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Worlds Collide -異世界人技能実習生の桜子さんとバベルの塔-  作者: 水月一人
第四章:高尾メリッサは傷つかない
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声優の瀬戸際

 今日、自分が殺されるかも知れない現場を視察していると、ビルの中から出てきたマネージャーに問答無用で引きずり込まれた。というか、初対面なので本物のマネージャーかどうか分からず、本当について行っても大丈夫なのかな? と不安になってきたところでスタジオに到着した。


 スタジオといっても、いきなりブースがあるわけじゃないので、そこは待合室だったわけだが、入っていくなりそこにいた人々が一斉に振り返るものだから、ものすごいプレッシャーを感じた。


 病院のロビーによくありそうな黒い合皮の長椅子が、部屋を取り囲むように置いてあって、そこに大勢が集まって台本をチェックしたり思い思いに過ごしている。中央には加湿器が設置してあり、エアコンの設定温度が控えめなのか、外よりは涼しかったが、ほんのちょっと汗臭く感じた。


 これ全員、声優なんだよな? そう思うと、オタクの身としては意識を保つだけで精一杯であった。というか、なんの特徴もない部屋なので、先にアニメと聞いてなければ、怪しげなセミナーに紛れ込んだのではないかと勘違いしそうだった。


 何か別のことを考えねば精神がもたない。本当にセミナーだと思えばどうか。ところでこのレイアウト、AVで見たことあるぞ……とか考えていると、ここまで有理を引っ張ってきたマネージャーが、ぴゅーっと出演者の方へ飛んでいき、土下座しそうな勢いで、


「瀬戸際プロダクションの高尾メリッサです! この度は、うちの所属タレントがご迷惑をかけて大変申し訳ございませんでした!!」


 と頭を下げていた。ぽかんとしていたら、彼女は頭を下げたままの格好で、ちょいちょいと手招きしている。よく見れば頭を下げた目が血走っていたので、有理は慌てて横に並ぶと、


「せ、瀬戸際プロの高尾です。ご迷惑おかけしました!」


 と彼女を真似て頭を下げた。


 その後、二人はその場にいる一人ひとりに頭を下げて回り、更には奥にいたスタッフのところまで行ってまた頭を下げた。収録は10時半からで、すでに1時間の遅刻であったが、出演者の方は概ね好意的で、遅刻くらい誰だってするからと言って許してくれる感じで、中には初対面らしき出演者もいて、逆に丁寧な挨拶を返してきてくれるのが、かえって申し訳なかった。


 対して、スタッフの方は人それぞれで、優しい人も無関心な者もいて、明らかに不機嫌な者には、こいつ殴ってやろうかと殺意を覚えたが、そういう時はマネージャーが率先して前に出て行って頭を下げると、暫くすると相手の態度が軟化してきて、


「……まあ、藤沢ちゃんがそういうなら仕方ないなあ」


 と言って許してくれるのが常だった。このマネージャー、藤沢という名前らしい。


 よくわからないが、出演者は出演者に甘くて、スタッフはマネージャーの方に甘い傾向があるようだ。考えても見れば、出演者同士はあちこちの現場で会うこともあるだろうから、下手に波風立てたくないだろうし、仕事を取ってくるマネージャーは、現場のスタッフと大体顔見知りなわけである。


 とは言っても、やはり中には例外も居て、こんな遅刻なんて言語道断だと怒る声優もいた。それが困ったことに、そこにいる全員が子供の頃から知ってるような大ベテランだったものだから、現場は一気にピリピリした雰囲気になってしまった。


「おたくはタレントの管理がなってないんじゃないですか」

「はい、はい、大変申し訳なく……」


 マネージャーが頭を下げているのは、高島田かほる子と言って、大衝突前から活躍しているベテラン声優だった。今でも女子高生から老婆まで幅広い役を演じきり、テレビにラジオに引っ張りだこなのだが、流石に最近は年相応の役が増えてきて、優しい母親を演じることが多くなっていた。


