聞いてくれることになった。
彼女は吉野と名乗り、まだ二年生でこのゼミでは一番下っ端だから、部屋の鍵開けを命じられているんだけど、二年生は自分の他にもまだ二人いる。なのに自分がやらされてるのは女だからに違いない。男女平等の時代にふざけんじゃないわよと、不機嫌そうに同意を求めてきた。有理はそれを右から左に受け流した。
教授のゼミはドアの外から覗き込んだ時にも思ったが、とにかく殺風景で、古いパソコンのディスプレイが乗っかった事務机が整然と並んでるだけで、何の面白みもない場所だった。
ここで魔法の何を研究するというのだろう? と思いもしたが、よく見れば部屋の一角にオモチャ箱をひっくり返したような雑然としたスペースがあって、そこにM検でお馴染みの機材やらなにやらの他に、何故かあのヘルメット型コントローラーが置いてあるのを見つけて、有理は思わず声を漏らした。
「あれ? 脳波コントローラーがある。あんなもん、何に使うんですか?」
「さあ? なんだと思う? 何日か前に、教授が持ってきたんだけど、あなたならその理由も分かるんじゃないの」
有理が問いかけると、吉野は丸底フラスコで沸かしたインスタントコーヒーをビーカーに注ぎながら、そんなセリフを返してきた。有理は頷いて、
「ああ、そう言えば、この時間軸の俺は今、仮想現実世界に取り込まれて戻れなくなってる真っ最中でしたね。それで魔法研究者たちが集まって、なんとか元に戻る方法を探してくれてるところだった。教授はここに持ち帰って調べてくれてたんですね」
「あら意外。本当に知ってたのね」
「これで本物だって信じてくれましたか?」
「それくらいじゃまだまだよ。それより、どうしてこんなことになってるのか、話してくれない? まずはそれを聞いてからね」
「実は、それもこのヘルメットが関わってるっぽいんですが……」
有理はここへ来るまでの経緯について洗いざらい話した。
まず、体感時間で数日前、仮想世界の中央都市を探そうとしていて、オンラインのまま眠ってしまったこと。目覚めたら時間が巻き戻っていて、何故か自分が推しの声優になってしまっていたこと。その声優は、放っておいたら今日死ぬ運命にあり、有理はその運命を回避しようとして色々行動を起こしていたが、何度やっても彼女は殺されてしまうこと。
「……学校で自衛官に殺されたって?」
「はい。流石に想定外過ぎて」
「映画や小説でよくあるみたいに、あなたは何をやっても死ぬよう世界に運命づけられてるのかな?」
「俺もその可能性は疑ったんですが、それにしてはちょっとおかしいと言うか……何者かの意志が介在してるように思えてならないんです。それで思い出したんですが、俺は過去に戻る前、学校で彼女を……この体の持ち主のことを目撃してるんですよ」
「死んだと思ってた彼女が、実は生きていたってこと?」
「そうです」
「へえ、それは面白いわねえ……」
吉野は有理の話に関心があるのか、頻りに頷いている。有理はその態度を見て期待を込めて、
「俺の話、信じてくれますか?」
「流石にそれを鵜呑みにするわけにはいかないわよ。まあ、面白いとは思うけどね」
すると彼女はかんらかんらと笑いながら、
「でも、教授にあなたを紹介するくらいはしてあげるわよ。多分、私より彼の方が、こういう話に興味があるだろうし」
「本当ですか!?」
「ええ。実を言うと、もう連絡はしているんだけどね」
彼女はそう言って机の上の端末を弄りだすと、ブラウザを起動して古めかしい掲示板を開いた。そこに数分前の彼女の投稿が表示されており、『教授、ゼミに物部有理を名乗るおかしな女の子が来ています。なんか面白いから引き止めてるんで、気づいたら連絡ください』と書かれてあった。
「ゼミ生の連絡用掲示板なんだけど、あっちの研究室でも確認するだろうから、気づいたら連絡くれるわよ。それまで気長に待ってちょうだい」
「そうですか……」
有理はホッとしつつも、内心手放しでは喜べなかった。学校に到着した教授が朝一で研究室に行って、掲示板を確認してくれればいいが、そうじゃなければ、授業が終わるまで見ない可能性が高い。すると、彼からの連絡があるのは午後になるだろうが、その時、果たして有理はまだ生きているだろうか?
ふと時計を確認すれば、午前9時を回ろうとしていた。そろそろ一時限目が始まる頃で、まだ連絡がないということは、彼は真っ直ぐ職員室に向かった可能性が高かった。有理はため息を吐いたが……とはいえ、何の希望もなかった今までに比べれば今回はずっとマシだろう。最悪、教授の連絡先さえゲット出来れば、それを次回に活かせる。情報を持ち越すことは可能なのだ。まあ、一回死ななきゃならないのがネックではあるが……
取り敢えず、これで一仕事は終えたと判断した有理は、ようやく肩の荷を下ろして周囲を見回す余裕が出てきた。やはり目につくのはあのヘルメットだ。教授はこれを持ち帰って、ここで調べていたようだが、何か発見はあったのだろうか?
「発見? いいえ、全然、まったく。教授は持ってきたはいいけれど、コンピューター音痴だからセットアップすることすら出来ずに、結局ゼミ生に丸投げしてたのよ。それでパソコンが得意だって工学部の子に頼んで、ゲームに繋ぐまでは行ったんだけど、あなたみたいに仮想世界に取り込まれるなんてことはなかったわよ」
「まあ、そりゃそうでしょうね」
もしも上手くいったのなら、ゲームの中で会っていそうなものである。残念ながらそんな経験は一度もなかった。
「ちょっと触ってもいいですか?」
「どうぞ」
有理は礼を言うとヘルメットが繋がってるパソコンを起動した。OSが立ち上がるとごちゃごちゃしたデスクトップの中に、アストリア・サーガなる名のアイコンが並んでいるのが見えた。
(アストリア・サーガ……?)
