頼れるものは
ガタンガタンと規則正しい列車の音と、車内のざわつき、目の前に立つサラリーマンのカバンが膝に当たって、天井から吹き付けてくる冷風で指がかじかんでいる。もう何度目か知らない車内の風景を微睡みに見ながら、有理は徐々に覚醒してくる脳で、たった今起きた出来事を思い返していた。
流石に今回は想定外過ぎた。保護を求めて行った先の自衛隊の施設で、まさかその自衛隊に射殺されるなんて……自分を最後に殺したのは、確かに自衛官の服を着ていた。あれは変装だったのだろうか? それとも、本当に本物だったのか……?
駅に近づいて列車が減速し、伸し掛かってくる隣のおっさんを肘鉄で押し返す。中野坂上駅で下りる乗客を漫然と見送りながら、有理は思考を続けたが、これといった良案は見つからなかった。国家権力まで信じられないのなら、一体、誰なら信じられるというのだ?
そのまま二駅ほど乗り越し新高円寺駅に到着する。こうして寄り道せずに最寄り駅まで帰ってきたのは初めてじゃないだろうか。地上に出てすぐ目についたラーメン屋に入り、カウンターでやけくそ気味に大盛りラーメンを頼み、腹ごしらえを済ましてから、のんびり歩いて家まで帰ってきたが、それでもまだ日付が変わる前だった。思ったよりも時間があるが、しかしこれからどうすればいいのかさっぱり分からなかった。
このまま何もせずに寝て、明日アフレコに行けば、また殺される運命が待っているだけだろう。最初の暴漢を通報で撃退し、赤門前を避けて通ったら、今度はどこで狙われるのだろうか。そうやって一回一回、殺されながら打開策を見つけるのは、ゲームだったらセオリーかも知れないが、現実でやりたいとは思えなかった。何せ、死ぬほど痛いのだ。
しかし、こうして一人で考えていると、そろそろ頭がおかしくなりそうだった。相談できる相手がほしい……でも一体、誰に相談すればいいと言うのだ?
藤沢や一里塚なら、もしかして、このふざけた状況を信じてくれるかも知れないが、門外漢の彼らに相談したところで、解決策が見つかるとは思えなかった。下手に巻き込んでも身の安全は保証できないし、やめといたほうが無難だろう。自分は死んでもループするが、彼らは死んだらそれまでだ。
同じ理由で家族も頼りづらかった。というか、犯人の狙いがわからない今、下手に家に近づいたら家族ごと消される可能性もあるんじゃないか。なにしろ相手は自衛隊にまで入り込んでいるのだ。なんなら家ごと爆破するくらい平気でやってのけそうな気がする。まだローンが残る家が爆破されたら、きっと父は泣くだろう。まあ、命があればの話だが。
冗談はさておき、家族の場合は、有理の話を信じてくれるか分からないという懸念もあった。良くも悪くも東大一家だから、とんでもなく頭が固いのだ。多分、「俺おれ、有理」とでも言おうものなら、笑顔で応対しながら裏でこっそり通報してるだろう。まだ父の隠し子だと信じさせるほうが簡単だ。そういう家族だ。
しかし……東大?
その単語が引っ掛かった。確かに東大出身の家族は頭が固いが、中には東大で教鞭を取りながら、異世界人と交流もすれば魔法を研究しているような人だっているじゃないか!