 ところでよく言われることだが、優しい人ほど怒ると怖いというが、そんな人に怒られるものだからこっちも溜まったもんじゃない。


 しかしある意味自業自得かも知れない。有理は自分の推しの顔すら知らない完全二次元オタクであったが、高島田に関しては知っていた。顔を見ない方が不可能だというくらい、毎日どこかのメディアに出てくるベテランだからだ。


 それで彼女を見るなり、「あ、なーんだ……」と思ってしまったのだ。なんとなくテレビのイメージで、優しいお母ちゃんだからそんなに怒ることはないだろうと、そういう態度が出ていたのかも知れない。


 亀の甲より年の功というが、そういう相手に舐めた態度を取ってはすぐ見透かされる。しかし今更、後の祭りだ。そんな感じに二人がクドクド小言を受けていると、本当に時間が押しているから、スタッフが空々しい態度で声を掛けてきた、


「はい! 大変、お待たせしてすみませんでした! 準備が出来ましたので、出演者の方は移動お願いします」


 その瞬間、待合室でモジモジしていた出演者たちが一斉に立ち上がり、私たちは何も見てませんよといった感じに、そそくさと部屋から出ていった。高島田も不機嫌そうに立ち上がってスタジオに向かい、有理はやっと解放されたと、ほっとため息を吐いたが、


「なにやってんのよ、バカ!」


 マネージャーに蹴飛ばされて椅子から転げ落ちた。


「あんたも出演者でしょ? さっさと行けっ!」


 尻をさすりながら振り返ると、般若が仁王立ちしていた。有理は背筋をぴんと伸ばして、先を行く高島田の半歩後ろにくっついていった。


(このおばちゃん、怖いからもう関わり合いにならんどこ……)


 などと思っていたが、冷静に考えると、そんなことよりもっと気にしなければいけないことがあることを、この時の彼はまだ気づいていなかった。


***


 何も考えずに、先を行く人々のあとについていくと、やがてマイクスタンドがいくつか並んだ部屋にたどり着いた。防音がしっかりしてあって、中に入った瞬間に空気が重くなったように感じる。ガラス越しに見えるブースの中では、何百もキーが並んでるミキサーを操作しているヘッドホンの男が居て、その後ろに丸めた台本を持った偉そうなおっさんがいて、暫くするとマネージャーの藤沢がやってきて、その彼にペコペコ頭を下げていた。


 有理は、(あ、これ、アニメで見たことある。アフレコ現場だ)などと、最初は呑気に構えていたが、そのうち、(あれ? でもこれって……誰がアフレコするんだ?)と思い至って青ざめた。


 そうだった。なんでなのかは知らないが、今自分は高尾メリッサになってしまっているんだった。自分の顔は自分では見えないから気を抜くと忘れがちだが、彼女はこの後、暴漢に襲われて殺されるわけだが、確かニュースではその直前までアニメのアフレコをやっていたはずである。


 つまりこれから有理は、彼女の死を回避するためにも、まずこの現場をなんとか乗り切らねばならないのだ。


 しかし、そんなことを言われても、自分は声優の仕事なんてやった経験もない。せいぜい、アニメや漫画の知識しかない。一体、どうすればいいんだ?


 この期に及んで、ようやく己のピンチに気づいた有理が助けを求めて周囲を見渡せば、出演者たちは既に各々席に座って、熱心に自分の台本を見つめていた。これって席が決まってるんだろうか? 適当に座っても怒られないんだろうか? と思いつつ、とにかく空いてる席に座るしかないと思った彼が、ぽっかりと空いていた席に近づくと、なんとその隣は高島田かほる子だった。みんな、怖いから近づかなかったのだ。