初見だったが、どうやらこのゲームには元々そういう名前が付けられていたらしい。有理の研究室のサーバーとはOSが違い、手動でセットアップしたので気づかなかったが、自動セットアップを選べばそういう名前がつけられていたようだ。
へえ、そうだったんだ……と感心しつつ、コンフィグを起動してクライアントの設定内容を確認していると、有理はまた問題を見つけた。いや、どっちかと言えば、有理の方に問題があるのであるが……
魔法研究所は自衛隊の施設で機密情報を扱う関係上、外部からは隔絶されている。なので外と通信するには自前のプロクシサーバーを経由しなければならないのだが……さて、ここで思い出して欲しい。有理とマナがゲームに閉じ込められていたのは、メリッサが二人のプレイデータを勝手に変換していたせいだったわけで、つまり二人はメリッサとプロクシという2つのサーバーを経由してから、アメリカにある天穹のゲームサーバーにアクセスしていたわけである。
ところが、ここにはそんな制限がないから、このパソコンは直接アメリカのゲームサーバーと繋がっていた。なので、あの現象はどう足掻いたって起きるわけがないのである。
「なるほどねえ……」
有理がテキストエディタを開いてプログラミングを始めると、興味を持った吉野が話しかけてきた。
「何がなるほどなの?」
「いや、ちょっと問題を見つけたから、プログラムにパッチを当てようかと思って……具体的に言うと、この天穹のサーバーにアクセスする前に、俺の研究室にある別のサーバーを経由させたくって……」
「ふーん……研究室って……あなた、本当に本当の物部有理なの?」
だから、さっきからそう言ってるだろうと思いつつ、有理は黙ってプログラムを続けた。
と言ってもやることは簡単で、OSのカーネルを叩いて通信パケットをちょいと研究室のメリッサに送ってやるだけである。その際、研究所のファイヤーウォールが邪魔になるわけだが、そこに穴があることを、彼は既に知っていた。
というのも、元々彼は無理矢理学校に連れてこられたから、最初、メリッサは自宅に置きっぱなしだった。そのサーバーにアクセスするため、学校は特例として彼の家との通信を認め、ホワイトリストに載せていた。メリッサを呼んだ後もその穴は残されていて、実は今でも自宅からならあの研究所へはアクセス可能なのだ。なんでそんな穴がいつまでも残ってるのかと思われるかも知れないが、なんでだろうね? 不思議な話だ。
ともあれ、自宅サーバーは無くなってしまったわけだが、どんな家にだってルーターくらいは置いてある。パッチを当てて、そこを経由するようにすれば、研究室に繋ぐことも出来るだろう。
ところで、そのメリッサが健在ならこんな面倒なことをしなくても済むのであるが、研究室に繋いだついでに呼んでみたが返事は返ってこなかった。どうやら、彼女はまだローンチの最中らしい。
それはいつ終わるのだろうか? 記憶ではそろそろのはずだが、具体的なタイミングは聞いていなかった。もし今、メリッサと連絡がついたら、彼女の強力なサポートを得られて、事態の打開も容易になるだろうが、なんとなくだが、彼女が復活するのは自分が死んだ後のような気がしてならなかった。
いや、もしくは、自分が死ぬのと同じタイミングなのではないだろうか……?
なんとなくだが、それが正しい答えのような気がする。なんでそう思うのだろうか? 具体的な理由は思い浮かばないのであるが……
「それで、どう? 上手くいきそう?」
そんなことを漠然と考えているうちに、気がついたらプログラムが仕上がっていた。有理は吉野に急かされるようにパッチを当てながら、
「細工は流流だけど、あとはやってみなきゃ分からないってとこかな……吉野さん、試しにやってみます?」
「私は嫌よ」
「そう。まあ、どっちにしろ、俺がやるしかないよな」
有理はそう独りごちると、ヘルメット型コントローラーを持ってきてパソコンに繋いだ。こちらのセットアップもちゃんと済んでいるようで、軽く設定をしたら、あとは被るだけですぐに使えそうだった。彼はヘルメットを被りながら最終調整をし、クライアントを起動してゲームを始めた。
パッチがちゃんと当たっていれば、このクライアントが吐き出すパケットは、今頃研究室にあるサーバーで書き換えられているはずだ。そしてローンチ中のメリッサはそれをアメリカのサーバーに中継し、返ってきたパケットにまた情報を書き加えてこちらに送り返してくるはずである。
そうやってメリッサに書き換えられた結果、あの巨大な軌道エレベーターがある中央都市が存在する世界に繋がったわけだが……
あれ? ならもしかして、これが上手くいったら、またステファンたちのいる世界に繋がるんだろうか? ちょうど今頃は降臨祭で中央都市は賑わっているはずだが、そこへ行けば、過去の自分に会えるんだろうか……?
そんなことを考えていると、突然、目眩のような感覚がして、強烈な睡魔に襲われ全身の力が抜けて、急激に意識が遠のいていった。続けて今度は覚醒する時のように、全身に力が漲ってきて、ぼやけた視界が徐々にクリアになってくる。
「……どこだ、ここは?」
ところが、そうして目覚めた彼は、大森林と天空への塔があるあの世界ではなく……何故か見渡す限りどこまでも広がる大草原の中に、一人ぽつんと立っていたのであった。