「徃見教授!」
あの馬鹿げた学校で座学を受け持っているが、彼の本職は東大教授である。桜子さんと知り合いの彼なら、宿院青葉の名刺くらい持っていそうだし、それになにより、有理の話を信じてくれる可能性が極めて高かった。なんなら積極的に協力してくれるだろう。
考えれば考えるほど、他に選択肢はないように思えた。明日は朝一で東大に行って、教授を尋ねてみよう。本郷に居てくれればいいのであるが……
***
翌朝、居ても立っても居られず、目覚ましが鳴る前に起き出して、殆ど始発に乗って本郷三丁目までやってきた。とはいえそんな時間じゃ事務局も開いていないから、キャンパス内をうろついて時間を潰し、事務員が出勤してきたので教授の所在を尋ねたが、アポ無しを咎められて教えては貰えなかった。仕方ないので道行く東大生を捕まえて、教授のゼミの場所を教えてもらって、直接出向くことにした。
ゼミは航空宇宙研究所の一角にあり、ものの数分ですぐ見つかった。航空宇宙なんて言うからロケットエンジンでも作ってるのかと思いきや、そういう工学的な建物は一切なくて、近代的な箱物が数件建ってるだけだった。
ゼミがあるというビルに入ると、中は殺風景なリノリウムの床と画一的な窓とドアが並ぶ廊下が広がっていて、研究所というより学校の校舎みたいだった。いや、本当に校舎なのだから、これが当たり前だろうか? こうして見ると、有理が普段過ごしている魔法研究所が、いかに税金の無駄遣いをしてるのかが良く分かる。国民に見えないと思って、本当にやりたい放題である。
そんなことを考えながら廊下を歩いて目的地に到着する。ドアのプレートには部屋番号しか書かれてなくて、中を覗き込んでもただの事務机が並んでるだけだから、本当にここであってるのかな? と不安になりつつ、ドアをノックしてみたが誰も出てきてはくれなかった。
まあ、大学生がこんな朝早くから学校にいると思うほうが間違っているのかも知れないが、しかし早く誰か登校してきてくれないとアフレコに間に合わなくなるぞと、イライラしながらドアの前でウンコ座りして待っていたら、数人ほど奇異の視線をやり過ごした後、ショートパンツにランニングシャツというラフな出で立ちにバックパックを背負った、少し勝ち気そうな雰囲気の女性が近づいてきた。
「徃見教授のゼミ生の方ですか?」
有理が立ち上がってそう尋ねると、鍵を開けようとしていた彼女は振り返り、
「そうだけど。あなたは? うちのゼミに何か用?」
有理はようやく見つけたゼミ生を前に安堵の息を吐きながら、
「良かった。実はどうしても徃見教授にお会いしたくて、ここでこうして待っていたんです。教授はもう学校に居られますでしょうか?」
「教授なら今日は魔法研究所の方じゃないかな。夕方には戻ると思うけど」
有理は内心舌打ちした。どうやら行き違ったようである。彼女は夕方には戻ると言っているが、多分、その頃にはもう有理は殺されてしまっているだろう。そんなのを待ってるわけにはいかないので、
「すみません。不躾だとは思うのですが、どうしても今すぐ教授とお話がしなければならない理由があるんです。なんとか彼と連絡を取る方法はないでしょうか?」
「そりゃああるけど……」
彼女はしつこく食い下がる有理のことを観察するようにジロジロと見ながら、
「よく知らない人に連絡先を教えるわけにはいかないわよ。失礼だけど、あなたは? 見た感じ、高校生くらいよね。教授になんの用があるの?」
有理はどう説明しようかと少し迷ったが、今更小細工を弄したところで、失敗したらどうせまた死ぬだけなのだし、破れかぶれでありのままを言うことにした。
「実は私は……いや、俺の名前は物部有理って言います。わけあって、今は女になっちゃってますが、本当は神奈川にある、その魔法研究所の付属校に通っている生徒なんです。教授とはそこで知り合って、ある意味師弟関係みたいなもんで、その縁を頼って今日はここまで来たんですが……」
「はあ? 物部有理って、あの物部有理?」
どの物部有理か知らないが、どうやら彼女は有理のことを知っているようだった。考えても見れば、教授は魔法研究者だから、そのゼミ生もまた魔法に興味がある学生ばかりのはずで、彼らが有理の名前を知っていてもおかしくはなかった。彼は少し前のめりになりながら、
「ですです! その物部有理です。M検で異常な数値を出したり、一度は死にかけたり、今はゲームの世界に閉じ込められてる、おかしな野郎です」
有理がそう言うと、彼女は暫くの間胡散臭いものを見るような目つきで黙っていたが、やがて苦笑気味に、
「はははっ。流石にそんな話、誰も信じるわけが無いでしょ。でも……面白いわね。面白いから、話くらいなら聞いてあげるわよ。それでもし私が納得出来たら、教授に連絡してあげてもいいわ」
「ホントですか!?」
「まあ、まずは話してみなさいよ」
彼女はそう言ってドアの鍵を開けると、有理を手招きしてから部屋の中へと入っていった。彼はその後に続いた。