 やばいと思ったときには手遅れで、高島田にじろりと睨まれてしまった後では逃げることも出来ず、肩をすぼめて座席に縮こまってると、助監督らしき人がやってきて、


「えー、台本修正入ります。まずは3ページ、15カット……」


 何やってるんだ? と眺めていると、まるで受験会場みたいにバサバサと台本をめくる音が一斉に響いて、見れば出演者たちが真剣な表情で台本に何かを書き入れている。慌てて、自分もそうしようとしたが、気づいたときには手元には何もなく、焦っていたらスタジオのドアが開いて、


「里咲……里咲……」


 顔面蒼白の藤沢が手にした台本を振っている。それを見た助監督の声が止んで、衆人の沈黙の中、小さく丸まりながら部屋を往復した有理は、露骨に不機嫌そうな高島田の視線を浴びて、更に縮こまる。台本修正が再開され、聞き慣れない業界用語に、これはどういう意味だろう? とパニクっている内に作業は終わり、


「それじゃラステス行きまーす」


 と、本番前のリハーサルが始まったようだった。


 え? こんなにあっさり始まるものなの? と思ったが、考えても見れば、みんなここに来る前に、セリフは頭に入ってるわけで、何も知らないのは有理だけである。彼は慌てて、自分のセリフのチェックを始めようとしたが、


「高尾さーん」


 どうやら1シーン目から出番があったらしく、既に他の演者がマイクの前に立って、迷惑そうにこっちを見ていた。有理はよろけながらマイクの前に立つと、急いで自分のセリフを探した。


 どうやら、この冒頭のシーンは学校の登校の場面のようで、ナレーションのあとに主人公が出てきて、かったるいかったるいと愚痴愚痴言ってるところに、高尾メリッサ演じる幼馴染の少女が駆け寄ってきて、「おはよう。今日も朝から眠そうだね」と言うだけのようである。


 カット1の出番はそれだけで、あとは主人公とその友達が喋って終わりのようだ。有理はそれを見てホッとしたが、


「あ~……ったりぃ、こう天気がいいと、一時間目はフケて屋上で眠りたくなるぜ」

「………………」


 ところが、いざ始まってみると、たったそれだけのセリフが出てこない。マイクの前に立って、口を開いた瞬間、頭の中が真っ白になって完全にセリフが飛んでしまったのだ。有理が口をパクパクしながら突っ立っていると、


『はい、もう一度、頭からお願いします』


 ブースの中でストップウォッチを持っている人から淡々と指示が飛んできた。隣に並ぶ主人公が首を傾げている。リテイクの言葉と同時に目の前のスクリーンが暗転し、カット1という手書きの文字が映し出された。どうやら、ちゃんとタイミングを測れるよう、目の前で絵コンテが流れていたようだが、たった今まで、それすらまったく見えていなかった。


 3……2……1とカウントダウンが始まり、すぐにまた耳心地が良くて正確なナレーションが聞こえてきて、主人公の演者が真剣な表情に切り替わる。有理は頭の中で何度も何度も、落ち着け落ち着け、と言い聞かせていたが、完全に上がりきってしまった心が落ち着くことはもうなかった。


 結局、二度目もセリフが出てこなくて、その後もセリフをつっかえたり噛んだり、何度もリテイクを繰り返し、最終的に自分のセリフのところだけを取り直すことになっても失敗し、周囲を取り巻く出演者の顔が困惑から侮蔑に変わってきた頃、高島田の、


「明らかに準備不足の人が混じってる。そういう人とはやりたくないから、別撮りにしてください」


 という言葉で、有理は一人だけスタジオを追い出された。その瞬間、スタジオの空気が弛緩するのが分かり、そしてブースの外で待っていた藤沢の真っ青な顔を見て、自分が取り返しのつかないことをしでかしてしまったことに、彼はようやく気づくのだった。


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よろしくお願いします!
― 新着の感想 ―
きっついわぁ
有理、余裕あるなと思ってたらそっちまで意識がいってなかったのね…。 この後もあるのにまずここが難関だ
読んでるだけで空恐ろしい状況で手汗かいたわw
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